キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

神を反映せよ!

2011-08-28 20:07:17 | 聖書原典研究(パウロ書簡)
自分の体で,神の栄光を現しなさい。(コリントⅠ6-20/新共同訳) 「栄光を現しなさい」と訳されている単語δοξαω(ドクサゾー)とは, 本来,光輝(δοξα:ドクサ)という単語の動詞形であって, 「光を反映する」という意味から,栄光を帰するとか, 崇めるとかという意味が出てきた。 であるから,単語の本来的意味を考慮すれば,下記のようにも訳せるのである。 自分の体をもって,神を反 . . . 本文を読む

エクレーシアの本質

2011-08-21 17:45:49 | 聖書原典研究(共観福音書)
二人または三人がわたしの名によって集まるところには, わたしもその中にいる。 (マタイ伝18-20/新共同訳) この箇所の原文は,「二人または三人が集まる」という文と, 「わたしがそこにいる」という二つの文が並置されている。 しかし,どちらが時間的に先行する文であるかは,明確に規定されていない。 つまり,訳し方には二通りあるということだ。 日本語訳聖書のように, 「二・三人が集まる . . . 本文を読む

躊躇しつつ進む神の民

2011-08-20 17:55:31 | 聖書原典研究(共観福音書)
異邦人たちはこれを聞いて喜び,主の言葉を賛美した。 そして,永遠の命を得るように定められている人は皆,信仰に入った。 (使徒行伝13-48/新共同訳) 「定められている」と訳されている語は, τασσω(タンソー)という語の完了分詞であって, 受動にも中動にも訳せる表現である。 受動に訳せば「定められている」であって,現行訳のようになる。 中動に訳せば「自分で決心した」であって,訳し直 . . . 本文を読む

ガラテヤ書の精神

2011-08-14 17:30:20 | 聖書原典研究(パウロ書簡)
ガラテヤ書は通常,パウロが熱烈に語った律法廃止論だと思われている。 しかし,原典読解するにつれて,かかる理解の仕方は, パウロの語る福音にとって本質的ではないことがわかった。 今日は,ガラテヤ書の根本精神について。 ガラテヤ書の第一章は,パウロが「如何にして救われたか?」を語っている。 そしてその結論は,「律法ではない,キリストだ!」である。 続く第二章は,パウロが「如何にして救いに . . . 本文を読む

使徒行伝に関する違和感について

2011-08-07 17:16:28 | 聖書原典研究(共観福音書)
使徒行伝を16章まで読了する。 この文書全体の執筆動機や全体の構想はまだ明確ではないが, 気づいたことを一つ。 使徒行伝は通常,使徒の福音宣教の記録だと思われている。 記者ルカはペテロやステファノやバルナバ,パウロ等々によって, 如何にして福音が世界の果てまで広がったか,それを記述したいのだと。 そして,ペテロやパウロが同じような行動をするのは, (足なえを癒したり,死人を生き返らせ . . . 本文を読む