キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

大祭司としてのイエス

2011-11-13 16:18:22 | 聖書原典研究(ヘブル書・黙示録)
神の恵みによって,すべての人のために死んでくださったのです。
(ヘブライ書2-9/新共同訳)



「神の恵みによって」と訳されている箇所の原文は,

「カリス テオウ(χαρισ θεου)」である。

ネストレ新版もこの訳を採用しているが,この箇所の異文に,

「コーリス テオウ(χωρισ θεου)」というものがある。

訳すと,「神から離れて」である。

聖書を伝えたキリスト教会は,自身の教義を正当化するために,

多くの改変,付加,書き換えを行ってきたことを考えれば,

私は,異文の方を採用すべきだと思う。

「私たちの信じるイエス様は神である,その父なる神は愛である」ということを強く意識して,

χωρισ(離れて)をχαρισ(恵み)に書き換えたとする方が,

理に適っていると思うのである。

また,ヘブライ書のキーワードの一つが,このχωρισ(離れて)であることを考えれば,

なおさらである。


イエス・キリストは,神の恵みによって,死んだのではない。

すべての人の罪を贖うために,神に等しき者が神から離れて,

涙し,叫び,嘆願しつつ,神なき世の苦しみを担って,死んだのである。
(ヘブライ書5-7)

「神から離れて」を「神の恵みによって」と変えて,

このイエスの苦しみを,予定調和的に軽減すべきではない。

そして,かかる激しい苦しみを経たイエスこそ,

神なき世に生きる我らにとって,「神の恵み」である。

正義は通らず,筋も通らず,善人は不遇に喘ぎ,義人が犠牲になるこの世。

かかる世に生き,孤独をかこうからこそ,

「神から離れて」が最大の恵みであることを知るのである。



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