キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

マルコのメッセージ

2010-07-25 15:41:44 | 聖書原典研究(共観福音書)
マルコ伝を読了し、今度はマタイ伝を読解しつつある。 今日はマルコ伝読解において、気づいたことを一つ。 我々は通常、何らかの先入観をもって福音書を読んでいるものだ。 たとえば、マルコはペテロの弟子だったとか、マルコは事実を重んじる人だとか。 そして、かかる諸前提から、福音書の言葉を理解しようとする。 だが、我々が当然だと思っている事柄は、たいてい何の根拠もない。 マルコはペテロの通訳だ . . . 本文を読む

ああ、聖書研究

2010-07-11 16:06:28 | 人生の慰め
原典にてマルコ伝を15章まで読了した。 あと2、3日あれば、読了することになる。 5月の半ばから始めたマルコ伝研究であるから、 実に2ヶ月かかったことになる。 毎日毎日、夜な夜なわけのわからんギリシャ語を見つめて、 たいていは意味が不明瞭のまま終わるのであるから、 我ながら頑張ったものだ。 聖書を研究することは、実に至難の業である。 コイネーギリシャ語の文法を一旦学び、 辞典を . . . 本文を読む

行間にある福音

2010-07-04 16:42:54 | 聖書原典研究(パウロ書簡)
あなた方は私たちに倣う者、また主にも倣う者となった。 (テサロニケ書Ⅰ1-6/新共同訳) 人間というものは、自分の崇拝しているものを、 客観的に観れなくなる性質があるようだ。 たとえば、金。 金を崇拝し、金を求める人間にとって、 一万円札は、何か特別の価値が付随しているように感じる。 しかし一万円札は、紙とインクでできているもの。 そのもの自体に価値はない。 その価値を生み出し . . . 本文を読む