楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

2020自転車夏旅 -さよなら洞爺湖-

2020年09月09日 | 円 -bicycle-

天気に恵まれて良い旅だった。用意した羽毛と薄手の2枚の寝袋は初日はどちらも使わない蒸し暑い夜だった。

Gレッドリバーと車で旅をしている若者が隣のテントだった。

 

遠いので諦めていた温泉まで車に乗せてくれた。アメリカで10年ほど車関係の仕事をして帰国。

有給休暇をまとめて取って初めての北海道だった。自転車も温泉も共通の話題で長湯をしてしまった。

 

芝生で寝転って『旅をする木』(星野道夫)を読んでいると保育園の親子レクレーションの賑やかな声が近づいてきた。

 

暫し眺める。若くて元気だった頃の母親が浮かんだ。父親の姿も目立つ。

アメリカ帰りの若者もそうだが、“サラリーマン戦士”とおだてられ乗っていた我々の時代には無かった暮らしだ。限られた人達かもしれないが。

 

暑かったけれど洞爺湖一周した。30Kmは右回りでも左回りでも半分は林間なので涼しい。今年ラストランかもしれない長期ツーリングをゆっくり味わた。

 

今日は昼前に来る“収容車”に乗り、仁木町でプルーン刈りをして帰宅だ。暫く又農家へ出掛けよう。

 

 

 


2020自転車夏旅 -コロナ禍!-

2020年09月08日 | 円 -bicycle-

元気なうちは続けたいというオバチャンに再訪を約束して蟠渓温泉を出発した。

鉄道で栄えた時代もあったが廃線で過疎化が進み、残る温泉は2軒だ。買い物は高齢者には遠い伊達から配達して貰って頑張っている。JR廃線が続く北海道の近未来の姿とも限らない。

天気も良く、色づいた林檎、黄金色のイネは刈り入れも始まっていた。洞爺湖に近づいて嫌な予感が・・・。

 

「コロナ感染予防のため、キャンプ場は閉鎖しています。」の看板が。

“常宿”の「洞爺湖中央公園キャンプ場」はどうなのだろう。電話してみると「管理出来ないので閉鎖です。」との返答にがく然としたが、「財田オートキャンプ場」は可能かもとのアドバイスで気を取り直した。

 

《常宿の中央公園キャンプ場》

 

財田オートキャンプ場から湖は直接観られないが、芝の広いスペースとレストランが整備されていている。フリーサイトを入場料の1,000円でサービスしてくれた。

温泉とコンビニは2Km離れているが気持ちが良いので満足だ。若者たちのグループが多い。カヌーかな、ボートかな、サイクリングかな。

 

《デビューした飯ごう》


 


2020 自転車旅 -洞爺湖-

2020年09月07日 | 円 -bicycle-

壮瞥町の蟠渓温泉で早朝ニュースを見ている。非常に強い台風が、長崎県野母崎付近で風速およそ60メートルを記録し、対馬に向かっている。

野母崎は長崎県最南端で、海に突き出た処にあるライダーハウスに泊まったことがある。

砂浜が綺麗だった。木造の古い建物だったので心配だ。

対馬は朝鮮半島からの風の強い所で山間の島だ。石塀や屋根の石が目立ったが台風の防備はどうなのだろう。

自転車旅で回った所なので気になる。

 

この時期定例の美笛峠経由の洞爺湖ツーリングに来た。20年近くになる。

いつも泊まっていた宿が閉館したので、「蟠渓荘」旅館に初めて来てみた。

《美笛峠 2020.9.6 12:30頃》

 

大滝から洞爺湖へ向かう途中の蟠渓地区にある。年齢と同じ歴史があるので親近感が沸く。

注ぎ込む源泉はオーナーの78才のオバチャンが毎日張り直というサラサラしたアルカリ性の一番風呂に入って、このブログを書いている。

フーフーして飲むお茶くらいの温度だ。熱湯好きにはたまらない。

食べきれない2食6,000円。今どき300円の日帰り入浴料金は殆ど無い。

空模様も良く、洞爺湖キャンプも良さそうだ。

 

 


滄浪の漁師のことば

2020年09月05日 | 日記

潰瘍性大腸炎で政権を放り投げた人が再び政権の座について、8年にも亘ってストレスの溜まることばかりに血道を上げている様子を見ていて感じたことがあった。

案外病気の程度は軽いのか、或いは新薬の効き目が凄いのか、実は仕事は側近任せか、はたまた三種複合か。

フツーの人間であればとっくに心労と疲労で持病が悪化して何らかの事態が発生しても不思議でない。頻繁に海外を周遊し、美食の日々を送り、夏はゴルフ三昧という生活ぶりは奇異だった。

絶対に繰り返したくないと考えていたであろう二度目の政権投げ出しの理由を額面通りに受け取れないまま、三密ならぬ密室で管氏に政権を移すことが決まった。

何故、「禅譲」が既定路線になっていた岸田氏をかくも冷たく裏切って管氏に乗り換えたのか。尊敬して止まない祖父の岸信介も大野伴睦への禅譲密約証文を破棄したのは有名な話である。最後の最後まで祖父の影の中にいた。

何故、「今」であり、「管」氏なのか。レガシーレ一として一縷の望みを持っていたオリンピックも絶望的であることを何らかのルートで悟り、この上は絶対に悪事を暴かれたくないようにしたというのが本当のところではないか。

二人三脚だった管氏の行動に既にそれが映し出されている。

 

  - 川の水が濁っている時は足でも洗い、清くなった時に冠の紐を洗えばいい -  

中国の故事にピタリの世の中である。合流野党は相手が相手なら小沢一郎、中村喜四郎らの知恵も借りて川の浄化に向かって欲しいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2020 農作業支援 -変わったこと-

2020年09月04日 | 日記

汗のシャツ枝に吊してかえりきしわれにふたりの子がぶらさがる

                              時田則男

帯広の農民歌人の歌からは土と汗と逞しい生活の臭いがする。『野男の短歌流儀』(本阿弥書店 2005年)の「旅だった歌たちへ」の項に収録されている。時田さんによれば、教科書や著作に収録された「運のいい歌」達だ。

確か畑からの帰路に詠んだ歌があったはずだと読み返した。

     トレーラーに千個の南瓜と妻を積み霧に濡れつつ野を戻り来ぬ

という歌もあった。

そして、その隣の

     離農せしおまへの家をくべながら冬越す窓に花咲かせおり

という歌に出会って短歌を始めた。

勉強もせず、何の変哲も無い棒のような歌しか詠めないが「詠うことは訴えること」という『野男の短歌流儀』の一文が12年間支えてくれている。

今週は加工用馬鈴薯の収穫に3日間出掛けた。農作業に出掛けるようになって少し変わったことがある。生来、粗忽で無精な性格だが辛抱強くなった。店頭に並ぶ農作物を見るとそこまでの多くの人の労働を思うようになった。そしてついつい野菜の葉や底の切断面を見てしまうようになった。上手いと思ったり、自分と同じレベルに安心したり・・・。

そして、時田さんの分身とも言える歌がこれまでにも増して好きになった。手伝いが終わって、汗まみれのシャツと泥だらけのオーバーズボンを脱いで車に乗る時、キツイけど農作業支援を始めて良かったと思うひと時がある。

ものぐさな自分が一番変わったところかもしれない。歌づくりを支えてくれるところかもしれない。

 

《O農場の加工用馬鈴薯畑の収穫跡 2020.9.1~3》