キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

価値の逆転

2008-02-05 02:04:21 | 無宗教主義
キリストが社会のためにあるのではない、 社会がキリストのためにあるのである。 福音を信じることを許されているが故に、 この劣悪社会はいまなお存在するのである。 キリストを愛してキリストに近づくのではない、 キリストに愛されていることを知らしめられて、キリストに似た者となる。 「愛よ、愛よ」と連呼することは、愛情なき自分を偽装せんがためである。 キリストに愛せられて、自然と人を愛する . . . 本文を読む