ワッツ・・・初めて聴いたのは、いつだったかな?
「ラブジェネ」が始まって2ヶ月経った頃、突然拓哉君を好きなにって、まるで事件
を調べる敏腕刑事みたいに、拓哉君の事を調べ回したんだっけ。
あの頃は見る事聞く事すべてが新鮮で、嬉しくてしょうがなかったなあ。
こんな事も、あんな事も出来る人なんだ・・・とか、人気者なのに謙虚なんだ・・・
とかね。
親友が拓哉君の大ファンだったから、色々教えて欲しくて毎日電話してたんだっけ。
この親友にワッツの事を聞いて聴き始めたんだったかな?
「ラブジェネ」が終わって年が開けて、1月から聴き始めたのでした。
それまで描いていた(勝手に)拓哉像と大分違っていたので、びっくりする事が多かっ
たです。
一番びっくりしたのは、やっぱりエロトークだったと思います。
でも、このエロトークのお陰で、よりいっそう親しみを感じたのでした。
初めて聴いたその日から、ず~っと録音しています。
リストも作っています。
聴きながら、どんな事をしゃべったかノートに記録しています。
○○○○年○月○日、話の内容は箇条書きみたいな感じ。
このノートを見れば、もう一度聴きたいワッツが直ぐ聴けます。
ノートを読むだけでも楽しいです。
拓哉君の歩んできた人生(大げさ?笑)が分かる感じです。
色々有りましたよね。
ラジオを聴きながら、大声を出して笑った事も有りました。
感動して涙を流しながら聴いた事も有りました・・・いっぱい元気を頂いて。
聴いていて苦しくなる事も有りました・・・聴きながら泣いたっけ。
やんわりとメッセージを伝えてくれる拓哉君の優しさに感激したっけ。
ワッツの存在は大きいですね。
拓哉君の本音が聴けるんですもん。
ワッツが無かったら雑誌くらいですよね、拓哉君のそのままの気持ちを理解するのは。
ファンとの心の交流が出来る、大事な大事な時間です。
父が危篤だった時も、ワッツを聴いてから病院に行った私。(直ぐ行かなくてはならない
状況じゃなかったから許されたんですけど。)
ちょっとだけ父に申し訳無く思っています。
でも、父ならきっと許してくれると思って・・・苦笑いしながら。
父ですが、午前2時に「ご家族の皆さん、集まって下さい。」と先生に呼ばれて臨終に臨ん
だのですが持ち直し、今度はその日の午前10時に「ご家族の皆さん、集まって下さい。」
と言われて集まったのにまた持ち直し、結局亡くなったのは次の日の午後2時でした。
こんな状態だったので、一度家に帰り(交代で)、ワッツを聴く事が出来たのでした。
それにしても父の主治医の先生は「やぶ」だったのかしら?
3回も父の枕元に集まったので、亡くなった時は涙が出ませんでした。
二回目までは泣いたんですけど、3回目の時は枯れてしまっていたようです。
この話、すごくない?
不謹慎だけど、今では笑い話になっております。
「あれは無いよね~。」なんて。
話が逸れてしまいました。
ワッツ・・・私は「このまま」でいいなあ。
8日の日記ですが、拓哉君の好きなタイプの女性は女形の拓哉君だったんですね。
すっかりシノブさんだと思い込んでしまいまして、お恥ずかしい限りです。
いつもちゃんと読まないから、勘違いしちゃうんですね。
写真に見蕩れてポ~っとしていたのかなあ?(と思いたい。笑)
「ラブジェネ」が始まって2ヶ月経った頃、突然拓哉君を好きなにって、まるで事件
を調べる敏腕刑事みたいに、拓哉君の事を調べ回したんだっけ。
あの頃は見る事聞く事すべてが新鮮で、嬉しくてしょうがなかったなあ。
こんな事も、あんな事も出来る人なんだ・・・とか、人気者なのに謙虚なんだ・・・
とかね。
親友が拓哉君の大ファンだったから、色々教えて欲しくて毎日電話してたんだっけ。
この親友にワッツの事を聞いて聴き始めたんだったかな?
「ラブジェネ」が終わって年が開けて、1月から聴き始めたのでした。
それまで描いていた(勝手に)拓哉像と大分違っていたので、びっくりする事が多かっ
たです。
一番びっくりしたのは、やっぱりエロトークだったと思います。
でも、このエロトークのお陰で、よりいっそう親しみを感じたのでした。
初めて聴いたその日から、ず~っと録音しています。
リストも作っています。
聴きながら、どんな事をしゃべったかノートに記録しています。
○○○○年○月○日、話の内容は箇条書きみたいな感じ。
このノートを見れば、もう一度聴きたいワッツが直ぐ聴けます。
ノートを読むだけでも楽しいです。
拓哉君の歩んできた人生(大げさ?笑)が分かる感じです。
色々有りましたよね。
ラジオを聴きながら、大声を出して笑った事も有りました。
感動して涙を流しながら聴いた事も有りました・・・いっぱい元気を頂いて。
聴いていて苦しくなる事も有りました・・・聴きながら泣いたっけ。
やんわりとメッセージを伝えてくれる拓哉君の優しさに感激したっけ。
ワッツの存在は大きいですね。
拓哉君の本音が聴けるんですもん。
ワッツが無かったら雑誌くらいですよね、拓哉君のそのままの気持ちを理解するのは。
ファンとの心の交流が出来る、大事な大事な時間です。
父が危篤だった時も、ワッツを聴いてから病院に行った私。(直ぐ行かなくてはならない
状況じゃなかったから許されたんですけど。)
ちょっとだけ父に申し訳無く思っています。
でも、父ならきっと許してくれると思って・・・苦笑いしながら。
父ですが、午前2時に「ご家族の皆さん、集まって下さい。」と先生に呼ばれて臨終に臨ん
だのですが持ち直し、今度はその日の午前10時に「ご家族の皆さん、集まって下さい。」
と言われて集まったのにまた持ち直し、結局亡くなったのは次の日の午後2時でした。
こんな状態だったので、一度家に帰り(交代で)、ワッツを聴く事が出来たのでした。
それにしても父の主治医の先生は「やぶ」だったのかしら?
3回も父の枕元に集まったので、亡くなった時は涙が出ませんでした。
二回目までは泣いたんですけど、3回目の時は枯れてしまっていたようです。
この話、すごくない?
不謹慎だけど、今では笑い話になっております。
「あれは無いよね~。」なんて。
話が逸れてしまいました。
ワッツ・・・私は「このまま」でいいなあ。
8日の日記ですが、拓哉君の好きなタイプの女性は女形の拓哉君だったんですね。
すっかりシノブさんだと思い込んでしまいまして、お恥ずかしい限りです。
いつもちゃんと読まないから、勘違いしちゃうんですね。
写真に見蕩れてポ~っとしていたのかなあ?(と思いたい。笑)
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