すべての人を照らすその真の光が世に来ようとしていた。(ヨハネ伝1-9)
「光が、闇の中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、
キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせて下さったのです。
(コリント書Ⅱ4-6)
神を認識することに関する、聖書のメッセージについて。
一.自然のままの人間は、決して神を認識することができない。
(創世記3-24、ヨハネ伝1-18、5-37、 . . . 本文を読む
そのとき、主は仰せられた。「息に預言せよ。人の子よ。
預言してその息に言え。神である主はこう仰せられる。
息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、
彼らを生き返らせよ」私が命じられたように預言すると、
息が彼らの中にはいった。そして彼らは生き返り、
自分の足で立ち上がった。非常の多くの集団であった。(エゼキエル書37-9・10)
死人―それは必ずしも、身体の活動停止を意味し . . . 本文を読む
キリストのうちにこそ、神の満ち満ちた
ご性質が形をとって宿っています。(コロサイ書2-9)
ピリポはイエスに言った。
「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します」
イエスは彼に言われた。
「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、
あなたはわたしを知らなかったのですか。
わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、
『私たちに父を見せてください』と言うのですか . . . 本文を読む
私が弱いときにこそ、私は強いのです。(コリント書Ⅱ12-10)
ルカ伝18章のイエスの例えにみる、信仰の本質について。
二人の人が、祈るために宮に上った。
一人はパリサイ人で、もう一人は取税人であった。(ルカ伝18-10)
ここに二人の人がいる。
一人は、己こそ神に従順であり、己こそ他人より一段高い
宗教的境地にあると自認する、パリサイ人。
もう一人は、己は神に背き続ける罪人で . . . 本文を読む
わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。
牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、
狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。
それで、狼は羊を奪い、また散らすのです。
それは、彼が雇い人であって、羊のことを心にかけていないからです。
(ヨハネ伝10-11~13)
私はこのブログの他に、「日本社会への警告」というブログを公開しています。
「キリスト者 . . . 本文を読む
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、
世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、
ご自分の民は受け入れなかった。(ヨハネ伝1-9)
放蕩息子のたとえ(ルカ伝15章)を読んで感じた、人生の目的について。
ある人に息子がふたりあった。
弟が父に、「お父さん。私に財産の分け前を下さい」と言った . . . 本文を読む
わたしが父のもとから遣わす助け主、
すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、
その御霊がわたしについてあかしします。
あなたがたもあかしするのです。
初めからわたしといっしょにいたからです。(ヨハネ伝15-26・27)
人間というものは、何かを神に仕立て上げたい存在である。
あるいは物質に、あるいは事業に、あるいは英雄に、
あるいは思想に、あるいは自分に、神の像を求めんとする存在である。 . . . 本文を読む
その所であなたがたは、自分の身を汚した自分たちの行ないと、
すべてのわざとを思い起こし、自分たちの行なったすべての悪のために、
自分自身をいとうようになろう。(エゼキエル書20-43)
人間というものは、悔い改めることのできない存在である。
いや、人間一般は知らないが、私自身はそうだった。
自分の尺度(神の尺度ではない)で、個々の行為を、
多少は反省することができるだろう。
悪口を抑 . . . 本文を読む
こうして、イエスはバプテスマを受けて、
すぐに水から上がられた。
すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、
自分の上に来られるのをご覧になった。
また、天からこう告げる声が聞こえた。
「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」(マタイ伝3-16・17)
私は聖書を読んで、一つだけ解らないことがあります。
(厳密に言えば、もう一つありますが)
それは、三位一体の教義であります。
. . . 本文を読む
ひとりの人(アダム)の不従順によって
多くの人が罪人とされたのと同様に、
ひとり(キリスト)の従順によって
多くの人が義人とされるのです。(ローマ書5-19)
人間は、自分探しの末に、自分自身の本質を知ることはできない。
心理学によって、多少の傾向性を知ることができる。
占いによって、多少の特徴を空想することができる。
他者との接触によって、多少の差異を自覚することができる。
しかし . . . 本文を読む