人生初のフルマラソンとなった第3回松本マラソンを完走しました。
今回のデータは以下の通りです。
・~2.5km 緩い下り坂 スタート直後の速い流れに乗らない。スピードを出し過ぎない。
・~ 10km 緩い上り坂 ペースを安定させる。
・~ 25km アップダウンの繰り返し 1km30秒前後の乱れは気にしない。
・~32.6km 二子橋折り返しまで緩い下り坂 スピードを出し過ぎるとバテる。ペースを抑え過ぎてもダメ。身を任せて力を抜いた走り!
・~42.2km 緩い上り坂 ゴールへ向けて根気!
以上のレースプランに基づいて、記憶の許す限りレース本番を振り返ってみます。
スタート時から小雨が舞い始め、5kmくらいまでは少し肌寒く感じました。スタート直後に、長野県出身のモノマネ芸人「ニッチロー」さんが車の上からパフォーマンスしながら応援してくれて、元気をもらいました。
体が温まってくると、普段通りの走りができている自分に気づきました。沿道の応援が素晴らしいので、ついついスピードを上げたくなってしまいますが、私は「ラスト10kmのために、前半は我慢!」と決めていましたので、とにかく5分25秒/km前後を死守することを心がけました。少しでもペースが上がると自分に向かって「我慢!我慢!まだ我慢!」と叫んでいたので、周囲のランナーから見たら、異様な人に映ったかも知れません(笑)。
10km地点で「(グロスで)サブ4ペースだよ!」と係員が声をかけて下さり、「まずまずの前半。ここから!」と自分を納得させるように独り言ちました。
17km地点では既に足が攣っているランナーがいたので、持っていた塩熱サプリを分けてあげて、「頑張りましょう!」と声をかける余裕が出てきました。
スタートがCブロックで、スタート直後の混雑もあってグロスタイムが気になっていましたが、中間点(21.0975km)を2時間を少し切るグロスタイムで通過できました。ネットタイムはもちろんですが、グロスでもサブ4を達成して、真のサブ4になりたかったので、少し気持ちが落ち着いて、後半に入りました。
25kmが最高地点で、ここからは緩やかな下りです。しかもフィニッシュとなる陸上競技場を横に見ながら通過するという残酷なコース設定。私が27kmを通過したくらいに、既にトップはゴールしているという・・・。40kmの表示を横目に見ながら、まだ15kmあるぞと気合いを入れました。
今年に入って既に1,500km以上を走り込んでいますが、練習での一回当たりの最長距離は25kmなので、25km以降に自分の身体に起こる変化も、ある意味、楽しみにしていました。また、フルマラソンでは「30kmの壁」があり、30km過ぎに足が止まってしまうことは重々知っていたので、心して臨みました。
32.6kmの折り返し地点は、16年前に留学から帰国して一年間住んでいた街だったので、懐かしい気持ちで走れました。そして、この折り返しからゴールまでは緩やかな上りがずっと続きます。30kmを過ぎ、しかも上り。天気も回復し気温が上がっていました。でも予想したほど足のダメージは感じませんでしたし、心肺機能は全く普通でした。腕を振って体幹で走ることを心がけました。
30kmを過ぎると歩き始める人が増え、抜かすことが多くなりました。これはとても気持ちのいいことです。逆に抜かれると、気落ちしたことでしょう。前半は飛ばしたくても我慢し、後半や終盤のための体力を残しておく。やはり、マラソンは後半型のレースメイキングが奏功します。
35kmを過ぎるとさすがに足が重たくなってきましたが、携帯したジェルや塩羊羹で気分転換をはかり、給水所でいただいた梅干しを頬張って気持ちを入れ替えました。これまでの人生で走った最長距離は、高校時代の強歩大会での37kmでしたので、37kmを過ぎた時は「自己最長記録更新!」とテンションを上げて、最後の上りを頑張りました。
40km過ぎからは込み上げてくるものを抑えきれず、涙しながら走っていました。3年前に走り始めていなかったら、今この場所にはいない。そして、この感動と達成感を味わうも術も知らなかった。ランニングを通して知り合った“ラン友さん”との出会いもない。人生はきっとつまらない方向へ進んでいたはず・・・。
だからこそ、ゴールした時の感動は筆舌に尽くし難く、感涙にむせびました。沿道の応援とボランティアの方々のサポートと声掛けが素晴らしく、何度も救われました。感謝申し上げます。ゴール後は信濃毎日新聞の取材を受け、本日の朝刊にも載せていただきました。ありがとうございます!これで今年の目標は達成しましたが、ここがゴールではありません。走ることの楽しさに憑りつかれてしまった以上、これからもずっと走り続けますし、次のフルマラソンでサブ3.75(3時間45分未満)やサブ3.5(3時間30分未満)で走りたいという欲も出てきました。
目標は目指すものではなく、結果として残すもの。そのために日々の小さな努力の積み上げがある訳です。これからもそんな当たり前のことを、ランニングと英語指導を通して生徒たちに教えていきたいと、想いを強くした初フルマラソンとなりました。
人はやればできる。
年齢なんて関係ない。
継続こそ力。
自分を信じられるようになるために、日々の努力がある。
「初フルマラソンでサブ4」という今年最大の目標に向かって2019年を過ごしてきました。日々の努力と継続、家族の協力と応援、ラン友さんからのアドバイス・・・。すべてが見事にかみ合い、手元のネットタイム 3時間50分57秒で、目標を達成することができました。正式な記録証は後日届きますが、グロスタイムでもサブ4を達成しました。
信州スカイパーク陸上競技場に入る直前、41.7km地点
今回のデータは以下の通りです。
走行距離 42.195km1kmごとのラップ
コース高低差 90m
タイム 3時間50分57秒(ネット)
平均ラップ 5分26秒/km
消費カロリー 2,028カロリー
1km 6分08秒今回のレースプランは昨日の記事にも書きましたが、初フルマラソンでサブ4を達成できたひとつの要因は、信濃毎日新聞で前日まで4回にわたって寄稿されたランニングトレーナー長崎将利さんのアドバイスです。そのコース攻略法を箇条書きして暗記し、臨みました。
2km 5分25秒
3km 5分24秒
4km 5分26秒
5km 5分27秒
6km 5分25秒
7km 5分29秒
8km 5分23秒
9km 5分25秒
10km 5分25秒
11km 5分19秒
12km 5分32秒
13km 5分28秒
14km 5分27秒
15km 5分23秒
16km 5分15秒
17km 5分28秒
18km 5分20秒
19km 5分11秒
20km 5分16秒
21km 5分41秒
22km 5分22秒
23km 5分35秒
24km 5分28秒
25km 5分20秒
26km 5分28秒
27km 5分19秒
28km 5分33秒
29km 5分20秒
30km 5分25秒
31km 5分26秒
32km 5分23秒
33km 5分37秒
34km 5分34秒
35km 5分12秒
36km 5分36秒
37km 5分34秒
38km 5分37秒
39km 5分41秒
40km 5分26秒
41km 5分21秒
42km 5分13秒
大会パンフレットの高低図
GARMINによる実際の高低図
・~2.5km 緩い下り坂 スタート直後の速い流れに乗らない。スピードを出し過ぎない。
・~ 10km 緩い上り坂 ペースを安定させる。
・~ 25km アップダウンの繰り返し 1km30秒前後の乱れは気にしない。
・~32.6km 二子橋折り返しまで緩い下り坂 スピードを出し過ぎるとバテる。ペースを抑え過ぎてもダメ。身を任せて力を抜いた走り!
・~42.2km 緩い上り坂 ゴールへ向けて根気!
以上のレースプランに基づいて、記憶の許す限りレース本番を振り返ってみます。
スタート時から小雨が舞い始め、5kmくらいまでは少し肌寒く感じました。スタート直後に、長野県出身のモノマネ芸人「ニッチロー」さんが車の上からパフォーマンスしながら応援してくれて、元気をもらいました。
体が温まってくると、普段通りの走りができている自分に気づきました。沿道の応援が素晴らしいので、ついついスピードを上げたくなってしまいますが、私は「ラスト10kmのために、前半は我慢!」と決めていましたので、とにかく5分25秒/km前後を死守することを心がけました。少しでもペースが上がると自分に向かって「我慢!我慢!まだ我慢!」と叫んでいたので、周囲のランナーから見たら、異様な人に映ったかも知れません(笑)。
10km地点で「(グロスで)サブ4ペースだよ!」と係員が声をかけて下さり、「まずまずの前半。ここから!」と自分を納得させるように独り言ちました。
17km地点では既に足が攣っているランナーがいたので、持っていた塩熱サプリを分けてあげて、「頑張りましょう!」と声をかける余裕が出てきました。
スタートがCブロックで、スタート直後の混雑もあってグロスタイムが気になっていましたが、中間点(21.0975km)を2時間を少し切るグロスタイムで通過できました。ネットタイムはもちろんですが、グロスでもサブ4を達成して、真のサブ4になりたかったので、少し気持ちが落ち着いて、後半に入りました。
25kmが最高地点で、ここからは緩やかな下りです。しかもフィニッシュとなる陸上競技場を横に見ながら通過するという残酷なコース設定。私が27kmを通過したくらいに、既にトップはゴールしているという・・・。40kmの表示を横目に見ながら、まだ15kmあるぞと気合いを入れました。
今年に入って既に1,500km以上を走り込んでいますが、練習での一回当たりの最長距離は25kmなので、25km以降に自分の身体に起こる変化も、ある意味、楽しみにしていました。また、フルマラソンでは「30kmの壁」があり、30km過ぎに足が止まってしまうことは重々知っていたので、心して臨みました。
32.6kmの折り返し地点は、16年前に留学から帰国して一年間住んでいた街だったので、懐かしい気持ちで走れました。そして、この折り返しからゴールまでは緩やかな上りがずっと続きます。30kmを過ぎ、しかも上り。天気も回復し気温が上がっていました。でも予想したほど足のダメージは感じませんでしたし、心肺機能は全く普通でした。腕を振って体幹で走ることを心がけました。
30kmを過ぎると歩き始める人が増え、抜かすことが多くなりました。これはとても気持ちのいいことです。逆に抜かれると、気落ちしたことでしょう。前半は飛ばしたくても我慢し、後半や終盤のための体力を残しておく。やはり、マラソンは後半型のレースメイキングが奏功します。
35kmを過ぎるとさすがに足が重たくなってきましたが、携帯したジェルや塩羊羹で気分転換をはかり、給水所でいただいた梅干しを頬張って気持ちを入れ替えました。これまでの人生で走った最長距離は、高校時代の強歩大会での37kmでしたので、37kmを過ぎた時は「自己最長記録更新!」とテンションを上げて、最後の上りを頑張りました。
40km過ぎからは込み上げてくるものを抑えきれず、涙しながら走っていました。3年前に走り始めていなかったら、今この場所にはいない。そして、この感動と達成感を味わうも術も知らなかった。ランニングを通して知り合った“ラン友さん”との出会いもない。人生はきっとつまらない方向へ進んでいたはず・・・。
だからこそ、ゴールした時の感動は筆舌に尽くし難く、感涙にむせびました。沿道の応援とボランティアの方々のサポートと声掛けが素晴らしく、何度も救われました。感謝申し上げます。ゴール後は信濃毎日新聞の取材を受け、本日の朝刊にも載せていただきました。ありがとうございます!これで今年の目標は達成しましたが、ここがゴールではありません。走ることの楽しさに憑りつかれてしまった以上、これからもずっと走り続けますし、次のフルマラソンでサブ3.75(3時間45分未満)やサブ3.5(3時間30分未満)で走りたいという欲も出てきました。
目標は目指すものではなく、結果として残すもの。そのために日々の小さな努力の積み上げがある訳です。これからもそんな当たり前のことを、ランニングと英語指導を通して生徒たちに教えていきたいと、想いを強くした初フルマラソンとなりました。
人はやればできる。
年齢なんて関係ない。
継続こそ力。
自分を信じられるようになるために、日々の努力がある。
信濃毎日新聞 電子版号外より
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