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庭のモッコウバラが満開です。
接ぎ木をした苗だったのか、何年か経ったら脇から白いモッコウバラの枝が伸びてきて両方咲いています。
黄色のほうは匂いが無いけど白いほうはとてもいい匂いがします。
大きくなり過ぎたのか、アーチが倒れそう。
咲き終わったらアーチを買い足して作り直します。
わたくしですが、ソロで演奏するよりアンサンブルが好きです。
室内楽だったり、合唱や声楽や楽器の伴奏だったり。
ピアノの連弾も大好き。
一人で演奏するより楽しいんです。
寂しがりやなのかな?
拓哉君みたいに。(笑)
一番多く伴奏したのは合唱。
きっかけは中学校の合唱クラブです。
小学校の時は器楽クラブでした。
20代半ばから合唱団の伴奏をしていました。(過去形)
指揮者は何回か代わりました。
その内の一人の方は楽譜に書いていないことを望まない方でした。
楽譜に書いていない部分でも表現したいことが沢山有ります。(色々な記号や指示)
そうすると、「そこにクレッシェンドの記号は無いので膨らませないでください。」と、こんな感じです。
これには参りました。
書いていない部分を表現するって、とても大事なこと。
まだ若い指揮者でしたので、何年か後には楽譜に無い部分も歌う(心で)ようになりましたけど。
随分議論しました。
演奏者は人間。
機械じゃないんですから。
心が通じ合って数年後、30代でお亡くなりになってしまい(事故で)、残念で仕方ありません。
演技も同じなのではと思っています。
映画やドラマ。
アドリブを入れるか入れないか?
役者さんがよく質問される事柄です。
「この映画(ドラマ)は監督or脚本家のものですから、言われたこと以外はしません。」という答。
これ、何人もの役者さんから聞きました。
これも一理有ると思ってはいますが・・・好みではない。
アドリブ的なことや、脚本に書いていないことをする事を許さない強い監督・脚本家もいますしね。
拓哉君はこういう監督さん、脚本家とは組まないほうがいいと常々思っています。(おせっかい。笑)
もしかしたら、拓哉君も選んでいるかもしれませんね?
演奏者も役者も人間。
ここまで生きてきて、人生色々有ったでしょう。
性格や人間性が形成されているわけです。
出ますよね?
演奏や演技に、その人の人間性が。
このこと、昨日のワッツを聴いてしみじみ思いました。
ココリコの田中さんとのシーンで流れた涙は、拓哉君の人間性ならではのもの。
人の心の痛みが分かり、温かくて純粋。
だからより一層感動する。
こんなシーン(感動)を今までに何度も見ました。
拓哉君のファンになった瞬間を今でもよく覚えています。
「ラブジェネ」です。
それまでは拓哉君のことをあまり知りませんでした。
内野聖陽さんを見ようと思って見始めたドラマでした。
それなのに初回から拓哉君の演技にグングン引き込まれ、橋の上での理子との抱擁シーンで一気に落ちました。(笑)
気が付いたらこんな状態に。(笑)
あれから17年半、浮気無しの一途。
芸能人のファンになることも考えられなかった上に、まさかこんなに長くファンでいるなんて・・・
1997年12月までの私の人生設計には無いことでした。
ファンになって、拓哉君のことを知れば知るほど、好きになりました。
この状態は多分エンドレス。
学生時代の私の親友がデビュー当時からのファンでしたので、色々教えてくれたんです。
これもすごく大きいです。
でも、やっぱり一番大きいのは拓哉君の人間性。
拓哉君の演技に感動するのは人間性が出ているからなんだろうなあ・・・。
去年、コンサートで聴いた某歌手のかたの言葉です。
素晴しい演奏だったんです。
「歌う時、心は込めません。こもってしまうんです。」
なるほど・・・と思いました。
心を込める・・・難しい言葉かもしれません。
心を込めて演技するって、よーく考えると意図的?作為的?な感じがします。
人工的な感じと言うか・・・
でも、こういう演技が称賛されちゃうんですよね?
心を込めるんじゃなくてこもっている。こもってしまう。
拓哉君はこれだ!・・・と思いました。
引き込まれ、感動が大きい理由がよく分かりました。
拓哉君が「演技」という言葉を好まない気持ちも、こう言う事なのだと思います。
これからも期待しています。
歳を重ねれば重なるほど深みが増し、素晴らしい作品が増えることと思っています。
ここでも人間性が培われていたんですよね。
ここからも出入りしてたかな?
ここをチャリンコで通っていたと思います。
建物は住んでいた所ではないです。(付近)
海がよく似合う。