たくさんの優しさ

大好きなもの・・・音楽、木村君、うちのニャンコ。

ワッツ

2008年04月11日 18時54分39秒 | 日記
      ワッツ・・・初めて聴いたのは、いつだったかな?
      「ラブジェネ」が始まって2ヶ月経った頃、突然拓哉君を好きなにって、まるで事件
      を調べる敏腕刑事みたいに、拓哉君の事を調べ回したんだっけ。
      あの頃は見る事聞く事すべてが新鮮で、嬉しくてしょうがなかったなあ。
      こんな事も、あんな事も出来る人なんだ・・・とか、人気者なのに謙虚なんだ・・・
      とかね。

      親友が拓哉君の大ファンだったから、色々教えて欲しくて毎日電話してたんだっけ。
      この親友にワッツの事を聞いて聴き始めたんだったかな?
      「ラブジェネ」が終わって年が開けて、1月から聴き始めたのでした。
      それまで描いていた(勝手に)拓哉像と大分違っていたので、びっくりする事が多かっ
      たです。
      一番びっくりしたのは、やっぱりエロトークだったと思います。
      でも、このエロトークのお陰で、よりいっそう親しみを感じたのでした。

      初めて聴いたその日から、ず~っと録音しています。
      リストも作っています。
      聴きながら、どんな事をしゃべったかノートに記録しています。
      ○○○○年○月○日、話の内容は箇条書きみたいな感じ。
      このノートを見れば、もう一度聴きたいワッツが直ぐ聴けます。
      ノートを読むだけでも楽しいです。
      拓哉君の歩んできた人生(大げさ?笑)が分かる感じです。
      
      色々有りましたよね。
      ラジオを聴きながら、大声を出して笑った事も有りました。
      感動して涙を流しながら聴いた事も有りました・・・いっぱい元気を頂いて。
      聴いていて苦しくなる事も有りました・・・聴きながら泣いたっけ。
      やんわりとメッセージを伝えてくれる拓哉君の優しさに感激したっけ。

      ワッツの存在は大きいですね。
      拓哉君の本音が聴けるんですもん。
      ワッツが無かったら雑誌くらいですよね、拓哉君のそのままの気持ちを理解するのは。
      ファンとの心の交流が出来る、大事な大事な時間です。
      父が危篤だった時も、ワッツを聴いてから病院に行った私。(直ぐ行かなくてはならない
      状況じゃなかったから許されたんですけど。)
      ちょっとだけ父に申し訳無く思っています。
      でも、父ならきっと許してくれると思って・・・苦笑いしながら。

      父ですが、午前2時に「ご家族の皆さん、集まって下さい。」と先生に呼ばれて臨終に臨ん
      だのですが持ち直し、今度はその日の午前10時に「ご家族の皆さん、集まって下さい。」
      と言われて集まったのにまた持ち直し、結局亡くなったのは次の日の午後2時でした。
      こんな状態だったので、一度家に帰り(交代で)、ワッツを聴く事が出来たのでした。

      それにしても父の主治医の先生は「やぶ」だったのかしら?
      3回も父の枕元に集まったので、亡くなった時は涙が出ませんでした。
      二回目までは泣いたんですけど、3回目の時は枯れてしまっていたようです。
      この話、すごくない?
      不謹慎だけど、今では笑い話になっております。
      「あれは無いよね~。」なんて。

      話が逸れてしまいました。
      ワッツ・・・私は「このまま」でいいなあ。
      
      8日の日記ですが、拓哉君の好きなタイプの女性は女形の拓哉君だったんですね。
      すっかりシノブさんだと思い込んでしまいまして、お恥ずかしい限りです。
      いつもちゃんと読まないから、勘違いしちゃうんですね。
      写真に見蕩れてポ~っとしていたのかなあ?(と思いたい。笑)

      
コメント
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