新 ゆ~ゆ~日記

一生独身を決めた男の自堕落で貧乏くさい日記

エッセイ「友人の死」

2007年06月17日 | エッセイ
中学のクラスメイトで、それ以来の友人だったY君が、2007年6月14日、亡くなった。享年35歳。
あまりにも早すぎる・・・。
まだ結婚もしてないし、子供もいなかったのに。


2週間ほど病院へ見舞いに行ってなかったので、そろそろ行ってみようかと思い、携帯に電話をするが電源が切ってあり、繋がらなかったのが15日。
翌16日も電話して、やっぱり繋がらず。調子が悪いのだろうか?

今日、17日16時頃、電話をすると、呼び出し音が鳴った。しかし、留守番電話になったので、メッセージを入れた。
午後19時02分。Y君から電話。
調子が良くなったので、掛けてきてくれたのかな?
出てみると、声が違う。
「私、○○の弟の○○と申します」

えっ?まさか・・・。

「先週の木曜日(14日)に兄が他界しましたので、ご連絡差し上げました。遺品を整理しておりました際にメールなどを見ると、生前兄と仲良くしていただいておられたみたいなので、こうやってご連絡した次第です。」

そんな・・・。
言葉が出ない。

言葉が見つからないながらも、なんとか話を聞くと、葬式は終わって、納骨も済んでいるらしい。
死因は聞くまでもない。ガンだ。
弟さんは名古屋在住で、位牌は名古屋に持って行くと言うことだ。
なので、墓参りくらいしかできない。
入院先は熊本市民病院。先週の水曜日に健軍へ行ったので、その際、立ち寄れば良かった!
水曜日と言えば、亡くなる前日だったので、家族しか会えない状態だったかもしれないが、もしかしたら最後にもう一度会えたのに・・・。

一番上の写真は、たぶん、Y君を写した最後の写真。このあと間もなく入院したので。

Y君が死んだ実感は、まだ無い。
父が死んだ実感も、母が死んだ実感も、何年も経ってるのに未だにあまり無いので、今後も実感はあまり湧かないと思う。
それはなぜかというと、格好良いこと書くつもりはないが、父も母もY君も、僕の胸の中でまだ生きているから。
僕が忘れない限り、ずっと生きてるし、これから先も絶対に忘れないから、絶対に死なない。
肉体は死んだかもしれないが、存在は決して死なない。僕の中で生き続ける。


Y君へ。
借りてた本とゲーム、まだ返してないけど、形見として貰ってていいよね?
普段は霊とか信じないけど、別れの挨拶にうちに来てくれたかな?相変わらず汚い家だった?

っていうか、何やってんの!!
元気になったら、一緒にラーメン食べに行こうと言ってたじゃないか!!!
天下一品のラーメンをもう一度食べたいと言ってたじゃないか!
元気になったら、一緒にホームページ作ろうと言ってたじゃないか!!
パソコンの事で分からないことがあったら、今度から誰に聞けばいいと?
ほんと何勝手に死んでくれてんだ!チクショー!!
漫画の続きが心残りだと言ってたじゃないか・・・。

そういえば、10年くらい前、一緒にお笑い芸人目指してNSCに入ろうと言ってきたよね。
誘った理由を聞くと、「同級生の中で一番面白かったから」と言われてすごく嬉しかったのを覚えてる。
もう20歳を過ぎてたし、親も病気だったので、行かなかったけど、あの時、お笑い芸人目指してたらどうなってたろうね?
成功してたかな?それとも挫折して帰ってきてたかな?
もしかすると、こんな結果になってなかったかもしれないね。

貰ったマウスは、貰った時点でかなりボロかったけど、まだ使ってるよ。
最初は手に馴染まなかったけど、もうすっかり使いやすくなった。
壊れるまで、ずーっと使おうと思う。

Y君、今まで思い出をありがとう。
絶対に忘れないから、安心してゆっくり休んでください。

エッセイ「宝毛」

2006年07月08日 | エッセイ
仕事から帰り、座椅子に寝そべり、くつろいでいると、足に長い1本の毛が伸びているのを発見!
ま、まさか宝毛!?
でも今までそんな毛、生えたことなかったので、どうせ僕の頭の白髪が付いてるだけだろうと、取ろうとすると、確かに足から生えてる!
話によると、宝毛というのは、縁起の良い毛なので、抜いてはいけないらしい。
僕は「宝毛」と呼んでいるが、他には「福毛」「幸せの毛」「宝髭」とも呼ばれている。
生えると、その部分の内臓機能が悪くなっているともいうらしいが、やっぱり縁起の良い毛だと思いたい。
抜いても抜いても同じ場所から生えてくる人もいるみたいで、肩、アゴ、頬、腕などに生えてくることが多いということだ。

話に聞いたり、他の人に生えてるのを見て、チョッピリうらやましく思っていたが、遂に僕にも宝毛様が!
あぁ、麗しの宝毛様、こんな卑しい私の足にも降臨召されたのですね!
しかも、夜の居間の明かりに、金色に輝く御毛様!
嬉しくて、愛おしくて、ついつい触ってしまうが、抜けちゃったりしたら悔やんでも悔やみきれないので、あまり触ったり引っ張ったりしないでおこう。

迷信の域は脱しないが、とにかく縁起が良いらしく、願い事があると生えてきて、願いか叶うと抜けるとか。なんかミサンガみたいだなぁ・・・。
通常は白い毛ということだが、僕の場合、黒い毛でもなく、白でもなく、金色っていうところが何かを期待せずにはいられない!
何だろう?宝くじに当たるとか?気になるあの子と結ばれるとか?実は知らなかったけど、莫大な財産を持った親戚がいて、その遺産が転がり込むとか?道を歩いてたら竹藪に3億円とか?
何が良いかなぁ?
やっぱり好きな女性とめでたくお付き合い。っていうのがいいかなぁ。いや、大金も捨てがたいなぁ。
頼むから、たまたま雨漏りしなかったとか、自販機のおつりが100円多かったとか、そういうくだらない事で抜けないでくれ!あっ、すいません、抜けないでください。


ちなみに、今、他に宝毛に関する情報は無いかとネットで調べてたら、「あまり人に話したり、見せたりしてはいけない」らしい・・・。

・・・・・。
思いっきり人に生えたこと教えてるやん・・・。

エッセイ「ダメ人間」

2006年07月07日 | エッセイ
よく漫画とかテレビで、何をやらせてもダメな人を見かけることがある。
いわゆる「ダメ人間」。
例えば「丸出だめ夫」とか「ダメおやじ」とか。
大概そういうキャラは、基となる人が現実にいたから生まれたわけで、多分に漏れず、僕の仕事場にもいる。
つい先日、職場内の人の入れ替えで、僕がいる班に違う班から来た人で、年齢は50過ぎくらい。
その人が前の班にいたとき、その班へ応援などによく行っていたが、動きがみんなとは明らかに違い、緩慢な動きをしていたので、「トロいおっさんだなぁ」と思っていたが、まさか僕の班に来るなんて。
あまり人の悪口を書きたくないが、ほんと何をやらせてもダメ。呆れるほどダメ。
何がダメなのかというと、動きが緩慢なのはもちろん、何度教えても仕事を覚えることが出来ない。
更に厄介なことに、その人に仕事を教える役が僕になってしまったから大変。
僕が現在受け持っている仕事は、作業はツラいが比較的簡単で、誰でも2回教えれば覚えてしまえることが出来、僕は1回教えてもらっただけで、後は他の人の作業を見て覚えたほど簡単。
そんな簡単な作業を、全く覚えてくれない!
もう今日で何日目だろう?1週間は軽く過ぎてる。
10教えたら、1覚えてくれるかどうか。
今日教えたことも、明日になればリセット。毎日毎日、付きっきりで1から教えないといけない・・・。
毎日毎日、同じ過ちを繰り返し、その度に僕がフォロー。
全く違うことをしようとしていたので、「それは向きが逆ですよ」と教えたのに、数秒前に教えたばかりなのに、しかも僕が見てる目の前でまた逆にしてたので、注意する声がついつい大きくなってしまった事もあった。
ある日、同じ班の同じ作業をしているもう一人の人に「今日は○○さんが教えてあげてください」と頼んだが、1日で「もう絶対イヤだ!!イライラする!教えたくない!」とサジを投げてしまったので、今後も僕が教えないといけないのかと思うと気が遠くなる。
「もういいですよ。いい加減、次の作業をやってください」と言うまで同じ作業を延々と続けてるし、どんなに教えても、下を向いて頷くだけ。ほんとに分かってるのか??と疑いたくなる。

まるで、もう水を吸い込まないくらい水を吸ってるスポンジに、無理矢理 水を吸い込ませているような感じ。
どんなに一生懸命教えても、どんなに厳しく教えても、どんなに優しく教えても、全くダメ。正に「のれんに腕押し」状態。
ただ一つ、その人の良いところは、真面目というところ。だが、ただそれだけ。
他の作業をしてもらっても、なんか訳の分からない見当違いなことやってるし、作業が終わればウロウロしてるし・・・。


そういえば、何をやってもダメな人=ダメ人間という言葉は筋肉少女帯の大槻ケンヂ氏が生みの親らしい。
ネットで調べたところ、ダメ人間と呼ばれる人は結構いるみたいで、タイプも様々。
何をやってもダメな人、どうしてもタバコがやめられない人、何もやる気のない人、仕事がなくて遊んでばかりいる人、変なものばかり夢中で集めてる人、etc...
色んなダメ人間のタイプがあるが、結婚出来ない女性のことを、「負け犬」と呼ぶらしい。それもダメ人間に入れていいのか?
引きこもりで、一日中パソコンいじってる人たちは、ダメ人間と呼んでも良いのでは?実際、自分のことをダメ人間だと公言して、そういうサイト作ってる人たちもいることだし。
そして、そういうどうしようもない自分に酔っている人もいるらしい。
そうやって、自分が何をやってもダメな人間だと気付いているのならば、救いようがあるかもしれないが、全然気付いていないのなら、それは非常に厄介だろう。

一方、何をやってもダメ、というのが良い方向に転ぶ事がある。
何をやってもダメで、仕事で失敗ばかりしてて、会社をクビになって、行くところがなくなり、メイド喫茶で働き始めたところ、そのダメぶりが「ドジキャラ」としてウケて、人気メイドになったという話を聞いたことがあった。
女の子で適度なダメだったら可愛げがあるし、男でも適度にダメだったら、女性の母性本能をくすぐり、良い結果になることだってある。
限定的だが、適度にダメだった場合、愛すべきダメ人間になりえるのである。
ほんと世の中 何がどう転ぶか分からない。


ここまで書いてきて、よくよく考えてみれば、僕もダメ人間かもしれない。いや、れっきとしたダメ人間だ!
家の雨漏りも直せないし、庭は雑草が生え放題。
結婚どころか、彼女さえ作れないし、摂生が出来ずにブクブク太ってるし、とにかく自分に甘い。
何かイヤなことがあったら、すぐ怒るし、時には逃げ出す。
そんなダメ人間が、人に物を教えるなんて、何と滑稽なことか・・・。

話は戻るが、ある時、しぶしぶ仕事をしているように見えたので、「覚える気はあるんですか?」と直球で聞いたとき「覚える気はある」と答えられたので、覚える気がある以上、教えないわけにはいかない。
ああ参った・・・。いっそのこと「覚える気は無い」と答えてもらった方が良かった。
そしたら上に言って、その人をどこかに異動してもらえたのに。

仕事を覚えてもらえるのが先か、僕が根気負けするのが先か。
たぶん僕が負けそう・・・。

エッセイ「とある銭湯の最後」

2006年07月01日 | エッセイ
2006年6月30日。
僕が子供の頃から通っていた銭湯「きかい湯」が、この日、閉業した。
明治より営業していた老舗の銭湯だが、体力的に続けることが困難になって、閉めることを決意されたようだ。

小さい頃は、ほんと深いお風呂だった。
立って入っても、ギリギリでアゴが出る程度。しかも、尋常じゃないくらい熱い時がある。
だから、いつも小さい方の湯船に浸かってた。小さい方は、そんなに深くないのだ。
子供ながらに、いつかはあの熱くて深い方に入ってやるぞ!と思ってた。

ラムネも美味しかった。
風呂上りに、ビー玉を「ポンッ」とビンに押し込んで飲むラムネは、楽しくて、一味違う味。
正月は酒風呂。こどもの日には菖蒲湯。冬至にはゆず湯。
女湯から若い女性の声が聞こえてくると、ちょっとドキドキしたり。
変なオッサンが洗い場でグウグウ寝てたり。
明らかにカタギじゃない人たちに風呂を占領されてて入れなかったり。
髪の毛フサフサの人が、頭皮をパカッと外して、えっ!カツラだったの!?という事があったり。
チンチンを股に挟んで、独りで誰かと会話している不気味な人がいて怖かったり。
本当にいろんな事があった。
もう二度と、あの広くて熱くて深い風呂に入れないかと思うと、非常にせつない。

誰も時間の流れに勝てないのか。

どんなにどんなにあらがっても、決して勝つことはできないのか。

いずれは僕も、時間の流れに勝てず、老人になり、墓に入る。
始まりがあれば、必ず終わりがある。
当たり前のことだが、時間の流れがある限り、この世に永遠など存在しないのだ。

世の中に「絶対は無い」という人がいたが、「絶対」は確実に存在する。
それは、「死ぬ」ということ。
どんなに大金持ちな人でも、どんなに貧乏な人でも、どんなに偉い人でも、どんなに悪い人でも、どんなに健康な人でも、どんなに病弱な人でも、犬にも、猫にも、ニワトリにも、ゾウにも、アリにも、カブトムシにも、どんなものにでも平等にやって来る「死」。絶対に「死」から逃れられない。

きかい湯も取り壊され、「死」を迎える。

最後の日、夜勤を早退してでも最後のお湯に浸かりたいと思っていたが、どうしても早めに切り上げることが出来ず、営業時間に間に合わなかった。
仕事の帰りに、とっくに営業は終わっていたが、銭湯へ寄ってみると、テレビの撮影をしていて、きかい湯の平井さんご夫婦がまだ残っておられたので、最後の挨拶をすることが出来た。

長年にわたり、本当にお世話になりました。
そして、今までありがとうございました。
僕にとって、これからも「きかい湯」が最高の銭湯であり続けることでしょう。

エッセイ「愛の反対は」

2006年06月14日 | エッセイ
ちょっと前に目にした言葉。

「愛の反対は 憎しみではなく 無関心なのです」

マザー・テレサの言葉らしいが、全くその通りだと思う。
「かわいさ余って憎さ百倍」という言葉があるとおり、愛しすぎて憎しみに変わることがある。
またその逆に、誤解や偏見などがあって憎んでいたけど、それが解けたとき憎しみから愛に変わることもあるだろう。
ということは、そこには少なからずや愛があるわけで、愛の反対とはならないわけだ。

無関心とは、愛も憎しみも発生しない、本当に何の興味もない状態。
何の興味もなければ、愛どころか、好意・恐怖・尊敬など、すべての感情がないわけで、それは非常に悲しいことだと思う。
だから、僕のように愛を求めている人には、相手が僕に対して無関心であると感じたときや、眼中にないと感じたとき、寂しさや悲しさを感じてしまうのか。
好きでいてくれなくていい、嫌いでもいいから僕に興味を持ってほしいと思うのは、そこには少なくとも愛があるというのが本能的に分かっていたから、そう思ってしまったのか。

昔は、近所の人たち皆で子供を育てていたというが、今は、他人の家の子など知らん顔。
実際、僕も、同じ町内に住む子供達に、どんな子がいるのかさえ、全く知らない。
僕の小さい頃なんて、いたずらや悪いことをしていたら、すぐに近所の知らないオッサン達に叱られていたものである。
その当時は、そのオッサンどもに怒りを覚えていたが、今となっては、そこに愛があったから叱ってくれた。僕のことを想ってくれていたから叱ってくれたのだと理解できる。
ところが今は、近所の子供が何をしていようが知ったことではない。やたら叱ると逆ギレされて面倒だ。という大人が多い。
注意して、最近の大人びた子供達に生意気な口をきかれたり、注意した子供の親が出てきたり、最悪の場合、刃物で傷つけられたり、そういったことが余計に無関心にさせているのだろうか?
いや、無関心にならざるを得ないと言えるかもしれない。
でもそれは、大変に危険なことだと思う。
もっと、そのことに危機感を持って、近所の子供はもちろん、お互いに関心を持てば、事件や争いごとが少なくなるのかもしれない。

また最近は、近所の子どころか、自分の子供にさえ無関心な親というのも増えてきているらしく、それに比例して、子供達が犠牲になる悲しい事件・事故も増えてきている。
子供をいじめる親、子供を無視する親、パチンコ店の駐車場の車に子供を放置する親。挙げ句の果ては、虐待、殺害。
僕が思うに、今の親たちは、子供のまま大人になった為、そういった事件が起こるのではないかと思う。
幼い子供のように、自分勝手で、自分にしか興味がない為、当然そこには愛がないわけで、そういった事件が起こるのは必然なのだ。
先進国特有の社会病だと言う人もいるが、その病気を治さないと、この先どうなってしまうのだろうか・・・。

マザー・テレサは、他にもこんなことを言っていたらしい。

「物質的に貧しい人は他の貧しい人を助けます。精神的には大変豊かな人たちです。物質的に豊かな多くの人は他人に無関心です。精神的に貧しい人たちです。」

昔の日本は貧しかった。
だからそこには愛があって、貧しいながらも古き良き時代だったのだろう。
しかし今は、国が豊かになって、物質的に豊かになった為、他人に対して無関心な人が増えたのかもしれない。
そう考えると、僕はお金持ちより、貧乏のままでいいかな?と少し慰められる。
貧乏は貧乏で、たまにツラいこともあるけど、愛のない人より、よほどいいかな?

逆に、無関心の方が良い場合もある。
宗教や物欲、支配欲などに関心がなければ、争いや戦争は起きない。
でもそれは、そんな簡単な事じゃない。
人間が人間である以上、争いは必ず起きるのだ。


「愛の反対は 憎しみではなく 無関心なのです」

本当に納得させられ、奥の深い言葉だ。

エッセイ「母親について」

2006年06月12日 | エッセイ
 僕の母は、平成10年に他界し、もうこの世にいない。生前は、「パーキンソン氏病」という難病だった。
 40を過ぎて僕を生んだので、けっこう高齢出産だったみたいだ。
 僕が母と過ごした時間は20年ちょっと。
 なので、50を過ぎても60を過ぎても母親が生きている人を、たまにうらやましく思う。

 僕は、本当にお母さん子だった。
 母も子煩悩で、一人っ子だった僕を本当に可愛がってくれた。
 なのに僕は、母に親孝行らしいことをしたことがほとんどない。

 そういえば、僕は母に何がしてあげられただろう?  

 親孝行らしい事と言えば、母が亡くなるちょっと前に、僕が車を運転して母の実家の三重県に里帰りさせた事くらいだろうか。
 急に、三重県に一度帰りたいと言い出した。
 今思えば、自分が命が長くないことが分かっていたのだろう。

 阿蘇、やまなみハイウェイ経由で別府へ入り、別府からフェリーに乗り、震災前の神戸で降りて、三重県へ。
 栗東から国道1号線を南下している時、道路の案内標識に「三重県」という文字が初めて表示された瞬間、泣き出した母。
 あれが最後の旅行だったね。お母さん。
 「絶対もう一度行こう!」と約束したけど、行けなかったね。お母さん。
 親不孝ばかりして、苦労かけっぱなしで、結果的に僕が殺したようなもんだけど、最後にいいことが出来て、本当に良かったと思うよ。
 生前は言えなかったけど、「生まなければよかった」と言わせたくらい親不孝と苦労ばかりさせて、ごめんなさい。  


  「孝行したいときに親はなし」


 親が生きていた頃には気にも留めなかった言葉だが、今となっては、まさにその通りだと思う。
 早く死ねこのババア、とか思ってたけど、何であんな事思ってしまったのだろう。

 たくさんたくさん親孝行すれば良かった。

 温泉に連れて行きたいよ。

 一緒にご飯食べたいよ。

 奥さんの顔、見せてあげたいよ。

 孫の顔、見せてあげたいよ。

 僕が今、本当に欲しいものは、すぐそこにあったというのに、なぜ気が付かなかったのだろう。
 本当の幸せ、本当のぬくもりは、手を伸ばせばすぐそこに転がっていたというのに・・・。

 お母さん。あのね。

 一人でご飯作れるよ。

 一人で洗濯できるよ。

 掃除は・・・、ちょっと苦手かな。

 そうそう、僕、犬を飼ったよ。もう独りでも寂しくないから心配しないで。


 人はいつか必ず死ぬということは、漠然とは分かっていたが、それがいつかは現実になるということが怖くて、わざと気付かないふりをしていたのかもしれない。
 逃げずに、その現実を受け止めることができていたなら、もっと親孝行ができたのだろうか?
 母がまだ生きていたとしても、親孝行していただろうか?
 答えは「否」。
 友達数人に「親孝行してる?」と聞いても、「してない」と答えるばかり。
 結局、親が死んで、やっと気付く。

 そう。今の僕のように。

 今、親が生きている人は、今のうち、親孝行をしてほしい。
 照れくさいだろうから、精一杯とまではいかなくても、少しは親孝行をしてほしい。
 あとで悔やんでも仕方ないのだから・・・。