聖書には,4つのイエス伝がある。
マタイ伝,マルコ伝,ルカ伝,ヨハネ伝である。
そして人は,これら4つのイエス伝をイエスの伝記だと思って読んでいるが,
厳密にいうと,これらはイエスの伝記ではない。
すなわち,時系列的に正確な記録ではない。
これら4つの福音書は,各福音書記者が,
イエスの生涯を用いて自分が信じている福音を表現したものである。
であるから,4つの福音書によってイエスの歴 . . . 本文を読む
そうです,父よ。これが御心に適うことでした。
(ルカ伝10-21)
上記の聖句において,「これが」とは何を指すのだろうか?
何が神の御心に適ったことと,福音書記者ルカは記しているのだろうか?
このこと(ταυτα:タウタ/英語でいうところのthat)とは,前文を指している。
そして前文とは,イエスがサタンに勝利したこと(ルカ伝10-19),
故に,イエスに従う者は,天地のあらゆる攻 . . . 本文を読む
あなた方は世の光である。山の上にある町は,隠れることができない。
また,ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。
そうすれば,家の中のものすべてを照らすのである。
(マタイ伝5-14・15)
東京電力の計画停電によって,第5グループに属するわが銚子も,
1時間半,停電にみまわれた。
地震発生直後の政府の対応は評価できたが,
計画(?)停電の東電の対応は,まったくもって . . . 本文を読む
それゆえ,神に服従せよ,悪魔に逆らって立て。
(ヤコブ書4-7/私訳)
悪魔に服従することとは,何なのだろうか?
それは,自分の怒りによって,正義を成し遂げようとすることである(ヤコブ書1-20)。
まるで神がいないかのように,まるで自分は自分一人で存在しているかのように,
自らの境遇について不平をこぼすことである(ユダ書16)。
弱い者の側に立たないことである(ヤコブ書1-27) . . . 本文を読む
主は私に仰せられた。「人の子よ。自分の足で立て」
彼が語り始めると,霊が私の中に入り,私を自分の足で立たせた。
(エゼキエル書2-1・2)
聖書において,理性(νουs:ヌース)とは如何なる意味があるのだろうか?
人間理性とは,罪の虜であり,汚れたものである(ローマ1-28)。
だが一方で,理性は善だとも言われている(ローマ7-23,11-34,コリントⅠ2-16)。
故に人間に要求さ . . . 本文を読む