キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

暗闇の中の光

2011-03-14 19:10:29 | 聖書原典研究(共観福音書)
あなた方は世の光である。山の上にある町は,隠れることができない。
また,ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。
そうすれば,家の中のものすべてを照らすのである。
(マタイ伝5-14・15)



東京電力の計画停電によって,第5グループに属するわが銚子も,

1時間半,停電にみまわれた。

地震発生直後の政府の対応は評価できたが,

計画(?)停電の東電の対応は,まったくもってお粗末である。

これじゃあ,仕事も何もできやしない。

殿様商売をしてきた役人企業のやることだから,まあ,期待しても無駄か・・・。



だが,暗闇の中でロウソクをともし,火を見ていて気づいたことがある。

火というものが,「希望」の象徴であることだ。

聖書を読んで,「イエスは人の光だ」「あなた方は世の光だ」との言葉を読む時,

わかったつもりではいた。「光は希望の象徴だろ」と。

そうして,わかったつもりでいて,心にひっかからず,なんとなく読んでいた。

だが,「再び大地震が房総沖で起きるのではないか!?」との不安を抱きつつ,

実際に電気なき闇に囲まれてロウソクの光を見るとき,

如何に光が希望としてそこにあるかということがわかった次第である。

電気なき時代の福音書記者も,唯一の希望としての神(イエス)を宣べ伝えるために,

象徴としての光を引き合いに出したに違いない。


計画停電の杜撰さには腹が立つが,
(どうやら銚子が停電になることは,東電でさえ把握していなかったらしい)

今回の経験はバルトやブルトマン等々の注解書以上の注解であった。

「あなた方は世の光であれ!」とは,ただ倫理的説教として聞くだけでなく,

むしろ本質的には,終末論的に解釈せねばならないのではないか!?

ただ神のみが人の希望である。

そして,ただキリスト者のみが,世に希望を呈示し得る存在である。

福音の宣教とは,福音という神学や知識を広めることではなく,

唯一の,ただ一つの,震災も国家の崩壊も肉体の死も,

いや,現代日本の希望なき精神的荒廃も凌駕し得る希望を,

指差すことに他ならない。

「私はこのような不幸の中にも神の恵みを知りました」的な,予定調和的な話題は嫌いだ。

しかし,あまりにも鮮烈な光の経験だったから,

記事をアップした次第である。



光は闇の中(εν)で輝いている。
(ヨハネ伝1-5)



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