キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

生きるということ

2006-09-30 00:05:08 | 人生の慰め
私はいのちをいといます。 私はいつまでも生きたくはありません。 私にかまわないでください。 私の日々はむなしいものです。(ヨブ記7-16) 私は、いつも朝目覚めて思う。 今日はしっかり義務を果たす一日でありたい、と。 仕事を誠実に果たし、子どもに一生懸命関与し、 ブログを掲載し、自分の意見を発表するため本を執筆し、 無我夢中で働いてクタクタになり、 今日も何の成果もなかったことを悔 . . . 本文を読む

キリスト者の慰め

2006-09-27 00:45:51 | 人生の慰め
私たちの大祭司は、 私たちの弱さに同情できない方ではありません。 罪は犯されませんでしたが、すべての点で、 私たちと同じように、試みに会われたのです。(ヘブル書4-15) 人間は、何かに頼らなければ生きていけない。 完全独立な人間であることを目指して、 人はニーチェのように発狂せざるを得ないのである。 この不条理な人生において、我らを慰める者は誰か? 家族か?友人か?同僚か?恋人か? . . . 本文を読む

時満ちて・・・

2006-09-26 01:00:28 | 聖書読解
定めの時が来たので、 神はご自身の御子を遣わした。(ガラテヤ書4-4) 「定めの時が来たので」 この世を統治するのは主である、 世界史の経綸を司っているの神である。 神は、その御心を成就するために、 あらゆる国家・人物・思想を用い給う。 イエス・キリストがこの世に降臨するために、 神は然るべき準備をし給うた。 アブラハムに麗しき約束をし給い、 モーゼにユダヤ民族解放の任を下 . . . 本文を読む

ヨハネ伝序曲

2006-09-24 12:00:54 | 聖書読解
初めに、ことばがあった。 ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 この方は、初めに神とともにおられた。 すべてのものは、この方によって造られた。 造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。(ヨハネ伝1-1~5) ヨハネ伝は、「ことば」について語る。 「ことば . . . 本文を読む

無宗教主義のキリスト者

2006-09-22 01:24:09 | 無宗教主義
神は霊ですから、神を礼拝する者は、 霊とまことによって礼拝しなければなりません。(ヨハネ伝4-24) キリスト・イエスにあっては、 割礼を受ける受けないは大事なことではなく、 愛によって働く信仰だけが大事なのです。(ガラテヤ書5-6) すべての宗教は真理ではない。 八正道を説く仏教にも、一片の真理がある。 神への服従を説くイスラム教にも、一片の真理がある。 光明思想を説く日本神道にも . . . 本文を読む

キリスト者の勇気の源泉

2006-09-16 02:45:39 | 聖書読解
今の時のいろいろの苦しみは、 将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、 取るに足りないものと私は考えます。(ローマ書8-18) 「今の時のいろいろの苦しみは」 人間にはいろいろな苦しみがある。 自分の外見を嫌悪する、肉体的な劣等感。 充分な経済的安定を得られない、物質的な不満足。 愛しても手に入れられない、恋愛の挫折。 夢を抱きながら、その夢との乖離に悩まされる、達成感の . . . 本文を読む

理想の教会

2006-09-13 01:10:32 | 人生の慰め
私は、この都の中に神殿を見なかった。 それは、万物の支配者である、神であられる主と、 小羊とが都の神殿だからである。(黙示録21-22) 私は一度も、教会に所属したことがありません。 教会に行ったのは、せいぜい結婚式ぐらいでしょうか。 しかしそんな私が、教会に所属することなくして、 キリストによって回心したのであります。 数ヶ月前にブログを公開して以来、 私は「教会」というものに . . . 本文を読む

「信仰による義」と「行いによる義」

2006-09-11 22:35:54 | 聖書読解
人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、 信仰によるというのが、私たちの考えです。(ローマ書3-28) 人は行ないによって義と認められるのであって、 信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。(ヤコブ書2-24) 聖書には、矛盾した主張が多い。 その最たるものが、パウロとヤコブによる救いの条件である。 パウロは言う、「人は信じるだけで救われる」と。 ヤコブは言う、「 . . . 本文を読む

聖書の研究法

2006-09-09 03:26:08 | 聖書読解
この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。(ヨハネ書第一5-20) 聖書はいう、イエスはキリストであると。 すなわち、ナザレの地に生まれたイエスという人間は、 人類の救世主(神)であるという。 これ、聖書の伝える迷信ではないか!? 肉体をもった人間が、神である筈がないではないか!? そして、聖書の伝えるこの「謎」がわからないから、 聖書ほど理解し難いものはないのである。 イエ . . . 本文を読む

失敗と真理

2006-09-07 23:25:14 | 人生の慰め
それゆえ、見よ。わたしは彼女をくどいて、 荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう。 わたしはその所をぶどう畑にし、 アコルの谷を望みの門としよう。(ホセア書2-14・15) 人は、現実に満足する時、決して真理を求めない動物である。 健康な時に、健康に配慮しないのと同じである。 すべてに失望して、精神的に追い詰められて、 人は初めて、真理を知りたいと心から欲する。 仕事に失敗し、友人に失 . . . 本文を読む