ローマ書は聖書の中心であり、「人間がいかにして救われるか?」を論述した、
人類最大の書であると言われている。
そしてローマ書を読む人は、ローマ書の主題を、
すべての人を救う「神の義」(ローマ書1-17)であると考える。
そして、神の義はイエス・キリストの十字架によって啓示されたのであるから、
3章21~26節をローマ書の中心と定め、3章20節以前を人間の罪を暴いたもの、
3章21節から . . . 本文を読む
ローマ書を8章まで読了する。
使徒パウロはローマ書の1章から8章までの間で、
人間が救われる道を諄々と解き明かす。
「信じる者は救われる」という。
この「信仰による義認」が、キリスト教の中心であり本質であるとも言われる。
しかしながら、私は、かかるキリスト教的救済条件を、
原語聖書に見出すことができなかった。
信仰という、何らかの心理的傾向、
信仰という、人間的努力を否定しつつも . . . 本文を読む
聖書のメッセージの中心、いや全部は、イエス・キリスト御自身である。
すなわち、人間の救いも世界の救いも、キリストという人格にかかっている。
これが福音であり、キリスト教の本質である。
しかしこの福音が堕落して、あるいは教会に救いがあると錯覚したり、
あるいは特定の神学に救いがあると錯覚したり、
あるいは特定の儀式・手段に救いがあると錯覚して、
福音は福音でなくなり、唾棄すべきものとなり . . . 本文を読む
死に至らない罪を犯している人を見たら、その人のために神に願いなさい。
そうすれば、神はその人に命をお与えになります。
これは死に至らない罪を犯している人の場合です。
死に至る罪があります。これについては、神に願うようにとは言いません。
(ヨハネ書Ⅰ5-16・17)
上記の聖句は、ヨハネ文書最大の誤訳である。
上記の聖句より判断すれば、罪は「死に至る罪」と「死に至らない罪」があって、
「死 . . . 本文を読む