見よ。神はいと高く、私たちには知ることができない。
その年の数も測り知ることができない。(ヨブ記36-26)
人はいかにして救われるか?
罪の煩悶を経験してより、私は私を救う道を探し求めて、
様々な手段を試してみた。
私は初めに、自分自身の意志力によって、罪の呪縛から脱却しようとした。
朝に善なる生涯を決意しても、夜には悪なる所業を悔やむ日々。
私の内に棲む悪念は、意志力によって . . . 本文を読む
私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。
私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。
たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、
私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。
私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、そこでも、
あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私捕えます。(詩篇139-7~10)
たとえ私が、下っ端の労働者としてボロ雑巾のように使われていよう . . . 本文を読む
主よ、なぜですか?
私はあなたのために、私があなたに属することを周囲に告白致しました。
また私はあなたのために、歴史はあなたの指揮の下にあることを発表致しました。
しかし、何も変わりません。何も起こりません。
私はある時、あなたの声を聞きました。
それが心理学でいうところの自己愛的幻聴であったか、
もしくは真実のあなたの声であったかは、あなたがご存じです。
しかし、すべては無駄でした . . . 本文を読む
最近の日本社会はどうかしている。
官僚は己の業務を遂行することができず(社保庁の怠慢)、
政治家は自党の繁栄しか願うことができず(自民党の憂慮)、
教師は児童を食い物にし(ロリコン教師の跋扈)、
宗教家は胡散臭い教義を公然と語り(カルト教団の拡大)、
母親が子どもを殺し、少女が学校で出産する時代である。
日本だけではない、世界もそうである。
アメリカは正義の名のもとに世界秩序を乱し、 . . . 本文を読む
さて、ゼベダイの二人の子、ヤコブとヨハネが、イエスのところに来て言った。
「先生。私たちの頼み事をかなえていただきたいと思います」
イエスは彼らに言われた。「何をしてほしいのですか」
彼らは言った。「あなたの栄光の座で、一人を先生の右に、一人を左に座らせて下さい」
しかし、イエスは彼らに言われた。
「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。
あなたがたは、わたしが飲もうとする杯 . . . 本文を読む
私の唯一の趣味は読書であるが、いつもあるテーマを決めて、
そのテーマを掘り下げる中で、様々な書に手を出す。
25歳の時に定めたテーマが、「組織とはいかにして永続するか?」であった。
当時私はいわゆる金融コンサルティング関係のベンチャー企業に所属していたので、
企業がいかにして成長し、いかにして倒産するか、
そういうことに興味を持ち、暇さえあれば研究したものだった。
ある時は社史をもと . . . 本文を読む
事業の成功が、必ずしも良いことではない。
だからといって、事業の失敗が良いことに繋がる訳でもない。
成功に溺れ、失敗で卑屈になる者もいるのである。
友人が多いことが、必ずしも良いことではない。
だからといって、孤独の人生が良いという訳でもない。
多くの友人がいても一人の親友もいない者もいる、
唯我独尊を気取って、他人を恐れる臆病者もいる。
教会に行くことが、必ずしも良いことではな . . . 本文を読む
律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕えられたひとりの女を連れて来て、
真中に置いてから、イエスに言った。
「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。
モーゼは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。
ところで、あなたは何と言われますか」(ヨハネ伝8-3~5)
人は道徳をもって、わが身を責める。
そして私の良心も、道徳をもってわが身を責める。
私は内より外より、道徳 . . . 本文を読む
主イエス・キリストは言い給うた、
「あなたがたはこの世に憎まれる」と。
それは、何かキリスト者の個人的な性格のゆえに、憎まれるという意味ではない。
イエス・キリストを信じ、彼に属するがゆえに、この世の人々から憎まれるという意味である。
もちろん、いわゆる迫害という形で、生命上の危険を蒙ることは稀だろう。
この信教の自由が確立されている今日であれば、イエスを信じることによって、
生命上の危険を感じることはないだろう。
. . . 本文を読む
アブラハムはある時、神からの召命を受け、
飄然一人立って、生まれ故郷を出て行った。
彼が召された目的は、彼をもって大いなる国民を興すためであった。
彼は神と出会った、そして神がこの世を統治し、神がこの世に語り給う言葉を聞いた。
もはや彼は、この世の人ではなく、神の側に置かれた人物となった。
もちろん、神に出会ったからといって、超能力を身につけたり、
特別な力が降ったりした訳ではなかった。
. . . 本文を読む