三池崇史監督に映画製作とバイオレンスについてのインタビュー。
三池監督をリスペクトしている記者のインタビュー記事です。
今回も拓友さんが和訳してくださいました。
拓友さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。
「私はプロジェクトを選んでいません。
プロジェクトが私を選んでいるんだと思います。」
2017カンヌ映画祭で伝説的な日本人監督の三池崇史氏の100作目が特別上映された。
とにかく上記がマーケティング関係者が私達に話していたものである。
このことについて私が彼に尋ねたところ、異なる答えが返って来た。
それでもなお、三池氏は実に「伝説的な」映画製作者である。
56歳という年齢であるが、ノンストップで映画を作り続けており、時には年間2,3本の映画を撮り続けている。
彼の最新作は漫画が原作の「無限の住人」で、不滅の体を持つをサムライが少女の用心棒をするというものである。三池監督は激しい暴力と恐怖と叙事的なサムライ映画やたまにドラマで知られている。
今年のカンヌで三池監督にインタビュー出来たのはアメリカのwebsiteで唯一我が社で大変栄誉なことである。
例え彼の名前を知らなくても、彼の作品をきっと知っているでしょう。
三池監督は20年以上にわたって、様々なアイコンとなる、論争を巻き起こす、そして愛される作品を作り続けている。
作品名は割愛します。
正直なところ、彼のような伝説的な監督にインタビューする力量があるとは思えなかったので、少し怖気ついていました。
彼の仕事や作品について興味深い質問が出来るようベストを尽くしました。
「無限の住人」は凄く素晴らしい作品(レビュー参照)であるが、この作品について多くを語り合いたかった。
次の段落は作品や仕事に関するもので無いので割愛します。
「カンヌにお帰りなさい。
今回の作品が100作目とうかがっていますが、ご感想は?」
三池監督:誰かが言うまで100作目ととは知りませんでした。
私がして来た仕事の結果が100作目だっただけです。
そんなに沢山のプロデューサーの人達がプロジェクトをオファーしてくれたんだなと驚いています。
「どうしてそんなに忙しくしているのですか?常に作品を撮っているように思えるのですが。」
三池監督:ええ、合っていますね、常に作品を撮っています。
実際、ここカンヌでは午後にインタビューを受けているのですが、現在日本の作品を撮っています。
二本の作品を チェックしており、そのうちの一本は午前にネットとスカイプでCGIを確認していました。
そして、「OK。でもこの光沢はもう少し暗めがいいね。」といった風にです。
今日の午前はこんな風で、今はあなたのインタビューを受けています。
大人はこんな風には働かないものですか?
「ええ、私の質問はそう言う風に働いて混乱しないか?ということです。
作っているときはその映画のみに集中しているのですか?」
三池監督:勿論です。
「無限の住人」には原作があります。
オリジナル作品とは異なり、そこには明白に作者の意思が存在します。
同じ役者で同じセリフでシーンを撮影しても、繰り返し撮影しないでしょう。
繰り返されることがないから、常に私にとっては新鮮なのです。
私が変えなくても、カメラが変わるし、編集方法が変わります。
映画製作の環境も変わります。
一年前に一緒に仕事をした役者と仕事をする場合でも、一年が経過しており、違う一面を持った役者もいるでしょう。
また違う役者は人間として劣化しているかもしれません。
ですから、その時によるのです。あなたの質問に対する私の答えは疲弊することもないし、混乱することも退屈に感じることもありません。
「プロジェクトを選ぶのは何が決め手ですか?無限の住人についてはいかがですか?特別でしたか?」
三池監督:基本的に、アイデアを持って来てくれたら。
「本当ですか?」
三池監督:一番最初に持って来てくれた作品を製作するというのが私のやり方です。
早い者勝ちです。
ですから、私はプロジェクトを選んでいません。
ですからプロジェクトが私を選んでいると思うのです。
若しくは映画に選ばれているというのは大変幸運です。
何らかの理由で行き詰まるとしたら、撮影ができるのか、或いは予算を集められるのかということが考えられます。こういった理由で撮影できないかもしれません。
とはいうものの、話が私に最初に来た際の最初の衝撃を忘れないようにしたいですし、錆びつかせたくありません。最初の衝撃を映画に変えたい。
従って日本では、もしプロジェクトに問題があり、上手くいかなかったとしたら、介入し、支援し、上手くいくようにするかもしれません。
この映画もそうです。主人公は日本のスーパースターの木村拓哉が演じています。
私が彼の名前を出した時、プロデューサーは考えられない、彼はこのような役はしないだろうとの考えだった。
何故なら彼は日本の「スーパーアイドル」だからです。
スーパーアイドルにとって大切なのは、素敵な笑顔、歌、ダンスです。
希望を与え、希望を満たすことです。
それなのに、その彼をこのようなメーキャップをしたり、人を切りまくるような役をさせるのか?といった風にです。
彼は25年間この芸能界のトップに君臨してきています。
その為にはかなりの努力をして来ており、恐らく彼がなし得て来たことに満足しているのではないかと感じていました。
ですが、25年間の間、彼が因習打破をする為に何かを変えたいと思っているのではないかと考えていました。
若しくは彼のパブリックイメージを壊したいとか。
このプロジェクトと運命的に一致したのだと思います。
考え過ぎてしまうにで、余り知的になりたくありません。
もし監督が沢山考え過ぎ、非常に多くのことを選択したなら、「よし、これで良くなるだろう。」と考え始めてしまうでしょう。
このやり方は失敗を招くと思います。
興味深いのは現在、私に来るオファーの半分は中国からです。
「業界では大きな変化が見受けられるようですが。」
三池監督:ご存知のように多くの国際的な映画製作者と仕事をしています。
かなりの投資をしています。
ですが私にとっては、映画を作れればどこででもいいのです。
プロジェクトについて話をすると、彼らは予算を見せます。
私はいつも「こんなに沢山かからないと思います。」と返します。(笑)
しかし、中国は勿論経済的に非常に強いです。
これは私が住んでいる世界の一部分です。
私たちが今経験しているのは第1章である。来るもの拒まずです。
運命が交われば、映画を作りたいと思うでしょうし、そうでなければ、映画を撮らないでしょう。
これが私の仕事に対するスタンスです。
「今まで撮った作品の中で一番気に入っている作品はありますか?もしあるとしたら、その時に戻ってもう一回撮りたいですか?」
三池監督:私の作品は二通りの反応があります。
昔はどんなに自由だったか?ご存知のようにしたいことは何でもしていました。
別の反応は「この表現はちょっと荒削りだったから、もうちょっと良く出来ただろう。」
私は依然と少し不器用で特定の表現が十分でないとしたら、そのシーンにまだ可能性を感じています。
そして映画というのはその欠点を批評される傾向にあり、それが映画というものだと思います。
対極にあるのが、低予算映画だったら、人々は将来性を感じるでしょう。
予算潤沢だったら、恐らく見事な作品を作るでしょう。
或いは映画撮影が良くなければ、「よし、この撮影監督と組んだら面白くなるだろう。」といった風に考えるかもしれません。
ですから、私にとって過去の作品は私の子供ではありません。
私の親のようなものです。ですから、子供はその親を選ぶことは出来ません。
そうではないですか?失敗や欠点といった全てを引っくるめて愛すべき物です。
もし過去に戻り、あなたが言ったように何かをやり直すのなら、その機会を得ようとはしないでしょう。
「わかりました」
三池監督:もし時間があるならば、再訪問したいと思います。
ビールを楽しんでいるのをご存知でしょう。
一杯のビール。
「あなたの作品の暴力について少しお話ししたいのですが。
具体的に言うと、暴力を美化するのではなく、一部分であり、暴力のために描かれているのではないと思います。ツールだと感じています。ツールとしてどれぐらい重要ですか?」
三池監督:あなたが言われるように、主役の万次(木村拓哉)が存在し、この映画で暴力があるのは万次のキャラクターだからです。
万次と私は出来るのであればただ平和に暮らしたいのです。
「そうなんですか。」
三池監督:実際暴力的なシーンは撮影した一握りです。
本当に大変でした。
ラブシーンを撮影する方がずっと簡単です(笑)
「そうですね。」
三池監督:そういった話を撮影していると素晴らしい生活を送れていたでしょう。
でも、万次が私の所に来たのです。
彼が私の主人公です。
本当に悪党の尸良(市原隼人)がいます。
そして彼が暴力の片割れで、平和な毎日を送りたい映画監督の人生にやって来たのです。
そして私の人生を中断させています。暴力的な映画はクルーとキャストがお互いに本当に親しくなったら撮影できると思います。
この映画で万次は接近戦で戦っています。
しかし、撮影中、誰も怪我をしませんでした。主役の木村が誰も傷つけないようにしていたからですし、かなりの負担がかかっていたと思いますし、怪我をしてしまいました。
万次と他の登場人物が戦い、それを撮影しました。愛を感じさせるように撮りたいのなら、激しく、絶望的で、苦痛を感じるように見せようとします。
それは全て愛に所以しているのです。
愛で生まれ、愛で終わり、要するに暴力になります。