OT園通園日記

車椅子生活の母を老人ホームへ訪ねる日々。でもそればかりではいられない!日常のあれこれを書いています。

手を洗う

2005年11月05日 | Weblog
OT園から帰宅し、洗面所に飛び込んで手を洗う。
ていねいに石けんを泡立て、いつもより念入りに。

手を洗いながら、ポンティオ・ピラトさんのことを思い浮かべる。
彼は群衆の前で手を洗った。
2000年ほど前のこと。
キリストの処刑の決定が自分とは関係ないことを示すために。

夕方訪ねた母はしつこく「明日は家に帰れるのよね。」と繰り返した。
なんとか話題をそらせたいと試みるのだが、なかなか成功しない。
「明日の朝、ご飯を食べたらすぐタクシーに乗るわ」
「お金は事務所に預けてあるのよね」
「ここの荷物は宅急便で送ってもらえるのよね」etc.
一通りの念押しが終わると「安心したわ!」とにっこりし、また初めから同じ問答を繰り返す。

以前は「まだ帰れないでしょう」とか、「帰っても、一人で何にもできなくてこまるでしょ」などと本当のことを告げて母を怒らせたり、悲しませたりしたこともあった。
でも、今は母の言葉に逆らわず、「明日ね」「大丈夫よ、全部準備しておいたから」と調子を合わせることにしている。

身体の動きがよくなって、もう自宅で暮らせると判断したのだろうか、母はすっかり退院気分である。
「今日の午後は誰が来たの?」と尋ねても「さあねぇ、この頃みんな忘れちゃって、よく分からないわ」と平気な母。
そんな母を一人で家に帰すはずがない…というのはこちらの考えで、今の母には自分の気持ちしかない。
「明日は家に帰れる、うれしいわ」と繰り返す。
ずいぶん壊れてしまったのだなあと悲しく思う私にはお構いなく。

夕食の席では同じテーブルのお友達に「これで夕食をご一緒するのは最後になりました。今まで本当にありがとうございました。」と挨拶。
介護士さんや看護師さんにも「本当にお世話になって、ありがとうございました。」と本気で別れの言葉を言っていた。
普段なら夕食を食べ始めるまで残っているのだが、今日は耐えきれなくなって、少し早めに退出した。

そして私は手を洗う。
今まで母に言ったこと、母が喜ぶ顔が洗い落とせればいいのにと思いながら。
私のせいじゃあない、私が悪いんじゃない、つきたくてついてるウソじゃないのよと心の中でつぶやきながら。

皆の前で手を洗ってみせるというのは、自分には責任がないことを示すローマ帝国の習わしだったそうだ。
古今東西を超えて共通な人間の所作があるのだなあと、変なところで感心しながら、しばらくの間手を洗い続けた。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿