2018年4月9日
台湾南端を出発し、山中で出会った台湾の二人連れ環島チャリダーが協力してくれて宿を捜すがなかなか見つからない。陽はだんだん陰ってくる。
途中でチャリダーさんが携帯で電話をしている。どうやら知人から情報を貰っているらしい。暫くするとミニバイクに乗った体格のいい原住民と思われるおばちゃんがやって来た。
夏の間だけ営業している近くの貸別荘に泊まっても良いということになった。食事無しの1,500元(7,500円)。
台湾の物価からすると相当高い。もう夕方だし、チャリダーさん二人は60Kmくらい先の台東まで行く予定なのでOKして別れた。
おばちゃんは鍵を開けると現地語で何かを喋った。朝、出発する時の鍵の置き場所の指示だった。1,500元を渡すと行ってしまった。
どうやら山の中の一軒家に一人で泊まることになった。
貸別荘の中に貼られていた古いマップを見ると、住所は東源社区。排彎(湾)族の文化が紹介されていたので、現れたおばちゃんはそうなのか。
台湾は人口の98パーセントが漢民族で、原住民が2パーセント(16民族)ほどが暮らしているという。
「排彎(湾)パイアン族」は台湾島の主に南部の民族だ。台湾では原住民の社会福祉政策として、観光地での文化伝承の仕事や土産物店、食事の店などの経営で生活の自立を図っているようだった。
周りは鬱蒼とした林に囲まれ、レストランが併設されていた。
室内の壁には小さな玉石がはめ込まれていたが、排彎族の文化なのだろうか。
昼食は午後3頃だったので、晩飯は非常食のパンと飲み物で凌いだ。別荘なのに・・・。笑
誰もいない山の中に〝ポツンと一人〟は正直、ちよっと不安ではあった。
早く朝になればいいなと思った。
次の日からは台湾島の残り半分、太平洋岸を北上した。
(つづく)
ベトナム北部のラオカイから中国の河口に抜けて、シーサンパンナ等を旅したことがあったのですが、その時に聞いたのが標記の言葉。こう表現するある種の旅行が中国の習慣になっているということで、感心したものでした。
続きも楽しみです。
ベトナムから中国南部も我々のルーツに密接な地域ですね。行ってみたいものです。
そこの暮らしの一端に触れられればいいなぁと気ままにペダルを踏んでいます。
楽しみにして下さり有り難うございます。近々、太樓閣渓谷、九蓮などを通過します。