あなたは良いぶどう酒を今まで取っておかれました。
(ヨハネ福音書2-10/新共同訳)
イエスが起こした最初の奇跡である「カナの婚礼」。
結婚式でぶどう酒が足りなくなり、
イエスが水をぶどう酒に変え、
この貧しき新郎新婦を祝福したと解釈されている「カナの婚礼」。
これ、明確な誤訳というよりは、人間勝手な曲解である。
使徒ヨハネはイエスの受難の序曲を記述せんとしていること、
さらには . . . 本文を読む
終わりの時代に、全人類は救われるのか?
全人類救済説に反対する者は言う。
「もし全人類が最終的に救われるとすれば、これほど危険な思想はない。
誰でも救われるのであれば、人間の生まれてきた意味、努力の意味がないではないか。
どんなに善行を積んでも、どんなに悪行を為しても救われるのならば、
人生というものは何の意味もないことになる」と。
確かに尤もな意見である。
そして同じ聖書を読んでい . . . 本文を読む
万軍の主が私たちに子孫を残されなかったら、
私たちもソドムのようになり、ゴモラのようにされたであろう。
(ローマ書9-29)
この8月は仕事も忙しく、なかなか原語読解も進まなかったが、
やっとガラテヤ書5章を読み終えたところである。
そしてガラテヤ書を読み進める度に、私の脳裏に浮かぶのは、
ローマ書の内容である。
このガラテヤ書は執筆年代からいっても、ローマ書の摘要と称してもよく、
. . . 本文を読む
神から人に至らんとする現象を啓示(revelation)と定義すれば、
人から神に至らんとするすべての現象は宗教(religion)である。
故に、人がすべて為すことは、所詮宗教である。
「私の抱いている思想は真理(啓示)であって、宗教ではない」
そうのたまう人間ほど、胡散臭く、偽善に満ちたものはない。
所詮、人間が抱く思想は、宗教である。
所詮、「私」が抱く思想は、宗教の一種である。 . . . 本文を読む
愛には恐れがありません。
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私たちが愛するのは、
神がまず私たちを愛したからです。
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目に見える兄弟を愛さない者は、
目に見えない兄弟を愛することができません。
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神を愛する人は、兄弟を愛すべきです。
(ヨハネ書Ⅰ4-18~21/新共同訳)
キリスト教の教えは「愛」であるという、
そして新約聖書で最も「愛」を強烈に説いたのが . . . 本文を読む
無学な人や心の定まらない人は、
それ(パウロ書簡)を聖書の他の部分と同様に曲解し、
自分の滅びを招いている。(ペテロ書Ⅱ3-16)
ペテロ書Ⅱの著者が言うように、パウロの書簡、
特にローマ書は、昔から誤解され易い書である。
分かる者には分かり、人間を救いに至らせ、
分からない者には分からず、逆に、人間を滅びに至らせる。
これ、使徒パウロが悪いのではなく、読む側の問題なのである。
. . . 本文を読む
人は、新たに生まれなければ、
神の国を見ることはできない。(ヨハネ伝3-3)
天国は何か?
死んだら誰もが行くことができ、
自分の身内が手を広げて待っている、
お花畑が広がるような世界なのだろうか?
もしくは、羽が生えて光り輝く天使たちが舞い、
四方八方が神々しさに包まれていて、
生前の倫理的功績によって、
許された者だけが住むことのできる世界なのだろうか?
人間は霊魂を有す . . . 本文を読む