キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

イエスの皮肉

2010-08-30 17:03:26 | 聖書原典研究(共観福音書)
イエスは言われた。 「はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、 神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる」 (マルコ伝9-1/新共同訳) この箇所を読んで、こう言う人々がいる。 「イエスは自分が死ぬ前に、神の国が来ることを信じていた」とか、 「使徒ヨハネの愛の思想は、キリスト再臨まで至るほど重要だ」とか。 まったくの誤解である。 原典を読解せずに、あ . . . 本文を読む

神の義

2010-08-29 16:09:22 | 聖書原典研究(パウロ書簡)
やっと夏期講習も終わり、通常の授業日程になった。 やはり夏の間は、聖書研究が遅々として進まない。 授業を5つもこなすと、夜中は意識が朦朧として、 全然集中できないのだ。 だから去年と同じように夏の間は、原典読解を一時中断し、 今まで研究してきた事柄を黙想し考察していた。 (本当に眠ってしまうことがほとんどだが・・・) 原典読解という意味では、いっけん無駄に思えるような黙想だが、 しか . . . 本文を読む

己が救いを完うせよ

2010-08-22 16:18:48 | 聖書原典研究(パウロ書簡)
恐れおののいて自分の救いを達成してください。 神は、御心のままに、あなた方のうちに働いて志を立てさせ、 事を行なわせて下さるのです。 (ピリピ書2-12・13/新改訳) 「達成する」と訳されているκατεργαζεσθεとは、 単に「働く」という意味である。文字通り、自分が何事かを為すという意味である。 問題なのは、誰に対して為すか、ということである。 カトリックはこの箇所を、「他人に . . . 本文を読む

メシアの秘密

2010-08-15 17:29:53 | 聖書原典研究(共観福音書)
そこでイエスはお尋ねになった。「それでは、あなた方はわたしを何者だと言うのか」 ペテロが答えた。「あなたは、メシアです」 するとイエスは、御自分のことを誰にも話さないように弟子たちを戒められた。 (マルコ伝8-29・30/新共同訳) 神学論争において、「メシアの秘密」という問題がある(ヴレーデ)。 それは、最古の福音書であるマルコ伝において、 なぜイエスは、自分をメシアだと言わないように . . . 本文を読む

「山上の垂訓」の真意

2010-08-08 16:04:41 | 聖書原典研究(共観福音書)
今年は共観福音書の原典研究を目標に定め、 マルコ伝研究を既に終えたから、今はマタイ伝の読解に取りかかっている。 やっと5章までを読み終え、いわゆる「山上の垂訓」を読解中である。 まだ中途だが、気づいたことを一つ。 「山上の垂訓」は通常、峻厳な倫理をイエスが述べた箇所として知られている。 たとえば、「欲情を抱いて女を見た者は姦淫を犯した」(5-28)などのように。 そして、かかる罪を犯 . . . 本文を読む

終末のしるしはない!

2010-08-07 17:07:14 | 聖書原典研究(共観福音書)
戦争のことや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけません。 しかし、終わりが来たのではありません。それは必ず起こることです。 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、 飢饉も起こるはずだからです。これらのことは、産みの苦しみです。 (マルコ伝13-7・8/新改訳) 終末のしるし、世の終わりの前兆とは何なのだろうか? この問いに対し、パウロは「そんなものはない!」と言い、 . . . 本文を読む

わたしの杯を飲むがよい!

2010-08-01 16:20:51 | 聖書原典研究(共観福音書)
子どものように神の国を受け入れる者でなければ、 決してそこに入ることはできない。(マルコ伝10-15/新共同訳) この箇所を訳す際に注意すべきは、 「子ども」と訳された単語παιδιον(パイディオン)である。 この語は、主格(~は)にも対格(~を)にも訳せるから、 もし主格に訳すのならば、現行訳のようになる。 しかし対格に訳すのならば、以下のようになる。 子どもを受け入れること . . . 本文を読む