キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

自分に抗して・・・

2011-04-17 16:30:19 | 聖書原典研究(パウロ書簡)
あなたは自分が抱いている確信を,神の御前で心の内に持っていなさい。
(ローマ書14-22/新共同訳)



確信と訳されているπιστισ(ピスティス)とは,信仰とも真実とも訳せる。

イエスに信仰者の模範をみるルカ文書においては,信仰と訳すべきだが,

パウロ書簡においては,(神の)真実と訳すべきだろう。
(ローマ1-17とハバクク2-5の対照によって)

また,「自分が抱いている」と訳されている部分の中には,

κατα(カタ)という語があって,「~に基づいて,~に従って」とも

「~に抗して,~に反対して」とも訳せる。

日本語訳聖書は前者の意味にとって訳したのであろうが,

自分の信念や主義を曲げてまで他者を受け入れよ,とのパウロの考え方から判断すれば,
(ガラテヤ書2章,コリント書Ⅰ8・9章)

「~に抗して」と訳すべきだと思う。

すなわち,訳し直せば,下記のようになる。


あなたは自分に抗して神の真実に与っている。神の御前でそれを持ち続けよ。
(ローマ書14-22/私訳)


この箇所で述べられていることは,確信や信念を持て,ということではない。

この箇所で帰結されていることは,自分自身の思いに反対して,

イエス・キリストにある神の真実を思え,ということである。


他人に面白くないことを言われたり,為されたりする。

その時,この罪深き私は,他人が私に為した数倍の仕打ちをしたくなる。

だが,イエス・キリストの生涯に照らして,私は自分の欲することを為すべきではない。

悪には善を,嘲笑には祝福を,私は私に反して返さねばならない。


社会の状況は,日々神なき正義なき現実を露呈しつつある。

その時,私は,何もかも嫌になって,失望に失望を重ね,最後には自暴自棄になりそうになる。

だが,イエス・キリストの約束に照らして,私は決して絶望すべきではない。

神なき世界に神の希望を,残酷な世の現状に神の恵みを,

私は私に反して待ち望むべきである。
(いや,待ち望むことを許されていると言うべきだろう)



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