どうして神は、神に最後まで従順だったイエスの叫びに対し、
沈黙していたのか?
どうして神は、神を最も愛し、神を最も宣べ伝えた男の嘆きを、
聞き給わなかったのか?
イエスが水から上がられた際、神は祝福されたではないか!?(マタイ伝3-16・17)
イエスがその最期を思った時、神は答えられたではないか!?(マタイ伝17-5)
何故ゆえ、神は、イエスが最も必要とされた時に、
何も答え給わなかったのか?
神は何故、沈黙されていたのか? . . . 本文を読む
世の中には、人間をタイプ別に分ける考え方があるが、
最も的確な区別は、キリスト者と非キリスト者という区別である。
なぜならば、キリスト者は既に救われた者であり、
非キリスト者は未だ救いの恩恵を知らない者である。
人間は神の被造物であれば、神の御子を信ずるか否かによって、
人間は決定的に二手に分かれると思うのである。 . . . 本文を読む
今日は旧約聖書に登場する預言者ヨナの話。
私は今まで、ヨナ書に対し、あまり興味を感じていなかった。
それは、イザヤ書やエレミヤ書に比べ、魚に飲み込まれるとか物語的要素が多く、
他の預言者に比べ、信仰者に対する現実的示唆が少ないと思っていたからだ。
しかし、他ならぬ主イエスがヨナ書を引用しておられるし、
注意深く読んでみて、深い深い教訓が示唆されていると思い、
自分の浅はかな判断を悔い . . . 本文を読む
ギリシャの哲学者アリストテレスが鋭く指摘したように、
人間というものは誰しも、自分の幸福を求めるものだ。(「ニコマコス倫理学」)
「幸せになりたい」「自分の欲求・理想が満たされたい」
かかる思いで、世界約60億人の人間は日々生きている。
そういう意味で、人間はみな同じである。
しかし困ったことに、人間というものは、
幸福になり難く、不幸になり易い。
. . . 本文を読む
去年の4月から妻の勧めによりブログ(「キリスト者の慰め」)を始めて以来、
良きことがたくさんあった。
何が良かったといって、この無神論が蔓延する世の中に、
キリストを信じて生きる人々がいること、それを知れたことである。
2000年に回心して以来、私の周囲にはキリスト者など一人もいなかったから、
教会に通っていない私にとって、それは想像を絶することだ。
属する教会の違いや職業の違いはあれ、この同じ世界に、
キリストを信じて真面目に生きる人々がいる。 . . . 本文を読む
ピラトとイエス。
神の子を裁く人と、人に裁かれる神の子。
イエスが十字架につけられる前の、この両者の対峙の中に、
人間が真理に対し、いかなる態度を取らねばならないかが垣間見える。 . . . 本文を読む
キリスト者とは、イエス・キリストに出会った者である。
自分が望んでもないのにイエスは来たり、
自分が愛した訳でもないのにイエスに愛され、
自分が信じようと欲した訳でもないのに、信じるよう強いられた人間である。
イエスが我らの罪を贖い給うた、我らはただただ信ずればよい、
この信仰によって、キリスト者の生は開始される。
キリスト者の生は信仰に始まる、ならばその次に来るものは何か? . . . 本文を読む
キリスト教徒
「私はこの前、大きなミスを犯しました。
しかし神は、私を憐れんで、ミスによる悪影響を最小限にして下さった。
神は実に愛であります、神はこのようにして、日々我らを導いてくれるのです」
キリスト者
「それは単に、あなたが無能だったからでしょう。
あなたの仕事上のスキルを、もっと上げればよい話ではありませんか。
あなたの失敗は、あなたの責任なのであります。
神だのイエスだの持ち出して、自己弁護するのはやめて頂きたい」 . . . 本文を読む
一つ目は、北欧の神秘家スウェーデンボルグの予言である。
いつか地球面上に今までの文明国の人々が知らない国民が出て来る。
しかもその国民はヨーロッパ人の夢にも見ない思想をもって、
世界に登場するだろう。
二つ目は、カルヴァン神学を徹底させた神学者カール・バルトの言葉である。
やがて東洋のキリスト教が、西洋の遺産を真剣に摂取した上で、
イエス・キリストにおいて語られた神の御言葉の
全く独 . . . 本文を読む