神の恵みによって,すべての人のために死んでくださったのです。
(ヘブライ書2-9/新共同訳)
「神の恵みによって」と訳されている箇所の原文は,
「カリス テオウ(χαρισ θεου)」である。
ネストレ新版もこの訳を採用しているが,この箇所の異文に,
「コーリス テオウ(χωρισ θεου)」というものがある。
訳すと,「神から離れて」である。
聖書を伝えたキリスト教会は,自身の教義を正当化するために,
多くの改変,付加,書き換えを行ってきたことを考えれば,
私は,異文の方を採用すべきだと思う。
「私たちの信じるイエス様は神である,その父なる神は愛である」ということを強く意識して,
χωρισ(離れて)をχαρισ(恵み)に書き換えたとする方が,
理に適っていると思うのである。
また,ヘブライ書のキーワードの一つが,このχωρισ(離れて)であることを考えれば,
なおさらである。
イエス・キリストは,神の恵みによって,死んだのではない。
すべての人の罪を贖うために,神に等しき者が神から離れて,
涙し,叫び,嘆願しつつ,神なき世の苦しみを担って,死んだのである。
(ヘブライ書5-7)
「神から離れて」を「神の恵みによって」と変えて,
このイエスの苦しみを,予定調和的に軽減すべきではない。
そして,かかる激しい苦しみを経たイエスこそ,
神なき世に生きる我らにとって,「神の恵み」である。
正義は通らず,筋も通らず,善人は不遇に喘ぎ,義人が犠牲になるこの世。
かかる世に生き,孤独をかこうからこそ,
「神から離れて」が最大の恵みであることを知るのである。
(ヘブライ書2-9/新共同訳)
「神の恵みによって」と訳されている箇所の原文は,
「カリス テオウ(χαρισ θεου)」である。
ネストレ新版もこの訳を採用しているが,この箇所の異文に,
「コーリス テオウ(χωρισ θεου)」というものがある。
訳すと,「神から離れて」である。
聖書を伝えたキリスト教会は,自身の教義を正当化するために,
多くの改変,付加,書き換えを行ってきたことを考えれば,
私は,異文の方を採用すべきだと思う。
「私たちの信じるイエス様は神である,その父なる神は愛である」ということを強く意識して,
χωρισ(離れて)をχαρισ(恵み)に書き換えたとする方が,
理に適っていると思うのである。
また,ヘブライ書のキーワードの一つが,このχωρισ(離れて)であることを考えれば,
なおさらである。
イエス・キリストは,神の恵みによって,死んだのではない。
すべての人の罪を贖うために,神に等しき者が神から離れて,
涙し,叫び,嘆願しつつ,神なき世の苦しみを担って,死んだのである。
(ヘブライ書5-7)
「神から離れて」を「神の恵みによって」と変えて,
このイエスの苦しみを,予定調和的に軽減すべきではない。
そして,かかる激しい苦しみを経たイエスこそ,
神なき世に生きる我らにとって,「神の恵み」である。
正義は通らず,筋も通らず,善人は不遇に喘ぎ,義人が犠牲になるこの世。
かかる世に生き,孤独をかこうからこそ,
「神から離れて」が最大の恵みであることを知るのである。
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