キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

裏切る者の足を洗えるか?

2007-03-28 22:20:06 | 聖書読解
自分がもうすぐ死ぬことを知っていたイエスは、 夕食の時に、弟子たちの足を洗い給うた。 しかも、その中には、イエスを裏切るイスカリオテのユダもいた。 どこの誰が、自分の弟子の足を洗うことができようか? どこの誰が、自分を裏切る者、すなわち、自分を殺す者の足を、 身を低くして洗うことができよう? 単なる人間には、決してできない。 少なくとも、私には、決してできない。 他人の足を洗うなどという、屈辱的な行為など、決してできない。 . . . 本文を読む

ある友人の証

2007-03-25 21:10:06 | 無宗教主義
私の最も近しい友人に、一人のキリスト者がいる。 どのぐらい近しいとかというと、彼の内奥の秘密を、 私だけがすべて知っているぐらい、近しい友人である。 今日は、彼の人となりを通して、信仰の秘儀に迫りたいと思う。 第一に、私が不思議に思うのは、彼とキリスト者という名称が、 どうにもこうにも一致しないことである。 キリスト者といえば、信仰を持つ人のことだろう。 信仰といえば、神とかキリス . . . 本文を読む

死骨の復活

2007-03-24 22:24:39 | 聖書読解
エゼキエル書37章とヨハネ伝11章の読解。 主の御手が私の上にあり、主の霊によって、私は連れ出され、 谷間の真中に置かれた。そこには骨が満ちていた。 主は私にその上をあちらこちらと行き巡らせた。 なんと、その谷間には非常に多くの骨があり、ひどく干からびていた。 (エゼキエル書37-1・2) 日本は行き詰っているという。なぜか? この国は富を増やしても、国民の心を満たすことができなかった . . . 本文を読む

間断なき祈り

2007-03-23 22:31:52 | 人生の慰め
絶えず祈りなさい。(テサロニケ書Ⅰ5-17) 祈りとは、真言宗のような念の一種にあらず。 自分の信念や願望を、極度に集中化する行為にあらず。 祈りとは、神(キリスト)と繋がることである。 キリスト者とはキリストに繋がるべき者であれば、 祈りなくして、キリスト者は福音にふさわしく生きることができない。 私が祈らずして、自分自身だけの力によって、 人のために労せんとする時、私の愛念 . . . 本文を読む

天国は何処にありや?

2007-03-22 23:48:13 | 人生の慰め
私は天国を知らず、天国がどんな所かも知らず、 また天国に入る条件も知らぬ。 スウェーデンボルグのように天使の声を聞けず、 江原のように守護霊の声を聞けず、 しかも釈迦のように宗教的悟りも得たことのない私にとって、 天国を具体的に知ることはできない。 果たして、天国とは何ぞや? . . . 本文を読む

聖書は「無神論」の書

2007-03-21 13:10:19 | 無宗教主義
「聖書は無神論を伝える」と言えば、ビックリされるかもしれない。 しかし聖書は、明らかに無神論を伝える。 いや、聖書こそが、徹底した無神論の書である。 有神論か無神論かを考える時、何をもって神と称するかが問題となる。 アラーを神と称するイスラム教徒にとって、キリスト教徒は無神論である。 なぜならば、イスラム教徒の神を信じていないのだから。 カトリックの立場よりすれば、ルターとプロテスタ . . . 本文を読む

信じるものは救われない!

2007-03-20 14:00:28 | 無宗教主義
信じるものは救われる、という。 本当だろうか? 信じるだけで救われるのならば、何の苦労もありゃしない。 神やキリストを心に描き、まるで本当の父や友のように信頼して、 本当に人間は救われるのだろうか? 神やキリストを信じて救われるぐらいならば、 とうの昔に人類は救われてる筈である。 何故ゆえ、人類は未だに救われぬ状態にあるのか? 人類があまりにも頑迷だからか? . . . 本文を読む

キリストの弟子の運命

2007-03-17 22:23:07 | 聖書読解
誰の弟子となるかによって、その人の人生が決定付けられる。 孔子の弟子とならんか? 彼は礼儀作法に厳格である筈である。 (今の中国人が儒教の国だったとは信じ難い) 釈迦の弟子とならんか? 彼は内省を心がけ、哲学的な真理考究に邁進する筈である。 (今の二世僧侶が仏陀の弟子だとは信じ難い) 老子の弟子とならんか? 彼は融通無碍の真理を会得するために、隠遁的な生活を送っている筈である。 . . . 本文を読む

ただ神の栄光のために

2007-03-13 03:47:17 | 人生の慰め
彼らは天に上り、深みに下り、 その魂はみじめにも、溶け去った。 彼らは酔った人のようによろめき、 ふらついて分別が乱れた。(詩篇107-26・27) イエス・キリストを知る以前の私は、 ずいぶんとみじめなものだった。 何が本当のことであるか一向にわからず、 心の空虚を満たさんために、 あるいは遊興に耽り、あるいは偏執的に仕事に没頭し、 あるいは束の間の恋愛に身を捧げ、 あるいは日本 . . . 本文を読む

自己分析と信仰

2007-03-09 00:46:12 | 人生の慰め
私は人間が嫌いだ。 嫌いで、嫌いで、しょうがない。 考えることといえば自分ばかり、本質を見極めることができないバカで、 他人の恩を忘れ易く、外見ばかりを飾り、束の間の快楽に満足し易く、 同じ間違いを二度も三度も犯し、かかる無能者であるくせに、 やたら反抗心だけは旺盛な人間。 どうしても、人間が好きになれない。 かといって、人間に無関心かというと、そうではない。 13年間一緒にいる . . . 本文を読む