時代とともに言葉も変わってゆくという。
それでも何かヘンだなと思うことがある。
代々、政治を生業としている政治〝屋〟に多い。
・(質問に対して、)お答えさせていただきます。→「お答えします。」じゃないの。どこか後ろめたい〝嘘〟があるからかな。
・(演説で、)お訴えしたい!!→自分の訴えに「お」か。それで賛同を得やすいとでも。
・(人に会ったことを)お会いさせていただいた。→相手は相当、高貴なお方だったのかなぁ。いや違う。皆さんと私は同じ考えですよというアピール。
・「コメントは差し控えるが、」と断りつつ、結構コメントする。→ならば言うなよ。往生際が悪い。
単に1票欲しさの身に浸み込んだ浅ましさが露呈している。
昔の党人派と呼ばれる政治家には言葉の重みと行動に自信があった。
そして、コメンテーターと呼ばれる人々にも。
・「個人的には、」「・・・とは思う。」のフレーズ。
何か周りをキョロキョロ見ているようで信頼感が薄れる。
確信を持って言い切る言論人が殆ど登場しなくなった。いや、疎まれているのだろう。
時代の変化ではない気がする。
4月は統一地方選挙の季節。
当選すれば「そんなこと言いました?」と豹変する人の〝特殊な言葉使い〟に欺されないようにしなくちゃ。
田中角栄は大学卒業の頃の首相だった。表日本と裏日本という国土の捉え方を変えた政策と実行力は明快だった。学生紛争の時代で政治に無関心だったけれど「列島改造論」は凄いと思った。
今、叩き上げの党人派「政治家」がいない。
今朝のコメントは抜群に面白かったですし、勉強になりました。行雲さんといつも語り合っていますが、やはりもはや全て戦後世代、戦争を知らない人ばかり、正しい歴史観を持っていない世代ばかりになったことが原因と思われます。そしてテレビやスマートフォン、漫画等映像文化での知識吸収で他人の模倣が易しくなったことも原因と思われます。故田中角栄氏の本で「戦争を知らない世代が政治家になった時が危険」だと書いてありましたが、まさに全世界そのような時期になっていると思います。
今もそのように表現されているのでしょうか?
しかし、戦争という人間の一番野蛮で愚かな行為についてはまだ見聞きすることが出来ましたし、学生時代は目を逸らすことはしませんでした。岸田首相はじめ、国の舵取りをする面々は若い頃に
一体どんな教育を受け、どう感じて生きてきたのか、理解の出来ない行動です。世の中に余裕が無くなってきている事がふあんです。
田中角栄、大平正芳の哲学、構想力は凄いと思っています。
国民に夢を抱かせ、実行したところも。
以来、アメリカに物が言えなくなった政治家ばかり。それで日本の全てがアメリカの肥やしにされて来た。いまの先進国一の日本没落は、そのためだ。
と,そう語るのが元外交官僚、孫崎享。
いずれにしても角栄は政治理念で気骨があったからこそ、日本の格差を一種是正できた。