パウロ書簡のキーワードに、δοκιμαζω(ドキマゾー)という語がある。
この語は「吟味する、確かめる」という意味であって、
吟味した結果として「是認する」という意味にもなる。
語の使用頻度もそうだが、使われている重要度においても、
この語は、「義(δικαιοσυνη)」とか「キリストにあって(εν Χριστω)」
に匹敵するパウロ書簡のキーワードなのである。
問題なのは、何を吟味 . . . 本文を読む
前回の投稿記事において、同じ福音書・同じ記事といえども、
書いている著者によって、その意味あいは随分異なることを書いた。
今回も、マルコ伝とマタイ伝における意味あいの違いを一つ。
どの福音書にも記述されている、イエスがヨハネから洗礼を受ける場面。
マルコにおいては、イエスが水から上がられることに強調点が置かれ、
ヨハネの洗礼は「イエスの復活」という意味あいが与えられ、
マルコ伝そのも . . . 本文を読む
聖書には3つの福音書があって、イエスの生涯を伝えている。
(ヨハネ伝は少し別格の福音書だから除外する)
マルコ伝、マタイ伝、ルカ伝である。
これらは通常、共観福音書と呼ばれている。
みな、イエスの生涯を伝えたものである。
だが、書いた当事者が違うから、同じような記事であっても、
その解釈は随分と違う。
我々が聖書を読む際、留意せねばならないことは、
彼らの福音書を読んで、イエスとい . . . 本文を読む
そのとき、ある律法学者が近づいて、
「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った。
イエスは言われた。
「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」
ほかに、弟子の一人がイエスに、
「主よ、まず、父を葬りに行かせて下さい」と言った。
イエスは言われた。
「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい」
(マタイ伝8-19~ . . . 本文を読む