「懐かしい年への手紙」を読み終わった。
大江健三郎氏が文庫化に際して書き加えた後書には胸打たれるものがあった。
ネタバレが一部あるが、まあ書き進めていこうと思う。あと俺の推測も存分に差し挟んでいる。
作中の最重要人物、ギー兄さんが最後のほうで独白する箇所がある。
「これで自殺しないですみそうだ。病気によって死ぬことができる」という意味合いの台詞。そしてそれまでダンテを読み進めることをライフワークとしてきたギー兄さんの生涯。
それらは大江氏の同作を書いている当時の心情と生活態度が反映されたものだということ。
つまりは、(俺が行間に読み取った事柄も含めて書くが)大江氏は当時自殺願望に苛まれていて、しかしなんとかダンテを読むことで日常生活を保っていたという事実。
後書でそれへの言及があった。
ギー兄さんは大江氏自身と複雑に絡み合った人物設定であると。
ニアリーイコールの関係ですらあるかもしれない。
そう考えると、この小説はまったく違う色彩を帯びてくる。
ネタバレすいませんでした。
とにかく、この小説は大江氏の仕事の中で氏自身にとって特に意義深い作品であると。
それはビシビシ伝わってくる。
今日からは
ジャン・ジュネ「泥棒日記」
を読もうと思う。
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アリス・イン・ワンダーランドが3D映画だということを初めて知った。
観にいこうと思っているので、これが俺の3D映画初体験ということになろう。
実際どうなんだろうか。現在の2Dに取って代わるコンテンツになり得るのだろうか。
俺は必要としていないが。
とにかく体験だけはしておこうと思う。
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大江氏の作品にはよく
「~~~~、実際に『あっ』と叫びもしたのだ。~~~」
のような表現がよく出てくるが、おそらく大江氏の大作を読み終えた読後感からということであろうが、今朝まどろみのなかで実際に「あっ」と耳元で叫ばれた気がして(それほどリアルな声だった)起きた。
アル中による幻聴じゃなければいいが。
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20日、TOKYO No.1 SOUL SETとスチャダラが新宿のタワレコでライブ。大混雑だろう。行きたいが、野暮用で無理。
大江健三郎氏が文庫化に際して書き加えた後書には胸打たれるものがあった。
ネタバレが一部あるが、まあ書き進めていこうと思う。あと俺の推測も存分に差し挟んでいる。
作中の最重要人物、ギー兄さんが最後のほうで独白する箇所がある。
「これで自殺しないですみそうだ。病気によって死ぬことができる」という意味合いの台詞。そしてそれまでダンテを読み進めることをライフワークとしてきたギー兄さんの生涯。
それらは大江氏の同作を書いている当時の心情と生活態度が反映されたものだということ。
つまりは、(俺が行間に読み取った事柄も含めて書くが)大江氏は当時自殺願望に苛まれていて、しかしなんとかダンテを読むことで日常生活を保っていたという事実。
後書でそれへの言及があった。
ギー兄さんは大江氏自身と複雑に絡み合った人物設定であると。
ニアリーイコールの関係ですらあるかもしれない。
そう考えると、この小説はまったく違う色彩を帯びてくる。
ネタバレすいませんでした。
とにかく、この小説は大江氏の仕事の中で氏自身にとって特に意義深い作品であると。
それはビシビシ伝わってくる。
今日からは
ジャン・ジュネ「泥棒日記」
を読もうと思う。
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アリス・イン・ワンダーランドが3D映画だということを初めて知った。
観にいこうと思っているので、これが俺の3D映画初体験ということになろう。
実際どうなんだろうか。現在の2Dに取って代わるコンテンツになり得るのだろうか。
俺は必要としていないが。
とにかく体験だけはしておこうと思う。
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大江氏の作品にはよく
「~~~~、実際に『あっ』と叫びもしたのだ。~~~」
のような表現がよく出てくるが、おそらく大江氏の大作を読み終えた読後感からということであろうが、今朝まどろみのなかで実際に「あっ」と耳元で叫ばれた気がして(それほどリアルな声だった)起きた。
アル中による幻聴じゃなければいいが。
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20日、TOKYO No.1 SOUL SETとスチャダラが新宿のタワレコでライブ。大混雑だろう。行きたいが、野暮用で無理。