新 ゆ~ゆ~日記

一生独身を決めた男の自堕落で貧乏くさい日記

かせついちねん

2017年10月26日 | 熊本地震
みなし仮設住宅に引っ越して1年が経ちました。

お決まりの文句ですが、ほんとあっという間でした。
最初は他の住民と仲良く出来るか不安でした。
でも仲良く出来るか心配したのがアホらしくなるくらい他の住民と会わない。
数日に一度くらいはすれ違うけど、みんなしれーっとすれ違うだけ。
まぁこっちとしても、あんな生活音のうるさい奴らと仲良くしたくもないし。

それで、他人(特に隣!!)の生活音がうるさすぎるので、早々にノイズキャンセリングヘッドホンを購入し、1年のほとんど、家にいる間はずっと装着していました。
おかげでイライラはしなくなったけど、寝る間はさすがにヘッドホン装着では寝れないので耳栓なわけですが、それでは完全ではないので何度か音で起こされてしまいます。
ある程度の騒音は覚悟していたけど、その覚悟を上回る騒音とは思ってなかったですね。
近所のクソ犬もキャンキャンうるさいし。その犬を制御しない飼い主も頭に来るし。

とにかく、次の生活再建の目処は全く立ってません。ゼロっす。ゼロ。
今の状態じゃ死んだほうがマシなくらいです。

あーもういいや、これ以上書いてもつまらないし、誰も読みたくないっしょ、こんなブログ。
また気が向いたら何か書きます。

熊本地震の記憶 Part3

2016年11月26日 | 熊本地震
 2016年4月17日

 倉庫は2度の大地震を耐えており、倒壊する心配は無いと安心し、広めの倉庫なのでテントも張れる。だが問題なのはトイレ。男なので、風呂などは濡れたタオルで拭いていれば良いし、小は数回は流さなくても我慢できるし、夜にでもコッソリ裏の公園ですればいい。しかし、大は困る。さすがに裏の公園でも無理。
 幸いにも、「再び大きな余震がくるかも!」という緊張でこの日は大はもよおさなかった。
 
 相変わらず道路の亀裂からは臭い水が定期的に溢れ出す。
 給水所の場所を呼びかけていたオッサンがリーダーシップを取って、近所を見回りしていて、うちにも見に来た際に、臭い水が溢れているのを確認。
 「こぎゃんとはすぐ上下水道局に電話せんといかんよ」「よし、俺が今から電話してやるけん」と言って電話してくれた。
 見た目は怖いオッサンだなと思ってたけど、本当に良い人。
 その日に工事の車が来て、やっぱり下水が溢れていたみたいで、応急工事してもらえたので臭い水は出なくなった。
 
 一人暮らしなので、常備食なども無く、この日も食料を求めてスクーターを走らせる。
 すると、スーパーにたくさんの車。なんと早くも営業している。
 何はともあれ入り、その日の分だけの食べ物は買えた。

 暗くなり、テントでワンセグ放送を見ながら夕飯を食べて座っていると、その間もしつこいくらいくる余震。
 だけど、それは本当に余震なのか?もう自分が揺れているのか、果たして本当の地震なのかもわからなくなる。
 そういえば、昼間にラジオで言っていたけど、そういう時はコップやペットボトルに入った水を見ればいいらしい。
 じっと座っていると、たまにグラグラと揺れるので、ペットボトルの液体を見るとどっちかわかるので、少しは気分を紛らわすことが出来た。

 昼も夜も、相変わらず余震と、車の音と振動でまともに眠れず。


 2016年4月18日

 倉庫内に2畳ほどの物置があるのを思い出し、そこに寝ようと思うが、叔母の売れも使えも出来ないようなガラクタが詰め込まれていたので、それを震災ゴミのどさくさに紛れて全て廃棄。
 布団を敷き、電気は復旧していたので延長コードリールで電気を引き、テレビやノートPC、あとはもし家が倒壊した時のことを考えて大事な物も運び込み、ちょっと広めのネカフェ風になった。
 なんとか仮の居住空間は確保できたが、やっぱりトイレの大きい方が問題。
 「困ったなぁ」と思っていると、下水が溢れていた亀裂と別の亀裂から綺麗な水が出ているのを発見。そうか!これを汲めばいいのか!
 というわけで、叔母が漬け物を作るときに使っていた大きいポリ容器がいくつもあったので、それに風呂で使う手桶で汲んで、トイレの水確保。
 無色透明で臭くもなく、たぶん水道管が破裂して溢れていると思われるが、汲む際にどうしても濁るので、トイレの水以外に使えず。
 そうやって水を汲んでいると、またリーダーシップのオッサンが来て、「こぎゃんとも電話せなんよ!」と言って、また電話してくれた。(後日、21日に水道工事が来たが、全開にしてもしばらくは30%ほどしか出ず。)
 

 物置に寝泊まりする事になって、トイレ問題もクリアし少し生活を取り戻しかけるが、また問題発生。物置に鍵が無い。
 そこで掛金と錠前を取り付けるため、思いつく限りのホームセンターを回ってみたけど、全て店頭販売か休業中で全滅。店頭販売も一応見てみるが鍵は売ってなかった。
 熊本市内はどこも同じような状況で開いてないと判断し、盗られたら困る大事な物はロックの出来る車に入れて、思い切って山鹿方面へ遠征。
 車で行くと混むだろうからスクーターで大きめのバッグも用意し向かうと、やっぱりどこもかも渋滞。
 特に植木辺りがひどい。高速道路の下りが植木までしか通っておらず、みんなそこへ向かったり降りたりしているからだろう。
 どんなに渋滞してても、スクーターは横をすり抜ければ良いので、改めてスクーターで行って良かったと思う。
 植木ICを過ぎると、さっきまでの超大渋滞がウソのように無くなって、ほどなく山鹿へ到着。
 ホームセンターを探すと、3軒ほどあって、どこも普通に営業中。しかし、カップラーメンや紙皿などは全て完売。
 鍵は無事に買えて、一安心すると、そういえば山鹿は温泉が有名だったというのを思い出し、銭湯へ行ってみると、そこも普通に営業中。
 温泉で垢を洗い流し、外のベンチでくつろいでいると、どこの建物も一部損壊どころか、無傷。お湯もじゃんじゃん出てたし、バスも普通に走ってるし、まるではじめから熊本地震など無かったかのよう。
 でもさっきホームセンターの店員に「こっちも揺れましたか?」と訊いたら「けっこう揺れましたよ」と言っていたので、やっぱり地震はあったようだ。

 2016年4月19日以降

 熊本城の近くのマンションに住む友達に電話すると、倒壊も損壊もなく無事で、そこは屋上のタンクから水がきてるみたいで、とりあえずまだ水は出るもよう。
 後日、何日に行ったかは忘れたけど、洗濯をさせてもらえた。その際も、洗濯中に山鹿へ遠征。相変わらず渋滞なので、もちろんスクーターで。

 仮の住まいとしている物置にインターネットをひこうと思い立つが、長いLANケーブルやLANハブを買おうにも近所や少し遠くにあるホームセンターは相変わらず休業中。
 仕方なく、また山鹿へスクーターで遠征。
 何事もなく、ケーブルとハブを購入。
 山鹿へは合計4回ほど行ったが、コンビニに普通に食べ物が売ってあるし、弁当屋も普通に営業しているし、なんとも平和で別世界だった。
 無事に物置へネットが引けて、ノートPCでサイト閲覧や日記を書いたりといったことは出来るようになる。
 PS4も繋げて、16日の本震で中断していた「フォールアウト4」をやるが、画面を見た途端に、あの激しい揺れがフラッシュバックし、すぐに電源を切る。
 後日、再び「フォールアウト4」をプレイしようとするが、あのゲームは核兵器の使われた約200年後の荒廃した都市が舞台で、あちこちで建物は壊れ、道路もボコボコで、さながら熊本地震後を連想されられ、しばらくはどうしてもプレイできなかった。
 
 家は倒壊は免れたものの、完全に傾いており、窓が台所とトイレ以外開かず。家の中を歩くとミシミシと音が鳴り、怖い。


 22日、スクーターで一番被害が大きかったという益城町へ。
 テレビ等で被害状況は知っていたけど、改めて自分の目で見てみると、言葉が出ないほどの凄まじい被害に衝撃を受ける。
 辺り一面、何とも言えないような、カビの臭い、生活臭、土、木材、古い水、何かが焦げたような臭いなどが全て混ざったような独特な臭いが。
 時々、スクーターはおろか、徒歩でも通れないような道があり、どうにか通れる道はスクーターを押して通った。
 一番大きい避難所であろう益城町の体育館に行ってみると、通路にも被災者が寝ており、涙が出た。今思い出しても涙が出るほどの状況。


 ゴールデンウィーク中に、2回スクーターで南阿蘇へ。

 4月30日、大津からミルクロードを通って、赤水へ下りて、阿蘇ファームランド前を通り、河陽経由で南阿蘇入り。
 土砂崩れのあった河陽のペンション村の辺りは特に被害が大きかったが、南阿蘇の街中は倒壊した家は見あたらず意外と被害が少ないもよう。全て見て回ったわけではないので、もしかしたら倒壊した家もあったかも。
 あそ望の郷くぎのへ行ってみると、営業はしていたけど、自衛隊の基地みたいになっていて、たくさんの食料や物資を集約していた。
 展望デッキへ行ってみると、賞味期限がその日までのパンが「ご自由にどうぞ」と書かれて置いてあった。あまりにもたくさん集めすぎて余ってどうしようもないらしい。余って賞味期限切れたら捨てるだろうから、あまりにも集めすぎると元も子もないと思う。
 5月4日、本来ならゴールデンウィークの客で大賑わいのはずが、自衛隊も撤退していたこともあり、ヤバイほど閑散としていた。


 5月になり、ゴールデンウィーク辺りから暑くなってきて、窓もエアコンも無い物置での生活に限界を感じ、また大きな余震がきて倒壊しても、もう死んでもいいや、という気持ちで母屋へ戻る。
 物置に寝泊まりしている間は、狭い空間で毎日一人で泣いていたのを覚えている。
 震災前は週に1度、酒を飲むか飲まないか、飲んだとしても350mlの発泡酒を1本飲むくらいだったのが、毎日飲むようになる。飲まないとやってられないというのが本音。


 り災証明を申請後、1ヵ月以上かかってやっと発行。
 半壊、もしくは大規模半壊だなと思っていたら、なんと全壊判定。
 区役所で渡された全壊家屋用の赤い紙を見ていると、自然に涙が出た。

 
 熊本地震で、これまで何百回、いや、千回以上の地震を経験し、わかったこと。
 震度1~4までは慌てる必要無し。震度1~3で「あぁ~、またか」程度。震度4で「おっ?」と思うくらい。
 震度5。要注意。携帯電話から地震の警報アラームが鳴る。
 震度6弱。要避難。壊れる家もあるが、後日「怖かったね~」だけで済む場合も。
 震度6強。半壊、全壊する家屋多数。自然の猛威に人は何も出来なくなる。立って歩くことさえかなわず。後日、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になる場合もある。
 震度7。街が壊滅。倒壊する家屋多数。逃げるとかそういう次元ではなく、天に身をゆだね、ただ揺れが止まるのを待つだけ。


 以上。

 この後の仮設住宅などの問題など多数あったが、そこはブログを参照すれば良いので割愛。

熊本地震の記憶 Part2

2016年11月26日 | 熊本地震
 2016年4月16日 午前1時半頃(1時25分)
 
 すっかり油断して、PS4の「フォールアウト4」をプレイしながら、そろそろ寝ようと思っていると、再び巨大地震発生。
 今度のは、14日にあった地震より激しく、20~30秒くらい揺れたと思う。「思う」というのは、あまりの衝撃で記憶が曖昧になっているため。
 でもどんな衝撃か、どんな揺れだったかは覚えている。表すとすれば、小さい頃に昆虫を虫かごに入れて揺さぶって遊んだように、巨人に自分が箱に入れられて揺さぶられて弄ばれている感じ。
 最初の地震は、PC用の椅子に座っていたので、すぐに立って逃げられたけど、今度は座椅子に座っていたというのもあり、全く立てず、ただただ揺れる室内と再び棚から落ちてくる本やCDを見ているだけで何も出来ず。
 そして今度も揺れている最中に携帯電話から「地震です 地震です」の警報。「そぎゃんこつ言われたってもう揺れとるたい!!」と思いながらも何も出来ず。
 倉庫の方からは激しい警報アラームが聞こえる。買い物用のスクーターが倒れた時に作動したと思われる。
 揺れがおさまってくると、なんとか立てたので、携帯電話と財布と、また地震が来たときのために玄関に常備してた着替えなどが入ったリュックを持って外へ。
 しかし、玄関が開かない!軽くパニックになりながら、それでもどうにかこじ開けて外へ出ると、直後に停電。
 停電とほぼ同時に、道路から「ブシューッ!」という不気味な音が真っ暗闇で鳴り響く。
 何事かとライトで照らしてみると、道路の側溝から水道管が破裂したのか大量の水が吹き出ていた。
 よく見ると、家の前の舗装道には何本もの大きな亀裂。
 マンホールの蓋が、地盤が沈下したからなのか、それとも下から突き上げたのか、15cmほど盛り上がっていて、そこらじゅうで液状化が。
 
 
 家が心配になって、ライトで家を照らすと、明らかに傾いているのがわかる。ロックもして閉めていたはずの台所の窓が開いている。
 更によく見ると、暗い中でも公園側の地面が30cmほど沈下しているのがわかり、それによって家が傾いたとわかった。
 部屋着で外へ飛び出ていたので、とりあえず前回も避難した裏の公園へ行き、真っ暗な中、ライトだけを頼りに着替えていると、公園の地面にも亀裂が。
 ここも危ないと判断し、道路へ戻ると、倉庫のシャッターの真ん中の支柱が道路に飛び出し、シャッターはあり得ないほど歪んでいる。
 一旦支柱を抜き、シャッターを上げてみるものの、一人ではなかなか上がらず、苦戦していると、通りすがりの全く知らない人が手を貸してくれてなんとか元に戻せた。
 シャッターが開閉できるようになったので、倉庫に入ってみると、外観も中も、ほぼ被害無し。鉄筋で頑丈だった上に屋根がスレートで軽かったからかもしれない。
 スクーターは案の定倒れていた。あとは、倉庫内の梁の上に載せてあった大きめの板が落ちて車に当たっていたが、目立った傷は入っておらず。
 それと、我が家で一番高価であろう大事な大事な大型バイクは、2度の震度6以上を耐え抜いていて、それだけが不幸中の幸い。
 あとで聞いたことだが、置いていた向きによって倒れたバイクと倒れなかったバイクがあったらしい。
 
 
 とりあえず車を倉庫から出し、落ち着いて改めて道路の方へ行くと、どこかから漏れたであろうガスの臭いや灯油の臭いなど、明らかにただ事ではない異様な空気に包まれている。
 よく見ると、家の前の病院の駐車場の暗闇の中に人がたくさん集まっており、寒そうに立っていたので、座って落ち着くように、倉庫にあった段ボールを地面が液状化でグチャグチャの中、十数枚差し入れ。
 「立ったままだと落ち着かんでしょうけん、とりあえずこれに座って落ち着かんですか?」と段ボールと、山で遭難したときに便利な遮熱シートを持って行くと、「お前、誰?」みたいな感じで見られて、何か違和感。
 段ボールはとりあえず受け取ってはくれたけど、誰も座ろうとせず。「せっかく好意で差し入れたのに何だこいつら?」と思っていると、誰かが「津波がくるみたい」と言いだし、軽くみんなパニック。
 慌てて真偽を確かめようとワンセグで情報を得ようと思ったら、ヘンテコなアンテナを刺さないと観れないタイプのスマホだったため、それを家に忘れて来てたので確かめられず。
 家に戻るけど、傾いているのでビクビクしながらテレビの電源落としたり、ブレーカーも落として、このまま居たら危ないと判断し、必要になるかもしれない物と、犬のさくらさんを車に乗せて、どこか避難所を求めて彷徨う。
 卒業した中学校に行ってみると、被災者を受け入れていたけど、運動場まで車でいっぱいだったので、別の近く高校へ行ってみると運動場に余裕があり、車を止めた。
 体育館に被災者が集まっているというので、行ってみると、とても落ち着いて居られないような雰囲気で、再び車へ。
 「犬も居るし、イビキもうるさいのでやっぱり避難所は無理だな」と思っていると、そういえば入院中の叔母はどうなったのだろうと思い、高校をあとにして病院へ行ってみる。
 さすがに病院だけあって、倒壊はしていないし、自家発電で照明も点いていて、駐車場に案内係が居たので、「叔母の様子を見に来ました」というと深夜だというのに中へ入れてもらえた。
 エレベーターが止まっているというので、案内されながら真っ暗な非常階段をライトで照らしながら病室へ行くと、隣のベッドのおばさんは「怖かったね~」と言っていたが、叔母は何事もなかったように寝てて、一度目を開けたけど、すぐにまた寝た。
 
 病院を出ると、少し明るくなってきてて、帰りの道中は、やはりそこかしらの道路に亀裂。
 早くも通行止めにしてある道もあって、倒壊した家、傾いた家だらけで、さながらこの世の終わりのような光景だった。
 家に戻ると、倉庫は無事だったので、ずっと倉庫に居て、その日は一睡もせず。というか、地震の警報アラームが何度も鳴るので寝てもおられず。
 完全に日が昇ると、さすがに腹が減ったので、またビクビクしながら家の中へ戻ってカセットコンロとヤカンを取ってきて、非常用のカップラーメンを食べた。
 その時確かめたけど水はどこかで水道管がやられているのか断水。
 
 
 
 

 昼前くらいに、近所のオッサンが「水が欲しい方は○○へ!」と少し遠くにある工場で給水していると拡声器を使って呼びかけていて、その後、家の前の病院の駐車場に居たので、詳しく聞きに行くと、なんとみんな駐車場で炊き出しを食べているではないか!
 朝方も2軒隣の同級生のお母さんとすれ違ったのに、何か話しかけようかとしているとプイッとそっぽを向かれ、「大丈夫だった?」みたいな心配する声かけもしてもらえず完全スルー。町内会費を断ったからだろう。
 駐車場でもみんなでスルーしながら普通におにぎりとか食べてるし。給水の場所を呼びかけていたオッサンは良い人みたいで、「一緒に食べていかんね」と言ってくれたけど、それでも他の人は完全スルー。
 あんまりみんながスルーするので、オッサンが業を煮やしたのかスルーしてた人に「ほら、おにぎりやらんね!」「こぎゃんときに仲良くしとかんと いつ仲良くするとね!!」と言うと、しぶしぶといった感じでおにぎりを1個くれた。もちろんそんなの全然美味しくはない。
 本震直後の段ボールを差し入れたときの違和感はこれだったのだろう。
 町内会費を払わなかっただけで村八分にして自分たちばっかり炊き出し食べてるとか、もう絶対に町内会費は払わないし、金輪際この駐車場に集まっている人たちとは口をきくまいと誓う。
 後日も炊き出しがあったかもしれないけど、それすらわからず。
 
 日中は倉庫でラジオを聴きながら待機してたが、何度も強めの余震がきて、その度に外へ飛び出る。
 時折、外が臭くなる。公園側に地盤沈下して出来たいくつかの亀裂の一番大きな亀裂から濁った臭い水が絶え間なくではなく、定期的に溢れ出ていた。
 何の水かもわからなかったが、たぶん下水管が破裂して、それから下水が溢れてきている模様。
 
 昼過ぎ、水が貰えるという工場へ、湧水を汲む時に使っていたポリタンクを2つ持って行き、満タンに汲んでもらう。これでしばらくは手を洗う水などは確保。ついでにトイレも借りられた。

 夕方近くになり、食料をなんとか確保しようと、車で行くと混むだろうからスクーターで買い出し。
 やっぱりコンビニはどこも食べ物が底をついており、営業出来ないスーパーだらけ。いくつかホームセンターへ行ってみると、荒れた店内から掻き出してきた電池やカセットボンベを店頭販売してたので、電池とボンベを購入。
 帰りに通りすがりのコンビニに配送トラックが入っていくのを目にして、「大チャンスだ!」とばかりに飛び込むと、大正解!パンを搬入するところで、何パンかもわからず、みんなで群がってすぐに完売。
 それと、ちょうどタイミング良くドッグフードが無くなりそうだったのを思い出して、犬のエサを探すけど売ってなくて、仕方なく猫用のドライフードを「たぶん食うだろう」と購入。(やっぱり普通に食べた)
 とりあえず今日の分の食料は確保出来たけど、停電しているのでレジが電卓の手打ち計算で1時間くらいパンを持って並んだ。
 
 宇土付近を通りかかった時の空の写真。変な筋状の雲なのか、地震による波動なのか何かよくわからない筋が出来ていた。
 
 
 夜になり、車中泊をしようかと思うが、軽自動車で大男なので窮屈で眠れないだろうと、倉庫内にキャンプ用のテントを設営。
 布団も運び出して、夕食をテント内で食べて横になると一睡もしてなかったのですぐに睡魔が襲い、寝たが、それも余震や真横の道路を走るトラックなどの音や振動で何度も起こされた。

熊本地震の記憶 Part1

2016年11月26日 | 熊本地震
 平成28年熊本地震から半年以上が経ち、ようやくあの大地震を振り返る事が出来るようになってきたので、記憶が確かなうちに、地震直後の記録を残そうと思う。


 2016年4月14日 午後9時半頃(21時26分)

 オンラインゲーム(ファイナルファンタジーXIV)をしながら、ゲーム内でアイテムを作りながら半分寝かけてウトウトしていると、突然下からドンと突き上げるような縦揺れ発生。
 しばらく縦揺れの後、激しい横揺れ。これまで経験したことのない未曾有の揺れで、刹那に「これはヤバイ」と判断。
 テーブルの辺りから「地震です 地震です」という警報が鳴り響き、「今更そんなこと言われたってわかっとる!!」と思いながら逃げるさなか、玄関先にいつも常備している懐中電灯が目に付いたので、とりあえずそれだけを持って外に飛び出る。
 携帯電話や財布など持って出る余裕など無し。
 外に出ると、倉庫のシャッターが激しくガシャガシャ音を立てていた。
 道路の方に目を向けると、何台も車が止まっており、そのうちの家の前に止まっていた車を見ると、車載テレビがついていたので情報を得ようと近付くと、その時は地震速報はまだ出ておらず。
 まさか熊本でこんな大地震が起こるとは、その時は思っていなかったので、近々起こると噂されている南海トラフ地震だと思いこんで「南海トラフかどこかの地震ですか?」とドライバーに問うと、NHKにチャンネルを合わせてもらったその時、画面に地震速報が流れる。


 「熊本県で地震」


 正に「寝耳に水」とか「青天の霹靂」というのはこんな時に使うのだろう。
 
 「は?なにそれ。なんで熊本で地震?」というのしか頭に浮かばず。
 
 更にアナウンサーは情報を続け、「熊本地方で震度7を観測しました」。
 
 放心状態になりながら、テレビを見せてくれたドライバーに礼を言い、半袖で外に出ていたので寒かったのもあり、一旦家に戻ろうと思うも、東日本大震災で何度も大きな余震があったというのを思い出し、なかなか家の中には戻れず。
 意を決して家に戻るも、その間も余震が続く。決死の覚悟で家の中に入り、長袖のフリースを着込み、オンラインゲームはログアウトしないで家を出たので、ゲーム内の仲間に「実は熊本在住で、かなりヤバそうだからとりあえず落ちるね」とログアウトし、財布と携帯電話と電池を持って、家の裏が公園になっているので、そこが一番安全だろうと判断し、避難。
 公園で座っているときも、何度も余震。自分が揺れているのか、地面が揺れているのかわからない状態に。
 空にはヘリが何台も飛び交い、遠くでは救急車や消防車などの緊急車両のサイレンが鳴り響き、携帯電話のワンセグ放送を見ていると、次々に被害状況が流れ、改めて被害の大きさを知る。

 1時間ほど公園に居て、気持ちも少し落ち着いてきたので、再び家の中へ。
 落ち着いて家の被害状況を見ると、建物自体の被害は無し。しかし、本棚から本やCDが落ちて散乱。本棚自体やタンスは倒れておらず、倉庫に置いてあるバイクも直立不動で一安心。
 山登りしていたときの大きめのリュックに水と着替えと携帯食料とタオルなどを詰め込んで再び公園に戻ろうと思うも、緊張で汗をかいていたのか服がビッショリ濡れていたのに気付いたので着替えをし、PCも電源を落としてなかったので落として、念のためブレーカーも落とし、再び外へ。
 道路に出ると、やっぱりみんな不安で家には居られないのか、外に出て座ったりウロウロしている人が多数。
 少し遠くを見ると、100m先ほどの辺りから煙が上がっているのを確認。
 慌てて駆け寄ってみると、歩道で焚き火をしているバカ。近所のおばさんも「こぎゃんときになんば考えとらすとだろか。」「バカじゃなかろか。」と口々に言っていた。
 公園に戻り、桜も終わって昼は暖かいとはいえ、まだまだ夜は寒い。登山用の断熱シートを敷いて座っていたけど、とにかく寒かった。
 

 2016年4月15日

 0時頃、緊張でまた汗をかいていたので、着替えようと家に戻ると、再び9時半頃に起きた地震と同じかそれ以上かと思えるような激しい地震。
 慌ててまた外に飛び出ると、出た直後に停電が発生し、辺り一面、見渡す限り真っ暗に。ライトを手に持っていたので、すぐに対応できたけど、持っていなかったらパニックになっていたと思う。
 数分後には再び辺りの明かりがついたけど、もう怖くて家には戻らず、 朝4時くらいまで公園で避難。
 大きめの余震も来なくなっていたので、落ちた本やCDを片付けて、とりあえず家で少し寝るが、小さい余震は何度もきて、あまり眠れず。
 
 夕方、腹が減ったので何か食べようとスクーターを走らせていると、某有名弁当屋が開いていたので入ると、やはり配送不可で売り切れの弁当あり。
 のり弁を買って、コンビニに寄ると、既にカップラーメンなどは全て売り切れ。飲み物はまだあったので、それを買って家に戻る。
 オンラインゲーム内での仲間に安否情報をゲーム用のブログに書くものの、ログインは控えた。

くまもとじしん そのご 14

2016年08月19日 | 熊本地震
応急仮設住宅の増設希望を何度も熊本市に訴えて、やっと努力が実を結んで行政を動かしたわけですが、仮設住宅に入るのを辞退しました。
元々、ペット可のみなし仮設が無いし、自力でペット可の部屋を借りたり、ましてや家を買ったりとかも出来ないので、応急仮設住宅に頼るという選択しかなかったわけで、どんなところでも入れるならどこでも良いと思っていたのですが、城南工業団地はどう考えても遠すぎる・・・。
買い物したりバスに乗ったりするのにいちいち遠いし、やっぱりたまには壊す前の家の様子を見に行かないといけないのに小一時間かかるし、車は1台置けてもツーリングするときの大型バイクが置けない。置けたとしてもいたずらされたら困る。なので、とりあえず家に置いておくしかなく、ツーリングに出かけるのに、いちいち小一時間かけてバイクを取りに行かないといけなくて面倒だし。ツーリングするまでの時間は一体何の時間なんだ?って思います。
あとはデリバリーも無いし、ファストフードも無いし。大好きなイオンモール熊本クレアも逆に今の家から遠くなってる始末。
ほんと悩みに悩んで、あまりにも悩みすぎて一睡も出来ない日もありました。その末での苦渋の決断です。
自分だけではなく、他にも要望があったから増設したんでしょうが、それを強く訴えてた本人が入らないとかあり得ない話で、すごく罪悪感もあります。
新車を注文して、ディーラーに車が到着して、やっぱりいりません。じゃぁせっかく取り寄せたこの車をどうすればいいの?って感じですかね。

今思えば、しつこく訴えていたのは、仮設住宅を作っても、たった40数戸とか50数戸とか全く足りないのは明らかなのに、思うように建設を進められない熊本市に苛立って、どうしても行政を動かしてやろうという意地だったのかもしれません。もちろんペット可の家に住みたいというのが大半を占めていましたが。
他にもうちと同じような境遇の人はいっぱい居るので、その人たちのためにもどうにかしようという変な使命感もありました。他の人から言わせれば余計なお世話だったのかもしれませんが・・・。
でもまぁ結果として、おかげで予定より多くの人が仮設住宅に入れることが出来るようになったと思って自分を慰めるしかありません。

あとは、さくらさんを絞め殺そうかとか、動物愛護センターに逃がして保護してもらおうかとか、段ボールに入れて練炭で殺そうかとか、睡眠薬を手に入れて大量に飲ませて殺そうとか、いろいろな極悪非道な考えも持ちました。
でも14年も我が娘のように育てたのに、それは出来ません。どう考えても無理です。
もし実行してしまったら、一生重い十字架を背負って生きていくことになり、夢にも出てきてうなされるだろうし、他の犬を直視出来なくなるでしょう。

でも、今までの悩みが一気に解決しました!!
ダメ元で、熊本市の不動産会社に片っ端から電話してみたら、奇跡的にペット可の物件があったのです!
「今すぐじゃなくて良くて、年明けくらいには家が取り壊しになるから、全壊だけどどうにか住めてるので、年末くらいまでにどこか空く予定の部屋があればそれまで待ちます。」みたいなことを言ってたら、ある有名な会社で「11月上旬に新築のアパートが完成予定のがありますがどうですか?」と言われてホームページ見てみたら、なんとペット可じゃないですか!!
もちろん、即日契約しに行きましたとも!!てかまだ完成してないので本契約ではなく、予約ですが。

新築でペット可。それだけでも万々歳なのに、今の家から超近いんです。信号引っかからなかったら車で5分かかるか、かからないくらい。直線距離だと500mチョイくらいかなぁ。
しかも、更に驚いたことに、親戚のいとこの家が直線距離でわずか10m。100じゃないっすよ、10です。
そしてまだ良いことありますよ!!なんと部屋が3階建ての3階!
今までずっと平屋しか住んだことがなくて、2階以上の部屋に強い憧れがあったんです。
残念ながら角部屋は先約がありましたが、上からの物音がしないのがいいです。
まさに「待てば海路の日和あり」ってのがピッタリの奇跡的というか運命的というか、とにかく嬉しいです!!
やっぱり何だかんだで住み慣れた町が一番良いですからね。
入居まで、あと2カ月半くらいありますが、それまで傾いた家で頑張ります!いえ、ていうかそれを希望に頑張れます!

実はですね、今までブログに書いてなかったけど、クソデブオッサンの分際で、年甲斐もなくピアス開けたんですね。
若い頃から憧れてたし、熊本地震の影響もあったんでしょうね、人はいつ死ぬかわからないし、半ばヤケクソで「もうどうでもいいや!」「一度しかない人生なんだから1回くらい冒険したっていいじゃないか!」って感じで開けました。
で、ピアスを開けると、良かれ悪かれ運命が変わるみたいなことがあるらしいんです。
あくまでも迷信と言われればそれまでですが、自分的にはピアスを開けたことによって運命が変わって、奇跡的にペット可の新築アパートが見つかったんだと信じます!!
あ、ちなみにほとんど痛くなかったですよ(ピアッサーにもよりますが)。今までの人生で味わってきた痛みに比べたら屁のようなもんです。

くまもとじしん そのご 13

2016年08月17日 | 熊本地震
今までしつこいくらいに応急仮設住宅を建ててくれと熊本市の住宅課に訴えて、市長にもメール出してたら、それがやっと実を結びそうです。
だけど、どうやら城南工業団地になりそうです。
実際現地に行ってみたけど、めっちゃ遠いっす。バスもスーパーもコンビニも城南の街中に出ないと無いし。
クルマもそんなに走って無ェ。ディスコも無ェ。のぞきも無ェ。喫茶も無ェ。集いも無ェ。レーザーディスクは何者だ?おらこんな村いやだ!って感じの僻地です。

このへん→GoogleMap

でも正直贅沢言っていられないんですよね。家を取り壊さないといけないし、一日何十回も揺れるし、水も満足に出せないし、窓が開かないから暑くて仕方なくてクーラーフル稼働。夜とか外の方が涼しいという逆転現象まで起こってるような家なので・・・。
贅沢は言えないけど、周りに何もないってのが非常にネックです。せめてコンビニくらい歩いて行けるくらいのところに欲しいかな。
都会に疲れて田舎暮らしに憧れて田舎の古民家に引っ込む人とか居るじゃないですか?あれって信じられないです。なんで何もないところにわざわざ行くかなぁ?っていつも疑問に思います。
まぁとりあえず車とバイクはあるので、なんとかなるだろうし、2年間喘ぎながら頑張って生活再建させるしかないですね。

引っ越しというのは、新しい生活に胸躍らせるパターンが多いけど、ほんとイヤです。引っ越したくないです。全然胸が躍りません。億劫で仕方ありません。
不謹慎なのはわかってるけど、2年間のうちに叔母が亡くなって土地を貰いたいです。そしたらすぐに今の土地に小さなプレハブ小屋でも建てて戻りたいです。



※追加情報
現在建設している東区と城南の応急仮設住宅以外に、今後一切建てないと明言されました。
入れなかった人は、みなし仮設を探してもらうか、県外に出るか、ペットを飼ってる家庭は各自で処分するしかないみたいです。
熊本市の建築住宅部の部長は、仮設住宅を希望する人全員に作ると断言したのに、やっぱり大嘘つきでした。

くまもとじしん そのご 12

2016年07月14日 | 熊本地震
今日で熊本地震から3カ月ですね。あっという間でした。
相変わらず何も前に進めてませんが、時間というのは無情にも過ぎていくんですね・・・。

それにしても益城町の待遇の良さには、最近少しイラッときてます。
震災直後に現場を見てきました。たしかに酷い状況ではあったのですが、ボランティアも芸能人もマスコミも来るのは益城町ばかりで、ひいきしすぎではないかと最近思います。
熊本を応援しようとかいうイベントとかあっても、ほとんど益城町。
益城町ばかり取り上げられて、そっちばかりみんな目を向けてるけど、うちの近所は液状化や大規模地盤沈下で、被害の大きかった地区で、ぶっちゃけRKKの取材が来てニュースにもなってたくらいなんですよ。
家の前の大きな道路なんかまともに車が走れないほどのガタガタだったし、家のすぐ横の小道なんか下水道管が破裂したみたいで、地下から汚い水がものすごい勢いで溢れ出てて、耐え難い悪臭がしてました。
もちろん上水道管も破裂してて、道路から溢れてました。
被災して酷い状況にある人は益城町の人たちだけじゃないんだ!!!!ということを声を大にして言いたい!!!!!
うちの近所には自衛隊も来てないし、ボランティアも来てないし、炊き出しがあったとかいう話も聞いてないし、別に芸能人は来なくていいけど、同じくらいの被害を受けてるのに何なんだこの益城町との差は!!!!


「藁にもすがる思い」
昔の人はよく言ったもので、文字通り、本当に藁にもすがる思いで、城南町の仮設住宅の2次募集に申し込んできました。
入れる可能性は限りなくゼロなんでしょうが、0.0000000000001%でも可能性があれば賭けてみるしかない!!
1億%、いや1000億%無理なのはわかってるけど、そうしないと今回は気持ちの収まりがつきませんでした。
城南総合出張所で申し込んでハズレ確定券を貰い、城南町に来たついでに2次募集のある城南工業団地の建設中の仮設を下見してきましたけど、遠いです。めっちゃ遠いです。
でも遠くても今の家よりかなり良いです。当たりさえすれば絶対入ります。


あと、水の件。
水を溜め置きすることにしました。
トイレはバケツで流せばいいし、少し汚い話になりますが、小くらいだったら2~3回に1回くらいで流せばいいかな…と。
湧水を汲みに行ってたときに使ってた20リットルのポリ容器が2つあるので、その水で手や顔を洗ったり、食器洗いも出来るだけしないでいいように紙皿使ったり、いくらでも工夫の仕方はあります。
叔母が昔、趣味で漬け物を作ってて、大きいポリバケツが倉庫にいっぱいあったので、あまり溜めすぎてもと思って2つに溜めてます。
それで独身一人暮らしの1日分くらいだったら、じゅうぶん余るくらいでしょう。
で、洗濯やシャワーのとき以外は水道の元栓を閉める!!
少し面倒だけど、月々1万円以上払うよりかなりマシです。


もう一つ。
犬が居て、みなし仮設に入れないんだったら、近所のアパートかマンションのみなしを探してもらって、さくらさんを家に置いててエサをやりにくれば問題解決かも!!と思って探してもらいましたが、ダメでした・・・。
もはや人間一人さえ入れるところもないみたいです。
熊本市内一円で探せば、もしかしたらみなし仮設が空いてるかもしれないけど、遠いところしか空いてなかったらエサをやるだけに毎日何十分もかけて帰るのは、それは正直自信ありません。疲れます。
疲れ果てて、マジで絞め殺してしまうかも・・・。


最近では「自殺」という方法まで考えるようになりました。
早く楽になりたい。

くまもとじしん そのご 11

2016年07月13日 | 熊本地震
家の外にいたら、ちょうど水道料金の検針に来られたんですね。
そしたら、請求額がなんと!!

12000円!!(((( ;゚д゚))))

ちょ、なにそれ???
いつも2000円くらいしか払ってなかったのが、震災直後に4000円くらいになってて、漏水してるってのはわかってたけど、上がりすぎじゃね??
さっそく上下水道局に電話したら、修理すれば漏水してた分のお金は返すけど、修理しなければどんなに震災の影響であってもビタ一文まけられないと言われました。
修理するとしても解体申し込み予約してる家だからヘタすりゃ修理代ウン十万取られるかもしれないのにバカらしいし、でも次の家も決まってない状態で何カ月も1万以上払い続けるのも惜しいし、どうすればいいの・・・。
プレハブ住宅に入れる見込みもないし、熊本市に電話しても相変わらず「建設の予定はない」と「みなしで探してくれ」の一点張りだし。
熊本市の住宅部の部長は仮設住宅を希望する人すべてに仮設を造りますと断言したのに、あれはウソだったようです。造る気は無いみたいですよ。
江津湖近くの東部土木センター跡地に40戸くらい建設中らしいですが、そこも東区の人で埋まってしまうと言われました。「埋まるだろう」という仮説ではなく埋まるのは確実と言われました。城南の2次募集の30戸も城南町民で埋まってしまうとも言われましたよ。で、その後はもう建てないみたいです。
仮設に入れてもらえなくて残った半壊や全壊の人は2次災害で家に潰されて死ねと言うことらしいです。もしくはペットを各自で殺してみなし仮設を探せということですかね。
今度、マジで住宅部の部長にアポ取って正式に抗議します!!
もしこの日記見てる人でツイッターとかSNSやってる人がいたら、この熊本市の酷い対応を拡散してほしいくらいです。(自分ではツイッターもSNSもやってないんです)

こうなってくると、うちのさくらさんを泣く泣く安楽死させる手しかないのか・・・。
柴犬の平均寿命が10~13歳なので、もう14年も生きたし十分かなぁ。と思い、いくつか動物病院に安楽死の相談をしたら、病気や怪我で苦しんでたりして、もう余命幾ばくもない時だけやむを得ず行うとのことでした。飼い主の都合では無理みたいです。
うーん、困った。
みなしもプレハブもダメ。頼れる親も兄弟も親戚も居ない。毎月水道代が1万円以上。傾いてて窓も開けれなくて空気の入れ換えも出来なくて蒸し暑い、そして震度1~2の揺れが何十回とある家に住み続けるのは、もうそろそろ限界です・・・。

くまもとじしん そのご 10

2016年07月01日 | 熊本地震
益城町で市街地から遠い仮設住宅に割り当てられた人たちが、せっかく抽選に当たったのに100世帯ほど辞退したらしいですね。
安心して住む家がない人からしたら贅沢な話です。
確かに通勤に時間がかかるとか買い物するところがないとかいろいろと不満はあるのでしょうが、まともに仮設住宅も造ってくれない、しかも差別する熊本市よりもマシかと。

城南町や富合町が被害が多かったという理由でそこに仮設住宅を造ったみたいですが、それだけではないと思うんです。
熊本市街地に仮設住宅用の土地が確保できないから郊外に造ったというのもあると思います。
今後も、もし熊本市の住宅部が無能でないなら仮設住宅を増やすと思いますが、その場合もやはり郊外となると思われます。
そしたらまた、その地域住民を優先とするんでしょうね。
いくら熊本市の郊外や益城町に仮設住宅が出来たって、住民優先という差別をしてたのでは、まったく先が見えてこないんですけど・・・。
待てば、時間はかかってもみなし仮設とか仮設住宅に入れるという保証があれば、それまで傾いた家でがんばりますよ。
でもまったく希望が持てないこの状況じゃ精神的にも肉体的にも疲れます。
実際、大きな車が通るたびに家が毎日何十回も揺れたり、どこからか、地下からかもしれないけど、寝てたら「ドーン!!ドーン!!」と音がして震災後はずっと睡眠不足です。
遠くてもいいから益城町の仮設住宅空いてたら入れてくれないですかね・・・。
同じ県で、しかも同じ熊本地震の被災者なんだから、熊本市は熊本市、益城町は益城町とかいった行政の枠を取り払って柔軟に受け入れてほしいです。
そうじゃないと、例えば益城町に3万戸造って1万戸余ったとしても、ただその空き家を指をくわえて見てるしかありません。
ちなみに、富合町の仮設住宅は、受付初日でほぼ定員いっぱいだったので、申し込むだけ無駄なのでやめました。たった55戸て・・・。

あと、富合町の次に、どこか建設予定があるのかもわからないし、もしあったら早めにホームページなどに掲載してもらえると、また希望が持てて精神的に支えとなると思うので、そういう情報はほしいです。
本当に本当に、このままだとさくらさんを安楽死させるという道を選ばざるを得なくなるかもしれません・・・。
そうなる前に、なにか希望が欲しい!
9月でも良いから、10月でも良いから、待てば何らかの仮設に入れてもらえるという保証が欲しい!
そしたらそれまで、窓が開かなくて傾いてて毎日揺れる眠れない家でがんばりますから!!

くまもとじしん そのご 9

2016年06月20日 | 熊本地震
先日、富合町の仮設住宅の説明会に行ってきました。
朝10時の第1回目に行くと、大会議室に満員の100人ほど来てて、2社ほどテレビ局の取材も来てました。
合計55戸の募集に対して、1回目だけで100人くらい居て、14時から2日目もあって、それにはどんなに少なく見積もっても50人は来るだろうし、もしかしたら1回目を超えるくらい来るかもしれないし、今回も話にならない感じですね。
またしても差別されてて、富合町民優先で、空きが出たら南区優先で入れるそうで、1回目の富合町民対象(町民でなくても参加はOK)の時点で100人くらい来てるんじゃ優先もなにもあったもんじゃないですよ。
しかも、仮に空きが出たとしても小学生の居る家庭や妊婦、障害者が優先的に選ばれるのでは、またしても東区の時のように可能性は限りなく0%だと思います。

あと、説明会での参加者の質問で思い出したのですが、たしか震災直後って仮設住宅の優先基準って、家の損壊具合でしたよね?
全壊が優先されるって聞いてました。確かに。
罹災証明書を貰うまでは半壊と思ってたので、「あー、仮設無理かなぁ」と思ってたのを覚えてます。
それがいつの間に地域の人優先になったんでしょうかね。
これも質問でわかったことなのですが、なぜ今回55戸しか造ってないかというと、各自治体の代表に訊いたり、避難所の人たちにアンケートを採った結果、55戸で足るだろうと判断したらしいっす。なんというアホな話でしょうか。
もうほんと呆れますね。うちみたいにペットが居て、みなし仮設にも入れなくて、もちろん避難所にも行けなくてやむを得ず壊れた家に住んでる人もたくさん居るのに、そういう人は除外してるんですよ。
もちろん説明会が終わったあと、一番偉いであろう人に詰め寄ったのは言うまでもありませんね。
あとでわかったんですが、詰め寄った人は、熊本市建築住宅部の部長で、その人に「仮設住宅を希望する人の数を把握すること」を伝え、「益城町は仮設住宅を希望する人全員分を造りますと言ってるので、熊本市も希望する人に造ってほしい」と言うと(実際には凄い剣幕で詰め寄ると)、「造ります!」と断言されました。これを読んだ方、みなさん覚えててくださいね。熊本市の建築住宅部の部長が希望者分の仮設住宅を造ると断言したこと。
南区と東区以外にも、当然全壊の家はあるわけで、そちらにも造るみたいなことを言ってましたが、どうせまた地域優先にするのは間違いないです。でも百歩譲って地域優先で良いとしても、まずは仮設住宅を希望する人の数を把握してからにしてほしいです。それもまた自治会に訊いたり避難所の人だけにしか訊かなかったりするのではなく、半壊以上の家をまわって訊くか、アンケート用紙を郵送するとかしてほしいです。市外とか県外に避難しておられる方もいるでしょうけど、そのくらいの調査をするべきでしょう。そんなのもしないで何が「がんばろう熊本」ですか!!!

とにかく、熊本市は仮設住宅を希望する人の数を把握してない!!
それと、半壊以上で住むところが無くて困ってる人たちがたくさん居るのに、家の損壊具合を優先するのではなく、仮設のある地域を優先して差別化するもんだから、たとえ自分の住む区外に1万戸仮設を造られても、そんなんじゃいつまで経っても入れませんよ!!
がんばって仮設住宅の建設を進めるべく尽力されておられるのはわかりますが、損壊具合で優先して、希望する人の数を把握して、それから仮設住宅を造ってほしい。そして空きが出たら、その地区優先で入れるようにしてほしいです。順番が違うと思います!!