日本の政府に期待する事

政府与党バラまきマニフェストは実行できるはずもないし、期待もしていない。
 大方同じだろう。
私が望んでいる事( 昨日書いた(国際貢献)を補足したい。
 世界や日本が行き詰まり、先の見えない不安は立場を超えた人類共通の基底的な心だと思う。
要するに、人類が始めて遭遇した危機感を持ちながら、何をどうしてよいかが分らない状態にあると思う。
 日本は60数年前焼け野原に立ち、呆然と虚空を見つめた後、生きるために何でもありのような混乱状態に陥ったのに似ている。
 戦前の視座や価値観では生きていけなかった。社会的にも個々人も極貧状態だった。
 しかし、視座を海外に拡げ新しい価値観を基に新しい目標に向かったから、大人も子どもも、(頑張れば、将来は良くなる)と誰しも思い、食べるに困っていても今よりは皆明るかった。あの時は本当に(国敗れて山河あり)の感じだったと思う。
今の世界は(国に敗れて(経済戦争)山河なし)のようで、子どもや若者が生き生きしていない。自殺もあの戦後以上だ。
 視座の狭さが武力戦争と経済戦争でも極端な形で失敗した世界的にも珍しい経験をした国だと思う。
視野・視座の大切さを痛いほど国を挙げて知らされたとも言える。
 この経験を通して世界の先行きのグラウンドデザインの視座・視点を国の内外、全ての人に伝えられる立場にいないだろうか?
 
 何を勘違いしているのか、世界が金融危機に陥った時、日本の為政者は先行経験した金融緩和政策を成功経験として世界に大声で発信した。世界はそれを実行した。
 あれは、現実に合わない視座の狭さで、巻き込まれた形だが、結局は敗れ失敗していたのに(もっと戦え、もっと繰り返せ)と伝授したようなもので、結果は、時間差はあるがやがて世界的に現れると思う。
今日の世界を見たとき、視座をムラや国、人間中心の世界に置くのでは間に合わない事は明白。
はっきりと人間の意志だけでなく、地球の限界、地球資源、自然そのものを視座に納めない限り、出来事の原因も解明できないし対策も立たない所にきている。
 これは常識的なことだが、社会は文明の迷路に入り、これ(当たり前)を見失っていないか?

日本は経験したことを率直に振り返り、当たり前のことを当たり前に述べるだけでいい。
日本の政府に期待しているのはその事だけである。
 財政赤字をどれだけ抱えていようと、産業界もアメリカも、そして国民も本当はそれを求めているのではないか。お互い先が見えないのだから。
 国の内外のセイフティネットの確立は緊急の優先課題だが、言われてる国際貢献、国民生活や社会保障の名で状況を見ずバラ蒔くのは急いでする仕事ではない。
 お金もいらない当たり前の注文だけど、そうは行かないようだ。
 

 
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