三池監督インタビュー。
拓友さんが訳してくれました。
長いので直訳です。
読みづらい所が有ったらすみませんとのことでしたが、そんな、とんでもないです。
拓友さんに感謝です。
まず、三池監督の対談記事の翻訳です。
伝えられるところでは、無限の住人は著名な三池監督の100作目である。
今年のカンヌ映画祭の招待作品として上映され、批評家から好評を博した。
「13人の刺客」を含め今までの作品と大変似通っており、残忍な暴力シーンと見事な演出の戦闘シーンがそれである。
私達はパレでのプレス向け上映の数日後に三池崇史監督にインタビューを行なった。
今回の新作、過去の作品、そして映画に対する発想について対談を行いました。
「初めまして。お時間を頂き、ありがとうございます。完璧な戦闘シーンはどのように作られましたか?」
まず、誰も怪我をしなかったことです。
どこまで戦闘シーンの限界に挑むことができるのか?撮影技術はもちろん重要ですが、キャストと撮影クルーがアクションシーンを楽しむことが大切です。
激しいシーンを撮影する際、お互いに注意しなければいけないし、みんなの中に同志愛がなければいけません。
「あなたの映画の暴力シーンはしばしばかなり面白かったりしますが、やり過ぎて面白くなるのをあなたは楽しんでいるのでは?と感じているのですが、どうでしょうか?」
ええ、そういった空気感にしようとしているわけではありません。
もっと有機的です。
撮影をすると、時々、自然に笑いを誘うのです。
誰かが深刻に何かをすると、笑いの神が降りることはあります。
綺麗にシーンを描写しようとすることは出来ますが、暴力シーンなので愚かさと不条理さも混在するのです。
意図的なわけでなく、それはまさしくシーンの一部分なのです。
「くすっと笑えるシーンは原作の漫画と一緒ですか?」
もし漫画のユーモアを映画に活かそうとするなら、テンポ、休止、ペースが上手く機能しないでしょう。
深刻な話であるなら、このやり方が一般的です。
漫画や劇画ではキャラクターが、例えば闘いの準備をしているときの気持ちをも表現できます。
私は主人公の万次が好きです。
「またやらなくてはいけないのか?めんどくせえ。」といった風に演じます。
一般的な漫画に関しては恐らく漫画の方が素材の面白さが少し勝っているかもしれません。
作者に関係するかもしれないが技術的なことではありません。
「オープニングとエンディングで凄い戦闘シーンを持ってきましたが、かなり時間がかかりましたか?また、どのように準備しましたか?」
オープニングシーンは4、5日で撮影しました。
しかし闘い方に関する全ての動きはその日のうちに即座に決まりました。
天候次第でした。
また地面が固いかぬかるんでいるかといった状態次第でした。
なぜなら、戦闘シーンに影響するからです。
この自然待ちに役者もクルーも疲れました。
戦闘シーンのために型をかなり練習したとしたら、見事に見えるでしょうが、緊張感がなくなり、美しい死の舞のように見えるでしょう。
ですから、撮影はその日のうちに撮影してしまうのです。
アクションシーンをコマ切れに撮影するよりはむしろ長回しするよう気をつけていました。
キャストには異なる様々な能力があるので、タイミングが完全でなくても位置はほんの少しずれているくらいでしょう。
しかし役者陣は自分のいるべきポジションにいるよう気をつけていました。
万次がどのシーンでも限界ギリギリまで心血を注いでいたことがお分かりになると思います。
「無限の住人のユーモアと暴力の観点から考えてみると、道徳観に対しても質問があります。凛は何が正しくて何が間違っているのかという問いに対してはっきりと尋ねます。観客が登場人物達の心の動きを理解し、誰が正しくて間違っているかを決めると思われますか?」
より深く理解しようとしても、キャラクターに関する情報は僅かである。
凄いと感じるでしょうが、それは脳で感じるというよりはより本能的な感覚だと思います。
シンプルで構造的な映画は白と黒、善と悪に向かっていく悪魔のような悪人でさえも正義があり、善人でさえも汚い面があります。
ですが、この映画で万次はどちらの側にもいません。
彼はその境界線上におり、かれは警官ではなく、キャラクターの誇りであり、アイデンティティそのものです。
少なくとも昔はこうやって私達は生活をしてきたのである。
現代生活はよりタフだと思います。
なぜなら何時も何が欲しいと言うことができない状況にあるからです。
「リピートを避けるために何に注意していますか?」
映画製作者は常に過去の作品を分析しなければいけません。
そして誰もが良いものにしていきたいと考えていると思います。
ですから、誰かがあなたの作品に素晴らしい言葉を寄せるなら、あなたは賛辞をもっと聞きたくなるかもしれません。
賞賛を得るために様々なことができます。
しかしこれらは芸術家個人個人の希望で仕事自体とは無関係です。
映画はそうする為の道具ではありません。
私はキャラクターに挑戦したいのです。
万次には10人の敵と戦うより20人の敵を与えるでしょう。
撮影に入ると、個人的な願望を考えることはありません。
映画の中のキャラクターの一人となり、監督というキャラクターを演じるのです。
100人を斬るのは大変なことで、そしてクルーにとっても大変なことです。
映画を製作するたび、一つのシーンに集中します。
私自身の印を残そうとは考えていません。
私の映画はほとんど似ていると言いますが、それに対して「ええ、そんなに変わったと思いません。」と答えます。
「あなたは多作家です。映画制作のため出資金を得るのは簡単ですか?製作に入る前段階に関してより難しくなっていますか?」
映画を作りたいとかなりの人がいるのは想像に難くありません。
当初理解できないとしても、他の人が作りたいと思うことに対して肯定的であろうとしています。
この考え方は若い日本の観客には通じないかもしれません。
無限の住人にこの予算を得られたことはかなり素晴らしいことです。
なぜなら、この映画は暴力的なシーンが多く、主役の木村拓哉は40代です。
ですが、彼は有名なアイドルバンドの元メンバーで、日本のスーパーアイドルです。
彼は歌手で、ダンサーで、役者で、映画にも出演しています。
この映画に入るまでの彼の役柄は良心を持つ、善人キャラでした。
このプロジェクトを始める際、「木村で行こう」と言ったところ、プロデューサーは「彼はこんな役はしない。」と返しました。
とにかく受けてくれるか聞くべきだと言い張りました。
彼は確固たるキャリアがあったので、オファーした際変わりたい、そして今まで挑戦したことが無いものを表現したいと感じてくれたから、イエスの返事をもらうことが出来たと思います。
この万次のキャラクターは木村のパブリック・イメージとはかなり異なり、暴力満載です。
日本の観客はちょっとゾッとするかもしれません。
どう反応して良いかわからないかもしれません。
ですから、観客を動員するのはかなり難しいかもしれません。
現時点で出来ることをこの映画映画に注ぎ込んだので、大変満足しています。
「刀は銃より優れているのか?」
刀は銃よりかなり簡単です。速度は銃の方がかなり速いです。
銃は一発撃つだけで話が変わってしまいます。
万次はたくさんの刀を使います。
これらのシーンを作り上げるのは斬られている役者の肉体です。
一人の人間ともう一人との対決です。
銃で撃ち合うより、より苛烈なものになっていると思います。より荒っぽくなっています。
日本には銃文化はありません。銃ではスクリーンで映えません。
「闘うシーンを本当に愛するあなたが好きな監督はいますか?」
マカロニウエスタンに関しては、私が子供の頃土曜日にテレビで放送されていました。
大変楽しみでした。
子供時代の写真にカウボーイハットをかぶり、小さいひよこが刺繍されたベストを着て、2丁の銃をぶら下げているものがあります。
幼稚園の頃でした。
そしtrブルース・リーやマッドマックスに出会いました。
何年か後、マッドマックスの監督のジョージ・ミラーは「怒りのデスロード」を撮影しました。
年齢はいっていますが彼のエネルギーは増しています。
この映画を見た時、かなりの衝撃でした。
歳をとると映画に対する熱が減るので映画を撮れないと思っていましたが、年齢を言い訳にできなくなりました。ジョージが日本にプロモーションで来日した時に一番聞きたかったことはどんな車に乗っているのか?でした。
彼の答えはレクサスハイブリッドで、感銘を受けました。
少し恥ずかしそうに答えてくれました。
三池監督のインタビュー。
続きの残り二段落は海外の監督と最近の若者は甘い漫画原作を好むが自分はそういうのは作らないといっているだけなので割愛しました。・・・とのことです。