新 ゆ~ゆ~日記

一生独身を決めた男の自堕落で貧乏くさい日記

まんびき

2016年11月30日 | 普段の日記
先日、花畑広場でやってたラーメン選手権に行く途中、サンロード新市街を通りながら、ふとした疑問がわきました。

それは万引きについて。
よくテレビで万引きGメンを取り上げた番組とかありますが、見てたら大体がレジで精算していない品物を持ったまま店を出るとGメンに声をかけられて、はいアウト!事務所へ連行!となるわけです。

でもね、下の写真見てください。



これって、完全に店から出てますよね。
ひどいのは3~4mくらい出てます。
なので、店の外に出てる商品は、万引きGメンの定義でいくと、手に取った時点で「万引き」ということになりますよね。
いや、それとも、バッグなどに入れなければ良いのか?
手に取った時点でアウトにならないとしても、もう店から3~4mくらい出てる商品を、どの辺まで持って離れればアウトなのか?
更に3m?それとも5m?アーケードを出るまで?

あと、店内で買い物しながら、「そういえば入り口で75円のクリニカ売ってたな。あれも買おうかな。」と思って、店内の商品を持ったまま外に出たら万引き成立ですよね。
未精算の商品を店外に持ち出したわけですから。
まぁ、良心に任せている部分は大きいのでしょうけど、こんなにせり出した商品の陳列はどうなのかな?と。真田丸じゃあるまいし。

というわけで、ひねくれ者による、ひねくれた疑問でした。



あ、ラーメン選手権では東京の某有名醤油ラーメン食べましたが、正直言って微妙・・・。
チャーシューは抜きにして、ラーメン自体は良くできたカップラーメンって感じでした。
器もカップラーメンのそれでしたし。

またごきんじょ

2016年11月28日 | 普段の日記
昨日、バイクで出かけようとしてたら、アパートの共同玄関を出るときに後ろから誰かに声をかけられました。
声をかけたのは婆さんで、どうやら、カード式のロックの方法がわからないらしい。
よくみると、なんと2012年7月の九州北部豪雨で屋根が落ちた前の前の家に住んでたときの、斜め向かい前の婆さんでした。
どうやら、そこも家が傾いて玄関とかが開かなくなって、同じアパートの1階に引っ越してきたらしいっす。
特徴のある車に乗ってたので、駐車場に「何か見たことのある車が駐まってるな~」と思ってたら、やっぱりそうでした。

で、ロックですが、前に自分がわからなかったように、出かけるときのロックのやり方がわからないらしい。
そこで、カードをかざして、ピッと鳴ったら、一度レバーを下げる、というのを教えてあげました。
しかしまぁ、またご近所になるとは、世の中やっぱり狭いっすね。


あと、毎日前の家に戻ってますが、何だかんだで落ち着く・・・。
しょっちゅう揺れますが、4年ちょっと暮らしたので、愛着があります。
今のアパートは何年住んでも愛着が湧く気は全くありません。
左隣さえうるさくなかったら・・・('A`)

熊本地震の記憶 Part3

2016年11月26日 | 熊本地震
 2016年4月17日

 倉庫は2度の大地震を耐えており、倒壊する心配は無いと安心し、広めの倉庫なのでテントも張れる。だが問題なのはトイレ。男なので、風呂などは濡れたタオルで拭いていれば良いし、小は数回は流さなくても我慢できるし、夜にでもコッソリ裏の公園ですればいい。しかし、大は困る。さすがに裏の公園でも無理。
 幸いにも、「再び大きな余震がくるかも!」という緊張でこの日は大はもよおさなかった。
 
 相変わらず道路の亀裂からは臭い水が定期的に溢れ出す。
 給水所の場所を呼びかけていたオッサンがリーダーシップを取って、近所を見回りしていて、うちにも見に来た際に、臭い水が溢れているのを確認。
 「こぎゃんとはすぐ上下水道局に電話せんといかんよ」「よし、俺が今から電話してやるけん」と言って電話してくれた。
 見た目は怖いオッサンだなと思ってたけど、本当に良い人。
 その日に工事の車が来て、やっぱり下水が溢れていたみたいで、応急工事してもらえたので臭い水は出なくなった。
 
 一人暮らしなので、常備食なども無く、この日も食料を求めてスクーターを走らせる。
 すると、スーパーにたくさんの車。なんと早くも営業している。
 何はともあれ入り、その日の分だけの食べ物は買えた。

 暗くなり、テントでワンセグ放送を見ながら夕飯を食べて座っていると、その間もしつこいくらいくる余震。
 だけど、それは本当に余震なのか?もう自分が揺れているのか、果たして本当の地震なのかもわからなくなる。
 そういえば、昼間にラジオで言っていたけど、そういう時はコップやペットボトルに入った水を見ればいいらしい。
 じっと座っていると、たまにグラグラと揺れるので、ペットボトルの液体を見るとどっちかわかるので、少しは気分を紛らわすことが出来た。

 昼も夜も、相変わらず余震と、車の音と振動でまともに眠れず。


 2016年4月18日

 倉庫内に2畳ほどの物置があるのを思い出し、そこに寝ようと思うが、叔母の売れも使えも出来ないようなガラクタが詰め込まれていたので、それを震災ゴミのどさくさに紛れて全て廃棄。
 布団を敷き、電気は復旧していたので延長コードリールで電気を引き、テレビやノートPC、あとはもし家が倒壊した時のことを考えて大事な物も運び込み、ちょっと広めのネカフェ風になった。
 なんとか仮の居住空間は確保できたが、やっぱりトイレの大きい方が問題。
 「困ったなぁ」と思っていると、下水が溢れていた亀裂と別の亀裂から綺麗な水が出ているのを発見。そうか!これを汲めばいいのか!
 というわけで、叔母が漬け物を作るときに使っていた大きいポリ容器がいくつもあったので、それに風呂で使う手桶で汲んで、トイレの水確保。
 無色透明で臭くもなく、たぶん水道管が破裂して溢れていると思われるが、汲む際にどうしても濁るので、トイレの水以外に使えず。
 そうやって水を汲んでいると、またリーダーシップのオッサンが来て、「こぎゃんとも電話せなんよ!」と言って、また電話してくれた。(後日、21日に水道工事が来たが、全開にしてもしばらくは30%ほどしか出ず。)
 

 物置に寝泊まりする事になって、トイレ問題もクリアし少し生活を取り戻しかけるが、また問題発生。物置に鍵が無い。
 そこで掛金と錠前を取り付けるため、思いつく限りのホームセンターを回ってみたけど、全て店頭販売か休業中で全滅。店頭販売も一応見てみるが鍵は売ってなかった。
 熊本市内はどこも同じような状況で開いてないと判断し、盗られたら困る大事な物はロックの出来る車に入れて、思い切って山鹿方面へ遠征。
 車で行くと混むだろうからスクーターで大きめのバッグも用意し向かうと、やっぱりどこもかも渋滞。
 特に植木辺りがひどい。高速道路の下りが植木までしか通っておらず、みんなそこへ向かったり降りたりしているからだろう。
 どんなに渋滞してても、スクーターは横をすり抜ければ良いので、改めてスクーターで行って良かったと思う。
 植木ICを過ぎると、さっきまでの超大渋滞がウソのように無くなって、ほどなく山鹿へ到着。
 ホームセンターを探すと、3軒ほどあって、どこも普通に営業中。しかし、カップラーメンや紙皿などは全て完売。
 鍵は無事に買えて、一安心すると、そういえば山鹿は温泉が有名だったというのを思い出し、銭湯へ行ってみると、そこも普通に営業中。
 温泉で垢を洗い流し、外のベンチでくつろいでいると、どこの建物も一部損壊どころか、無傷。お湯もじゃんじゃん出てたし、バスも普通に走ってるし、まるではじめから熊本地震など無かったかのよう。
 でもさっきホームセンターの店員に「こっちも揺れましたか?」と訊いたら「けっこう揺れましたよ」と言っていたので、やっぱり地震はあったようだ。

 2016年4月19日以降

 熊本城の近くのマンションに住む友達に電話すると、倒壊も損壊もなく無事で、そこは屋上のタンクから水がきてるみたいで、とりあえずまだ水は出るもよう。
 後日、何日に行ったかは忘れたけど、洗濯をさせてもらえた。その際も、洗濯中に山鹿へ遠征。相変わらず渋滞なので、もちろんスクーターで。

 仮の住まいとしている物置にインターネットをひこうと思い立つが、長いLANケーブルやLANハブを買おうにも近所や少し遠くにあるホームセンターは相変わらず休業中。
 仕方なく、また山鹿へスクーターで遠征。
 何事もなく、ケーブルとハブを購入。
 山鹿へは合計4回ほど行ったが、コンビニに普通に食べ物が売ってあるし、弁当屋も普通に営業しているし、なんとも平和で別世界だった。
 無事に物置へネットが引けて、ノートPCでサイト閲覧や日記を書いたりといったことは出来るようになる。
 PS4も繋げて、16日の本震で中断していた「フォールアウト4」をやるが、画面を見た途端に、あの激しい揺れがフラッシュバックし、すぐに電源を切る。
 後日、再び「フォールアウト4」をプレイしようとするが、あのゲームは核兵器の使われた約200年後の荒廃した都市が舞台で、あちこちで建物は壊れ、道路もボコボコで、さながら熊本地震後を連想されられ、しばらくはどうしてもプレイできなかった。
 
 家は倒壊は免れたものの、完全に傾いており、窓が台所とトイレ以外開かず。家の中を歩くとミシミシと音が鳴り、怖い。


 22日、スクーターで一番被害が大きかったという益城町へ。
 テレビ等で被害状況は知っていたけど、改めて自分の目で見てみると、言葉が出ないほどの凄まじい被害に衝撃を受ける。
 辺り一面、何とも言えないような、カビの臭い、生活臭、土、木材、古い水、何かが焦げたような臭いなどが全て混ざったような独特な臭いが。
 時々、スクーターはおろか、徒歩でも通れないような道があり、どうにか通れる道はスクーターを押して通った。
 一番大きい避難所であろう益城町の体育館に行ってみると、通路にも被災者が寝ており、涙が出た。今思い出しても涙が出るほどの状況。


 ゴールデンウィーク中に、2回スクーターで南阿蘇へ。

 4月30日、大津からミルクロードを通って、赤水へ下りて、阿蘇ファームランド前を通り、河陽経由で南阿蘇入り。
 土砂崩れのあった河陽のペンション村の辺りは特に被害が大きかったが、南阿蘇の街中は倒壊した家は見あたらず意外と被害が少ないもよう。全て見て回ったわけではないので、もしかしたら倒壊した家もあったかも。
 あそ望の郷くぎのへ行ってみると、営業はしていたけど、自衛隊の基地みたいになっていて、たくさんの食料や物資を集約していた。
 展望デッキへ行ってみると、賞味期限がその日までのパンが「ご自由にどうぞ」と書かれて置いてあった。あまりにもたくさん集めすぎて余ってどうしようもないらしい。余って賞味期限切れたら捨てるだろうから、あまりにも集めすぎると元も子もないと思う。
 5月4日、本来ならゴールデンウィークの客で大賑わいのはずが、自衛隊も撤退していたこともあり、ヤバイほど閑散としていた。


 5月になり、ゴールデンウィーク辺りから暑くなってきて、窓もエアコンも無い物置での生活に限界を感じ、また大きな余震がきて倒壊しても、もう死んでもいいや、という気持ちで母屋へ戻る。
 物置に寝泊まりしている間は、狭い空間で毎日一人で泣いていたのを覚えている。
 震災前は週に1度、酒を飲むか飲まないか、飲んだとしても350mlの発泡酒を1本飲むくらいだったのが、毎日飲むようになる。飲まないとやってられないというのが本音。


 り災証明を申請後、1ヵ月以上かかってやっと発行。
 半壊、もしくは大規模半壊だなと思っていたら、なんと全壊判定。
 区役所で渡された全壊家屋用の赤い紙を見ていると、自然に涙が出た。

 
 熊本地震で、これまで何百回、いや、千回以上の地震を経験し、わかったこと。
 震度1~4までは慌てる必要無し。震度1~3で「あぁ~、またか」程度。震度4で「おっ?」と思うくらい。
 震度5。要注意。携帯電話から地震の警報アラームが鳴る。
 震度6弱。要避難。壊れる家もあるが、後日「怖かったね~」だけで済む場合も。
 震度6強。半壊、全壊する家屋多数。自然の猛威に人は何も出来なくなる。立って歩くことさえかなわず。後日、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になる場合もある。
 震度7。街が壊滅。倒壊する家屋多数。逃げるとかそういう次元ではなく、天に身をゆだね、ただ揺れが止まるのを待つだけ。


 以上。

 この後の仮設住宅などの問題など多数あったが、そこはブログを参照すれば良いので割愛。

熊本地震の記憶 Part2

2016年11月26日 | 熊本地震
 2016年4月16日 午前1時半頃(1時25分)
 
 すっかり油断して、PS4の「フォールアウト4」をプレイしながら、そろそろ寝ようと思っていると、再び巨大地震発生。
 今度のは、14日にあった地震より激しく、20~30秒くらい揺れたと思う。「思う」というのは、あまりの衝撃で記憶が曖昧になっているため。
 でもどんな衝撃か、どんな揺れだったかは覚えている。表すとすれば、小さい頃に昆虫を虫かごに入れて揺さぶって遊んだように、巨人に自分が箱に入れられて揺さぶられて弄ばれている感じ。
 最初の地震は、PC用の椅子に座っていたので、すぐに立って逃げられたけど、今度は座椅子に座っていたというのもあり、全く立てず、ただただ揺れる室内と再び棚から落ちてくる本やCDを見ているだけで何も出来ず。
 そして今度も揺れている最中に携帯電話から「地震です 地震です」の警報。「そぎゃんこつ言われたってもう揺れとるたい!!」と思いながらも何も出来ず。
 倉庫の方からは激しい警報アラームが聞こえる。買い物用のスクーターが倒れた時に作動したと思われる。
 揺れがおさまってくると、なんとか立てたので、携帯電話と財布と、また地震が来たときのために玄関に常備してた着替えなどが入ったリュックを持って外へ。
 しかし、玄関が開かない!軽くパニックになりながら、それでもどうにかこじ開けて外へ出ると、直後に停電。
 停電とほぼ同時に、道路から「ブシューッ!」という不気味な音が真っ暗闇で鳴り響く。
 何事かとライトで照らしてみると、道路の側溝から水道管が破裂したのか大量の水が吹き出ていた。
 よく見ると、家の前の舗装道には何本もの大きな亀裂。
 マンホールの蓋が、地盤が沈下したからなのか、それとも下から突き上げたのか、15cmほど盛り上がっていて、そこらじゅうで液状化が。
 
 
 家が心配になって、ライトで家を照らすと、明らかに傾いているのがわかる。ロックもして閉めていたはずの台所の窓が開いている。
 更によく見ると、暗い中でも公園側の地面が30cmほど沈下しているのがわかり、それによって家が傾いたとわかった。
 部屋着で外へ飛び出ていたので、とりあえず前回も避難した裏の公園へ行き、真っ暗な中、ライトだけを頼りに着替えていると、公園の地面にも亀裂が。
 ここも危ないと判断し、道路へ戻ると、倉庫のシャッターの真ん中の支柱が道路に飛び出し、シャッターはあり得ないほど歪んでいる。
 一旦支柱を抜き、シャッターを上げてみるものの、一人ではなかなか上がらず、苦戦していると、通りすがりの全く知らない人が手を貸してくれてなんとか元に戻せた。
 シャッターが開閉できるようになったので、倉庫に入ってみると、外観も中も、ほぼ被害無し。鉄筋で頑丈だった上に屋根がスレートで軽かったからかもしれない。
 スクーターは案の定倒れていた。あとは、倉庫内の梁の上に載せてあった大きめの板が落ちて車に当たっていたが、目立った傷は入っておらず。
 それと、我が家で一番高価であろう大事な大事な大型バイクは、2度の震度6以上を耐え抜いていて、それだけが不幸中の幸い。
 あとで聞いたことだが、置いていた向きによって倒れたバイクと倒れなかったバイクがあったらしい。
 
 
 とりあえず車を倉庫から出し、落ち着いて改めて道路の方へ行くと、どこかから漏れたであろうガスの臭いや灯油の臭いなど、明らかにただ事ではない異様な空気に包まれている。
 よく見ると、家の前の病院の駐車場の暗闇の中に人がたくさん集まっており、寒そうに立っていたので、座って落ち着くように、倉庫にあった段ボールを地面が液状化でグチャグチャの中、十数枚差し入れ。
 「立ったままだと落ち着かんでしょうけん、とりあえずこれに座って落ち着かんですか?」と段ボールと、山で遭難したときに便利な遮熱シートを持って行くと、「お前、誰?」みたいな感じで見られて、何か違和感。
 段ボールはとりあえず受け取ってはくれたけど、誰も座ろうとせず。「せっかく好意で差し入れたのに何だこいつら?」と思っていると、誰かが「津波がくるみたい」と言いだし、軽くみんなパニック。
 慌てて真偽を確かめようとワンセグで情報を得ようと思ったら、ヘンテコなアンテナを刺さないと観れないタイプのスマホだったため、それを家に忘れて来てたので確かめられず。
 家に戻るけど、傾いているのでビクビクしながらテレビの電源落としたり、ブレーカーも落として、このまま居たら危ないと判断し、必要になるかもしれない物と、犬のさくらさんを車に乗せて、どこか避難所を求めて彷徨う。
 卒業した中学校に行ってみると、被災者を受け入れていたけど、運動場まで車でいっぱいだったので、別の近く高校へ行ってみると運動場に余裕があり、車を止めた。
 体育館に被災者が集まっているというので、行ってみると、とても落ち着いて居られないような雰囲気で、再び車へ。
 「犬も居るし、イビキもうるさいのでやっぱり避難所は無理だな」と思っていると、そういえば入院中の叔母はどうなったのだろうと思い、高校をあとにして病院へ行ってみる。
 さすがに病院だけあって、倒壊はしていないし、自家発電で照明も点いていて、駐車場に案内係が居たので、「叔母の様子を見に来ました」というと深夜だというのに中へ入れてもらえた。
 エレベーターが止まっているというので、案内されながら真っ暗な非常階段をライトで照らしながら病室へ行くと、隣のベッドのおばさんは「怖かったね~」と言っていたが、叔母は何事もなかったように寝てて、一度目を開けたけど、すぐにまた寝た。
 
 病院を出ると、少し明るくなってきてて、帰りの道中は、やはりそこかしらの道路に亀裂。
 早くも通行止めにしてある道もあって、倒壊した家、傾いた家だらけで、さながらこの世の終わりのような光景だった。
 家に戻ると、倉庫は無事だったので、ずっと倉庫に居て、その日は一睡もせず。というか、地震の警報アラームが何度も鳴るので寝てもおられず。
 完全に日が昇ると、さすがに腹が減ったので、またビクビクしながら家の中へ戻ってカセットコンロとヤカンを取ってきて、非常用のカップラーメンを食べた。
 その時確かめたけど水はどこかで水道管がやられているのか断水。
 
 
 
 

 昼前くらいに、近所のオッサンが「水が欲しい方は○○へ!」と少し遠くにある工場で給水していると拡声器を使って呼びかけていて、その後、家の前の病院の駐車場に居たので、詳しく聞きに行くと、なんとみんな駐車場で炊き出しを食べているではないか!
 朝方も2軒隣の同級生のお母さんとすれ違ったのに、何か話しかけようかとしているとプイッとそっぽを向かれ、「大丈夫だった?」みたいな心配する声かけもしてもらえず完全スルー。町内会費を断ったからだろう。
 駐車場でもみんなでスルーしながら普通におにぎりとか食べてるし。給水の場所を呼びかけていたオッサンは良い人みたいで、「一緒に食べていかんね」と言ってくれたけど、それでも他の人は完全スルー。
 あんまりみんながスルーするので、オッサンが業を煮やしたのかスルーしてた人に「ほら、おにぎりやらんね!」「こぎゃんときに仲良くしとかんと いつ仲良くするとね!!」と言うと、しぶしぶといった感じでおにぎりを1個くれた。もちろんそんなの全然美味しくはない。
 本震直後の段ボールを差し入れたときの違和感はこれだったのだろう。
 町内会費を払わなかっただけで村八分にして自分たちばっかり炊き出し食べてるとか、もう絶対に町内会費は払わないし、金輪際この駐車場に集まっている人たちとは口をきくまいと誓う。
 後日も炊き出しがあったかもしれないけど、それすらわからず。
 
 日中は倉庫でラジオを聴きながら待機してたが、何度も強めの余震がきて、その度に外へ飛び出る。
 時折、外が臭くなる。公園側に地盤沈下して出来たいくつかの亀裂の一番大きな亀裂から濁った臭い水が絶え間なくではなく、定期的に溢れ出ていた。
 何の水かもわからなかったが、たぶん下水管が破裂して、それから下水が溢れてきている模様。
 
 昼過ぎ、水が貰えるという工場へ、湧水を汲む時に使っていたポリタンクを2つ持って行き、満タンに汲んでもらう。これでしばらくは手を洗う水などは確保。ついでにトイレも借りられた。

 夕方近くになり、食料をなんとか確保しようと、車で行くと混むだろうからスクーターで買い出し。
 やっぱりコンビニはどこも食べ物が底をついており、営業出来ないスーパーだらけ。いくつかホームセンターへ行ってみると、荒れた店内から掻き出してきた電池やカセットボンベを店頭販売してたので、電池とボンベを購入。
 帰りに通りすがりのコンビニに配送トラックが入っていくのを目にして、「大チャンスだ!」とばかりに飛び込むと、大正解!パンを搬入するところで、何パンかもわからず、みんなで群がってすぐに完売。
 それと、ちょうどタイミング良くドッグフードが無くなりそうだったのを思い出して、犬のエサを探すけど売ってなくて、仕方なく猫用のドライフードを「たぶん食うだろう」と購入。(やっぱり普通に食べた)
 とりあえず今日の分の食料は確保出来たけど、停電しているのでレジが電卓の手打ち計算で1時間くらいパンを持って並んだ。
 
 宇土付近を通りかかった時の空の写真。変な筋状の雲なのか、地震による波動なのか何かよくわからない筋が出来ていた。
 
 
 夜になり、車中泊をしようかと思うが、軽自動車で大男なので窮屈で眠れないだろうと、倉庫内にキャンプ用のテントを設営。
 布団も運び出して、夕食をテント内で食べて横になると一睡もしてなかったのですぐに睡魔が襲い、寝たが、それも余震や真横の道路を走るトラックなどの音や振動で何度も起こされた。

熊本地震の記憶 Part1

2016年11月26日 | 熊本地震
 平成28年熊本地震から半年以上が経ち、ようやくあの大地震を振り返る事が出来るようになってきたので、記憶が確かなうちに、地震直後の記録を残そうと思う。


 2016年4月14日 午後9時半頃(21時26分)

 オンラインゲーム(ファイナルファンタジーXIV)をしながら、ゲーム内でアイテムを作りながら半分寝かけてウトウトしていると、突然下からドンと突き上げるような縦揺れ発生。
 しばらく縦揺れの後、激しい横揺れ。これまで経験したことのない未曾有の揺れで、刹那に「これはヤバイ」と判断。
 テーブルの辺りから「地震です 地震です」という警報が鳴り響き、「今更そんなこと言われたってわかっとる!!」と思いながら逃げるさなか、玄関先にいつも常備している懐中電灯が目に付いたので、とりあえずそれだけを持って外に飛び出る。
 携帯電話や財布など持って出る余裕など無し。
 外に出ると、倉庫のシャッターが激しくガシャガシャ音を立てていた。
 道路の方に目を向けると、何台も車が止まっており、そのうちの家の前に止まっていた車を見ると、車載テレビがついていたので情報を得ようと近付くと、その時は地震速報はまだ出ておらず。
 まさか熊本でこんな大地震が起こるとは、その時は思っていなかったので、近々起こると噂されている南海トラフ地震だと思いこんで「南海トラフかどこかの地震ですか?」とドライバーに問うと、NHKにチャンネルを合わせてもらったその時、画面に地震速報が流れる。


 「熊本県で地震」


 正に「寝耳に水」とか「青天の霹靂」というのはこんな時に使うのだろう。
 
 「は?なにそれ。なんで熊本で地震?」というのしか頭に浮かばず。
 
 更にアナウンサーは情報を続け、「熊本地方で震度7を観測しました」。
 
 放心状態になりながら、テレビを見せてくれたドライバーに礼を言い、半袖で外に出ていたので寒かったのもあり、一旦家に戻ろうと思うも、東日本大震災で何度も大きな余震があったというのを思い出し、なかなか家の中には戻れず。
 意を決して家に戻るも、その間も余震が続く。決死の覚悟で家の中に入り、長袖のフリースを着込み、オンラインゲームはログアウトしないで家を出たので、ゲーム内の仲間に「実は熊本在住で、かなりヤバそうだからとりあえず落ちるね」とログアウトし、財布と携帯電話と電池を持って、家の裏が公園になっているので、そこが一番安全だろうと判断し、避難。
 公園で座っているときも、何度も余震。自分が揺れているのか、地面が揺れているのかわからない状態に。
 空にはヘリが何台も飛び交い、遠くでは救急車や消防車などの緊急車両のサイレンが鳴り響き、携帯電話のワンセグ放送を見ていると、次々に被害状況が流れ、改めて被害の大きさを知る。

 1時間ほど公園に居て、気持ちも少し落ち着いてきたので、再び家の中へ。
 落ち着いて家の被害状況を見ると、建物自体の被害は無し。しかし、本棚から本やCDが落ちて散乱。本棚自体やタンスは倒れておらず、倉庫に置いてあるバイクも直立不動で一安心。
 山登りしていたときの大きめのリュックに水と着替えと携帯食料とタオルなどを詰め込んで再び公園に戻ろうと思うも、緊張で汗をかいていたのか服がビッショリ濡れていたのに気付いたので着替えをし、PCも電源を落としてなかったので落として、念のためブレーカーも落とし、再び外へ。
 道路に出ると、やっぱりみんな不安で家には居られないのか、外に出て座ったりウロウロしている人が多数。
 少し遠くを見ると、100m先ほどの辺りから煙が上がっているのを確認。
 慌てて駆け寄ってみると、歩道で焚き火をしているバカ。近所のおばさんも「こぎゃんときになんば考えとらすとだろか。」「バカじゃなかろか。」と口々に言っていた。
 公園に戻り、桜も終わって昼は暖かいとはいえ、まだまだ夜は寒い。登山用の断熱シートを敷いて座っていたけど、とにかく寒かった。
 

 2016年4月15日

 0時頃、緊張でまた汗をかいていたので、着替えようと家に戻ると、再び9時半頃に起きた地震と同じかそれ以上かと思えるような激しい地震。
 慌ててまた外に飛び出ると、出た直後に停電が発生し、辺り一面、見渡す限り真っ暗に。ライトを手に持っていたので、すぐに対応できたけど、持っていなかったらパニックになっていたと思う。
 数分後には再び辺りの明かりがついたけど、もう怖くて家には戻らず、 朝4時くらいまで公園で避難。
 大きめの余震も来なくなっていたので、落ちた本やCDを片付けて、とりあえず家で少し寝るが、小さい余震は何度もきて、あまり眠れず。
 
 夕方、腹が減ったので何か食べようとスクーターを走らせていると、某有名弁当屋が開いていたので入ると、やはり配送不可で売り切れの弁当あり。
 のり弁を買って、コンビニに寄ると、既にカップラーメンなどは全て売り切れ。飲み物はまだあったので、それを買って家に戻る。
 オンラインゲーム内での仲間に安否情報をゲーム用のブログに書くものの、ログインは控えた。

そうおんかいけつ?

2016年11月25日 | 普段の日記
左隣の部屋のバカ(カス、キチガイ、クソ、クズでも可)の騒音問題。解決しかもしれません。

ノイズキャンセリングヘッドホンを買ったと先日書きましたが、ちょっと音量を上げてやるだけで、すっかり隣の音は聞こえなくなりましたヽ(・∀・*)ノ
たぶん、まだ大きな音を立てているんでしょうけど、音量を上げたこの2日間は全く気になりません。
長時間装着していることがまだ少し慣れませんが、普段から出かけるときはiPodで音楽をイヤホン装着で聞いてるので、すぐに慣れるでしょう。

寝るときは、もちろん耳栓。
前は100均の安い耳栓使っていたので、耳が痛くなっていましたが、サイレンシアというちょっとお高めだけど柔らかくて少し小さめのやつを買っているので、それはかなり使い心地が良いです。
おかげで、一度寝付いたら朝方まで起きることは滅多に無くなりました。
前の傾いた家は、毎日トラックやバスが通るたびに震度1以上が何十回もあって熟睡出来たことなどほとんど無かったので、新居は隣がうるさい以外はけっこう快適です。
でもノイズキャンセリングヘッドホンのおかげでそれも解決!!
あのシステム考えた人、ノーベル賞もらってもいいのでは?ってくらい素晴らしい(*´∀`*)

騒音問題が解決したけど、一つ懸念があります。
それは、今度は自分が出す騒音・・・。
外部の音がほとんど聞こえないので、自分自身の生活音が大きくなるのでは?と心配しています。
まぁ左隣のバカのように全く気を遣わないようなカスではなく、ちゃんと音に関して気遣いが出来る人間だと自負しているので、今度は自分が苦情を受ける側になることはないでしょう。

ほうふくよてい

2016年11月23日 | 普段の日記
マジで左隣のヤツ、うるさい!!!!!!!!!!!!!!
不動産屋からの注意の紙が入ってから数日は、少しは静かだったけど、最近ではまた元に戻ってて、ガタン!とかバタン!とか日常茶飯事。
ドア閉めるときは、常にバタン!!
ベランダにゴミ箱を置いてるみたいで、まぁ置くのは自由なんだけど、そのゴミ箱の蓋も、常にバタン!!
3日くらい前からは、深夜2時くらいまで、わざとやらないと出ないような音でバタン!!と閉める始末。
深夜の2時ですよ?日中の2時、すなわち14時じゃないですよ?
草木も眠る丑三つ時に、ドアをバタン!!と閉めたり、ベランダでゴミ箱の蓋をバタン!!と閉めたり、ドスドス歩いたり、常軌を逸してます。
隣のバカは、顔を見たことないのでどんなバカか考えられるパターンは、、、

1 精神異常者(キチガイ)

2 超自己中人間

3 超無神経人間

4 薬物使用者

5 DQN

6 聴覚障害者

このうちのどれかに間違いないですね。
1~5までは、どれも厄介です。文句言おうもんなら、逆ギレされて刺されかねません。
6の聴覚障害者の場合であっても、あの音は許されるレベルではありません。

あまりにも耐えかねて、ノイズキャンセリング機能の付いたヘッドホンを少し高かったけど買ってきました。
でも、そのノイズキャンセリングをONにしてても音が聞こえてきました。
ノイズキャンセリングを凌ぐほどの音・・・。どんな音か想像つきますか?
しかも、昨日は夜中10時過ぎまでテレビと思われる音も聞こえてました。
窓を閉めて、遮音カーテンまで閉めてるのにですよ?
どんどん酷くなる一方です。このままじゃヤバイっす。
個人的に注意喚起の紙を入れようと思ってますし、再度、不動産屋にも苦情を入れます。
それでも静かにならなかったら、たぶん事件を起こす自信があるので、どうにか静かな一軒家に引っ越す方向で努力するしかないですね。刑務所には入りたくないので。
そして、引っ越しが決まったなら、引っ越しの1週間前あたりから深夜3時くらいまで定期的に左隣の壁を叩きます。忘れた頃にドン!!と。
もし左隣のバカが文句言ってきたら、「あらぁ~、すいませんねぇ~、ちょっとふらついて壁に手をついてしまったかもしれませんねぇ~。はぁ~い、気をつけますぅ~」とニヤニヤしながら、おちょくった顔で対応します(・∀・)ニヤニヤ
ベランダでバタン!と音がしたら、深夜であっても大声で「うるさい!!!(#゚Д゚)ゴルァ!!」と叫びます。
ドアノブに犬のウンコを塗っておこうかと思いましたけど、器物破損とかになってしまう恐れがあるので、それは止めておきます。
完全に報復です。そうまでしないと怒りは収まりません。
あー、今から引っ越しが楽しみだ(´∀`*)

しんさいごのふぁーむらんど

2016年11月21日 | 普段の日記
昨日の日曜日に、阿蘇へツーリングに行った際に、震災後初めて阿蘇ファームランドへ寄ってみました。
震災直後も南阿蘇へ行くときに前を通ったことは何度かあるのですが、休業中でした。
今回は「営業中」と書いてあったので、楽しみにして入ってみると、なんか様子がおかしい・・・。



まだ9割以上くらい工事中で、上の写真の入り口から中へ入ると、レストランは営業してたけど、お土産が申し訳程度に売ってあるくらい。
珍しく朝ご飯を食べて来てたので、別に食事は用はないし、すぐに外に出て、他の施設を見ようと思ったら、ほぼ工事中。

数ヶ月ぶりに来ましたけど、もうね、「ここ・・・、どこ・・・?」って感じでした。トトロでも呼んだんですかね・・・?


いつも利用してた自然食品のお店も奥にある広いトイレも利用不可・・・。


果たしてこんな状態で営業中って言っていいのか??
これだったら、いっそまた休業して急いで工事した方が良いのでは?
客もウロウロされたら邪魔になるでしょ。
更に左奥のほうに歩いていけば、いくつか何か営業してたけど、ファミリー向けの施設みたいでした。

これから寒くなって、阿蘇へのツーリングはなかなか行けなくなると思うし、あんな状態じゃ行きたくない、っていうか行く用はないし、次行くとしたら来年の春かなぁ。
それまでには大幅に営業再開してるのを願います。

でんきだい

2016年11月18日 | 普段の日記
先日のガス代に引き続き、今度は電気代の請求書が入ってました。

10月26日から11月8日までの14日分。
その間の使用量が39kWhなので、一日当たり約2.78kWhくらいですかね。
で、前の家で普通に暮らしてた時の最後の領収書が32日間で189kWhなので、一日当たり約5.9kWh。
なかなか良い感じじゃないか~(*´∀`*)
しかも、今まで40アンペアだったのが、新居では30アンペアで契約したので基本料金も下がって更に安くなると思います。
あまり使わない家電は、普段はコンセントを抜いて待機電力をカットしていますし、その分でガス代が高い分を補わなくては!!

かなりいろいろ節約してるので、この調子だと水道代も安いはず!!

がすだい

2016年11月16日 | 普段の日記
新居の玄関の郵便受けに、ガス代の請求書が入ってました。
今まで前の家では料理はIHクッキングヒーターを使って、お風呂は灯油で沸かしていました。
でも今度は強制的にプロパンガス。
料理は今まで通り、IHのやつを持ってきたのでそれを使ったり、カセットコンロを使えばいいのですが、お風呂が強制でガスなんです。
いくらくらいかかるんだろう?と思ってたら、10月26日から11月14日まで約3週間で3030円(税込)も請求が来てるじゃないですか!高っ!!!
コンロで一切ガス使ってなくて、お風呂でしか使ってないのに、たった約3週間で3000円て!!!
でもまぁ引っ越ししたてのときは、物の運搬で体がガタガタだったので、少しでも疲れを癒そうと、数日間は毎日のように湯船にお湯溜めて浸かってましたけど。
んー、それでも高い!!!
前の灯油の時は、2ヵ月くらいに1回、灯油を18リットル買えば足りてたのに。
高くて18リットルで1200円くらいですかね。それが2ヵ月分だから、それを考えると今度のガスは高すぎる(´Д`;)

考えてみたら、プロパンガスって基本料金が高いんですね・・・。
なんか腑に落ちない余分なお金だなぁ・・・。
トイレの換気扇も使用してないときも勝手に回ってる時があるし、電気代も請求が怖いっす。
もう引っ越しの疲れは取れてるので、今度からシャワーメインでいきます。

隣のバカも相変わらずうるさいし。
夜になるとガタガタ!と大騒音が響き出すので「あー、帰ってきたな」とわかるほどの酷さです。
不動産屋の「21時以降は静かにしましょう」という注意書きが入ってからは、確かに22時以降の音の出る数は少しは減りました・・・が、音は変わらず大きいです。
あと、21~22時くらいまでは、もの凄いです。たまに自分も手が滑ったりして物を落として音を立てる事は稀にあります。でも隣は故意に音を立ててるとしか思えないほどの酷さです。
確かに、「21時以降は静かにしましょう」とは書いてあったけど、じゃぁそれまでは何をしても良いのか?って話ですよ。
昼間は、ある程度はしょうがないです。我慢しましょう。でも暗くなってきたら、特に集合住宅の場合は静かにするのがマナーだと思うんですけど。
夜8時とかに寝ちゃうチビッコやご老人も居るわけです。
それなのに、21時までは何やったって良いだろうくらい思ってる節がある隣のヤツは完全にバカとしか思えません。
どこかすぐにでも静かな場所に家を建てるか、引っ越しして自力で家賃払えるほどの財力があれば、すぐにでも苦情言いに行くんだけど・・・。
まだ次の住まいの目処が立たないので、揉めないように我慢するか、不動産屋に苦情言うしかないのがツラい・・・。

あー、ガス代高いし、隣うるさいし、マジで静かな一軒家に引っ越したい。
それか、一瞬で死ねるなら、いっそのこと死にたい・・・(´;ω;`)