イエスは言われた。
「はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、
神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる」
(マルコ伝9-1/新共同訳)
この箇所を読んで、こう言う人々がいる。
「イエスは自分が死ぬ前に、神の国が来ることを信じていた」とか、
「使徒ヨハネの愛の思想は、キリスト再臨まで至るほど重要だ」とか。
まったくの誤解である。
原典を読解せずに、あ . . . 本文を読む
やっと夏期講習も終わり、通常の授業日程になった。
やはり夏の間は、聖書研究が遅々として進まない。
授業を5つもこなすと、夜中は意識が朦朧として、
全然集中できないのだ。
だから去年と同じように夏の間は、原典読解を一時中断し、
今まで研究してきた事柄を黙想し考察していた。
(本当に眠ってしまうことがほとんどだが・・・)
原典読解という意味では、いっけん無駄に思えるような黙想だが、
しか . . . 本文を読む
恐れおののいて自分の救いを達成してください。
神は、御心のままに、あなた方のうちに働いて志を立てさせ、
事を行なわせて下さるのです。
(ピリピ書2-12・13/新改訳)
「達成する」と訳されているκατεργαζεσθεとは、
単に「働く」という意味である。文字通り、自分が何事かを為すという意味である。
問題なのは、誰に対して為すか、ということである。
カトリックはこの箇所を、「他人に . . . 本文を読む
そこでイエスはお尋ねになった。「それでは、あなた方はわたしを何者だと言うのか」
ペテロが答えた。「あなたは、メシアです」
するとイエスは、御自分のことを誰にも話さないように弟子たちを戒められた。
(マルコ伝8-29・30/新共同訳)
神学論争において、「メシアの秘密」という問題がある(ヴレーデ)。
それは、最古の福音書であるマルコ伝において、
なぜイエスは、自分をメシアだと言わないように . . . 本文を読む
今年は共観福音書の原典研究を目標に定め、
マルコ伝研究を既に終えたから、今はマタイ伝の読解に取りかかっている。
やっと5章までを読み終え、いわゆる「山上の垂訓」を読解中である。
まだ中途だが、気づいたことを一つ。
「山上の垂訓」は通常、峻厳な倫理をイエスが述べた箇所として知られている。
たとえば、「欲情を抱いて女を見た者は姦淫を犯した」(5-28)などのように。
そして、かかる罪を犯 . . . 本文を読む
戦争のことや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけません。
しかし、終わりが来たのではありません。それは必ず起こることです。
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、
飢饉も起こるはずだからです。これらのことは、産みの苦しみです。
(マルコ伝13-7・8/新改訳)
終末のしるし、世の終わりの前兆とは何なのだろうか?
この問いに対し、パウロは「そんなものはない!」と言い、
. . . 本文を読む
子どものように神の国を受け入れる者でなければ、
決してそこに入ることはできない。(マルコ伝10-15/新共同訳)
この箇所を訳す際に注意すべきは、
「子ども」と訳された単語παιδιον(パイディオン)である。
この語は、主格(~は)にも対格(~を)にも訳せるから、
もし主格に訳すのならば、現行訳のようになる。
しかし対格に訳すのならば、以下のようになる。
子どもを受け入れること . . . 本文を読む