ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

課長のラベル

2021年03月05日 | 作品を書いたで
「課長はどこ行った」
「出張ですよ支社長」
 午前九時四十五分。支社長が出社してきた。
「そうか。帰ってきたら俺の部屋に来るように」
 そういうと支社長は事務室の一番奥の部屋に入っていった。
「珍しいわねボンが十時前に出てくるなんて」
「そうね。またアレじゃない」
 中年のおばさんが二人。少し年配の方が、手を伸ばしてクイクイと上げる動作をした。
 車が停まる音がした。中年の男が入ってきた。疲れているようだ。崩れ落ちるように椅子に腰かける。
「課長、支社長がお待ちかねよ」
「うん。その前にお茶をいっぱい」
 課長はズズとお茶をすすって支社長室のドアをノックした。
「永川課長か入れ」
 三〇代前半か。若い男が、机に足を上げて釣り竿を磨いている。
「で、リールは買ってきたか」
 永川は額の汗をふきながらいった。
「残念ですが、売れたあとでした」
「あのリールを持って、今から釣りに行く予定だったんだぞ。俺がやっとネットで見つけたリールだったんだ」
「だったらなんでネット通販で買わなかったんです」
「あれだと一週間はかかる。俺は今日釣りにいきたかったんだ。この役たたずがお前はクビだ」
 享楽産業見和支社。四国のA県の見和に有る。見和海に面していて絶好の海釣りのポイントだらけだ。近くに小さな漁村があるだけの四国の寒村だ。
 享楽産業。パチンコ台のメーカー。見和地区にはパチンコ屋一軒もない。見和支社が開設されてから売り上げはゼロ。
 永川が支社長室から出てきた。
「あ、課長、お昼はどうします」
「私はもう課長じゃないんだ。クビにされた。いまから大阪に帰る」
 そういうと永川は私物をまとめて、とっとと出て行った。
「永川さん、かわいそ」
「次の職場はどんなとこになるにしてもここにいるよりマシなんじゃない」
「あ、お父さん。永川はクビにした。次の『課長』を送ってよ」
 支社長は享楽産業の社長の次男である。長男は近い将来社長になるべく専務の肩書で社長修行中。次男は遊び人でわがままで、その上無能でどうしようもないバカ。息子二人を溺愛している現社長は、次男の居場所をつくった。釣りキチの次男のためだけに開設された支社である。支社長の次男の他に社員が三人。事務員の二人は地元の主婦のパート。あと、営業課長。これは本社や他の支社から適当な人が送られてくる。
 ヒラか主任、せいぜい係長クラスの人で、そこにいてもいなくてもいい人が貧乏くじを引かされて送り込まれてくるわけだ。
 事務員二人に営業課長、それに支社長。この四人が享楽産業見和支社の全人員である。
 パチンコ屋のない海辺の片田舎。パチンコ台製造メーカーの仕事なんてない。社長の次男のボンの居場所をつくるためだけにできた支社である。

 ポンと課長が青田の肩をたたいた。
「青田くん、おめでとう。課長に昇進だ」
 享楽産業交野工場。資材部購買係主任の青田は、パソコンのキーボードの手を止めた。基盤の発注メールを送信しようとしたところだ。
「明日、辞令が出る。来週から新しい職場に勤務してくれ。送別会をしたいところだが、このご時勢だ。しないでおく」

「えー、このたびこの支社の営業課長を拝命しました青田です。よろしくお願いします」
 事務員二人が青田の顔を見ながらささやきあった。
「どれぐらいもつかしら」
「さあ、なんにも仕事がないということに、どれだけ耐えられるかしらね」
 横に立っていた支社長が、ポケットから何か取り出した。
「よろしく頼むよ。課長」
 ペッと支社長は青田課長のおでこに手のひらを当てた。青田のおでこに「課長」というラベルが張ってあった。
「これで君も名実ともに課長だ」

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