キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

信仰の3段階

2011-01-23 18:12:01 | 聖書原典研究(パウロ書簡)
人生に段階があるように,信仰にも段階がある。 まず第一段階が,イエスの十字架を仰いで, 自分の過去の罪が見逃されていることを認識することである(ローマ書3章)。 次に,イエスに過去の罪を見逃されながら,それでも罪にある自分を認識して, 将来成し遂げられる死人の復活を待ち望むことである(ローマ書8章)。 最後に,過去の罪を見逃され,将来造り変えられる神の恵みにあって, 現在,今・ここで . . . 本文を読む

聖霊とは何か?

2011-01-16 17:59:34 | 聖書原典研究(パウロ書簡)
使徒パウロにとって、聖霊とは何だったのだろうか? まず第一に、聖霊とは啓示である。(コリントⅠ2-10・11、コリントⅡ3-3) 啓示であると言えば、何か一瞬の奇跡的出来事だと思いがちだが、 パウロにとって聖霊とは、継続的何かである。(ガラテヤ3-2、コリントⅠ6-11、12-3) つまるところ、パウロにとって聖霊とは、神であり、キリストである。(ローマ8-9) この継続的啓示は、雲や . . . 本文を読む

福音書研究の心得

2011-01-10 16:55:19 | 聖書原典研究(共観福音書)
アルベルト・シュヴァイツァーは、その「イエス伝研究史」において、 「すべての神学者のイエス伝は、その神学者の意識の投影である」と言った。 同様のことが、新約聖書の福音書そのものに対しても言える。 イエスの論敵として、ルカ伝記者が「ある者(τινεσ)」というところを、 マルコ伝記者は「律法学者(γραμματευσ)」に変え、 マタイ伝記者は「パリサイ人(Φαρισαιοι)」に変え、 . . . 本文を読む