楕円と円 By I.SATO

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生乳の廃棄に思う

2023年03月07日 | 日記

酪農経営が減産、飼料高騰、子牛価格の暴落という〝三重苦〟にあり、主産地の北海道も離農が進んでいるという。

搾ったばかりの真っ白い生乳を搾乳室の排水溝に流すTV映像をよく目にする。

かつて、仕事で生乳廃棄を経験したので残念で悲しいことだ。

 

役所に入った1973年頃、食紅を入れて紅くなった生乳を廃棄するというショッキングな事態が起きた。

増産基調に入っていたが消費が伸びず、〝ミルクランド北海道〟の大々的な宣伝活動が展開され、サイロにまで大きなシンボルマークが描かれた。

スナックではウイスキーの水割りならぬ〝カウボーイ割〟が登場し、関係者は在庫バターを割り当てで買って酪農家を応援した。

その後も何度か不足と過剰が繰り返されてきている。

 

農水省を擁護するわけではないが、生乳の需給調整はなかなか厄介で、古くて新しい課題だ。

北海道の酪農は牛乳・乳製品が食生活に馴染みが薄い時代に、半ば官製のような乳業工場へ原料乳供給することから始まった歴史があり、弾力性が弱かったように思う。

加えて生乳は〝生もの〟なので、複雑な価格補償制度により酪農家、乳業メーカーを輸入品との競争から守ってきた。

 

酪農には他の農産物には無い特殊性があって、受給調整に苦労が伴う。

 

◎乳牛が生産活動に入るまでに3年を要するので、増産も減産も舵を切ってから状況が変わるまで3年かかる。大型タンカーのようだ。

蛇口を捻るようには行かない。

 

◎設備投資に莫大なお金がかかる。今、100頭搾乳の牛舎施設を新築するには1億円が必要と聞いたことがある。

2014年にスーパーからバターが消えて、国の増産方針により補助事業が沢山出来きたが、減少しつつある酪農家が規模拡大で生産を担うため、多額の借入金を返済するためには兎に角、搾らなくてはならない状況に陥っている。

 

◎飲んで余るものはバター、チーズなどの「加工用」に回せば済む話しのように思われるが、加工向け(北海道は8割)は市乳向けに比べて価格が安く、国は価格補填をしているが、その量は財政と受給バランスの中で決められている。

余った生乳で作られたバターは在庫となって積み上がり、倉庫料、金利はメーカーの負担になる。昔は7ヶ月分が限界とされたが今はどうなのか。

 

◎バターを作れば脱脂粉乳が副次的に生まれる。菓子類、乳製品、食品などに使われるが価格を下げても胃袋はひとつなので急に需要が増えるわけではない。

 

◎WTO(多国間貿易ルール)で1995年から最低輸入量が生乳換算で最大13.7万トンと決められているのも堪える。北海道の減産量に匹敵する。

これは当時、自動車輸出など日米貿易摩擦を緩和するために農産物が犠牲になった一例だが、今、話題になることがない。

変更するためにはWTOの大きなテーブルに乗せなければならず、相当のエネルギーが必要になる。

 

〝酪農三重苦〟の克服は一筋縄では行かない。

しかし、生産の半分が北海道に集中し、市乳の販売シェアが広がり、企業のような大規模化が進み、食生活も変わった。

今の仕組みは複雑で堅牢に出来上がっており、制度疲労があるように思われる。

 

生乳の生産に自由度を持たせ、欧米のように「農家所得直接補償制度」により経営の安定を図る仕組みに移行する時代ではないか。

生ものだが、今の輸送技術で中国には運べそうな気もするし。

 

政治が決断すれば生乳廃棄に苦しい受け答えをしている農水省も前向きに制度設計を検討するだろう。

食料自給率が38パーセントのまま、行き当たりばったりの継ぎ当てのような政策で凌ごうとするとそのしっぺ返しは全て国民が被ることになる。

 

東大の鈴木宣弘教授が警鐘を鳴らし続けているが、岸田政権の問題意識は低い。

国民の関心を高めることが何より大切だ。

 

1970年代の映画、ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』のテーマ曲「サンライズ・サンセット」

ロシア革命前のウクライナ地方で牛乳売りをしているユダヤ人家族のつましくも豊かな暮らしを描いている。