5/5、10:40頃に白浜を出発して和歌山県内にある北山村へのツーリングに出掛けました。
実は昨夜、相棒(原付バイク)が修理から帰って来た事もあり
慣らし運転も兼ねて、奈良県東吉野村のニホンオオカミ像を見に行く予定でしたが、
二度寝してしまい、起きると9時30分過ぎでした(>_<)
そのため東吉野まで走るのは、時間的に微妙だなぁ~と思い
無理して走るより手前の北山村に出掛ける事にしました。
全国唯一の「飛び地」の村 北山村
相棒も5万キロを越えると、私と同じで加齢と共に体にもガタがきますので、
メンテナンスが大事になってきます。
今回、バイク屋さんで、ドライブベルトと周辺部品を交換してもらいました。
バイク屋のお兄さんは、相棒の「かかりつけ医」的な存在ですので、
少しでも気になる事があったら、相談に乗って頂けるので
メンテナンス的な事は、ほぼ素人の私には、頼りになるお兄さんです(^^ゞ
さて今回の主な走行ルートは、白浜→国道311号→田辺市本宮町→国道168号→
新宮市熊野川町→国道169号→北山村(帰りもほぼ同じルート)
走行距離 約198㎞ ガソリン代 741円
白浜を出発して、少し早めにお昼ご飯をと思い
田辺市中辺路町栗栖川の国道311号沿いにある
Aコープ熊野古道なかへち店へ寄りました。
店内で、唐揚げ弁当(498円)と おにぎり(100円)を買って
お店の出入り口近くにあるベンチに座って食べました。
唐揚げ弁当に大根おろしの たれが付いているのは、私にはとても嬉しいです。
年齢?それとも体質なのか?ちょっと分かりませんが、
お肉やハンバーグ等のメニューに、大根おろしが付いているのがあれば選んでしまいます(^^ゞ
唐揚げ弁当は、とても美味しかったです。
またお弁当の空容器をどこへ捨てたら良いのかなぁ?と思い
レジ係の女性に尋ねた所「こちらでもらいますよ」と言って頂き助かりました。
ありがとうございました。
さてお腹も満たされたので、どんどん東へと走ります。
いつもの小広峠バス停近くに止めて気温を見ます。
わぁ~23℃。暖かい(*´ω`*)
バイクで走るのには、良いシーズンになってきました。
ゴールデンウィーク期間中とあって、すれ違うライダーの方も多かったです。
小広峠からの下り坂
田辺市本宮町 大瀬トンネル手前
国道311号は、信号も少なく景色もキレイで走りやすい快走路です。
新宮市熊野川町 国道168号と国道169号が分岐する宮井橋上から熊野川上流部を望む
同地点から熊野川下流方向を望む
熊野川と北山川(写真左の川)の合流部
北山川上流部を写す
国道169号は、この北山川に沿う形で走る道路です。
和歌山県(新宮市熊野川町)と奈良県(十津川村)の県境に掛かる田戸(たど)橋
旧国道169号になります
和歌山県(新宮市熊野川町)と奈良県(十津川村)の県境に掛かる葛川(くずかわ)大橋から
和歌山県方面を望む。現国道169号になります。
葛川大橋 平成16年3月竣工
同橋から奈良県方面を望む
橋を渡って左折すれば、景勝地でもある瀞峡(どろきょう)へ行けます
山の緑と空の青さが何とも美しく雄大です(*´ω`)
旧国道169号の田戸橋ですが、渡ることが出来ます
奈良県から和歌山県側を望む
田戸橋 昭和47年3月竣工
田戸橋から葛川大橋を望む
和歌山県側から奈良県側を望む
橋の上から下を流れる葛川を望むと、あまりの高さに体がブルっと震えます((+_+))
葛川大橋の近くにある県境表示
県境
う〜ん 良い天気で気持ちがいいです(*´ω`*)
国道169号の2車線区間は、ここ(北山村小松)までですが、
この先の奥瀞道路(Ⅲ期)工事が始まっています。
この近くには、三県境(和歌山・奈良・三重)があります。
奥瀞道路Ⅲ期について掲載されています
この区間が開通すれば、北山(きたやま)村へのアクセスがより便利になるので開通が楽しみです。
こんな谷間に橋を架けるのかぁ…凄いなぁ
日本の土木技術って本当にスゴイと感心します(^_^)/
小松地区の上滝トンネルを抜けたところの北山川
同地点
山、川、空が本当に美しい
小松地区にある牛頭(ごず)神社
牛頭神社 大きな石が祀られています
大きな石に触れることは出来ませんでしたが、
手前に祭壇のように積み上げられた石からは、波動(エネルギー)を感じます。
という事は、後方にある大きな石のエネルギーは、すごいものと推測されます。
また驚いたのは、お酒が供えられていた事です。
ご近所の方か?もしくは、どなたかお世話されている事に驚かされました。
とても素晴らしい瞬間に立ち会えた事を光栄に感じました(*´ω`*)
境内にある石灯篭
文政十年?亥霜月吉日 と刻まれています。
文政十年は、西暦1827年 今から約200年前かぁ~それ程、古いという訳でもないのかなぁ?
霜月は11月との事。という事は、1827年10月~11月頃に出来たものと思われます。
小松橋 現在は渡る事は出来ません
小松橋下の北山川
小松橋に刻まれた伊勢湾台風時の最高水位を示す
ここまで水があったのかと思うと恐ろしくなります。
近くには、伊勢湾台風時の最高水位を示す看板
(下の写真にある「徐行高さ」の左側)があるのですが、
手前にフェンスがあるため、少し見えにくくなっていますが
文章を以下に起して見ました。
昭和34年9月26日午後11時 台風15号(伊勢湾台風)最低気圧895hpa 最大風速75m/s
9月26日に紀伊半島に上陸し、東海地方を中心に
近畿から東海の広範囲で大きな被害を及ぼした台風である
北山村誌によると小松橋は、昭和30年完成
小松から対岸の紀和町和田に通じる木桁吊橋である。との事
かつては通れたのですが 幅員1.4m
対岸の様子
北山村小松地区
北山村に入ると筏下りのノボリを見掛けます
北山村観光サイト https://www.vill.kitayama.wakayama.jp/kanko/ikada/
北山村筏下り 〜600年の歴史をたどる激流の旅〜 http://wakayama-rekishi100.jp/story/062.html
警告 只今、観光筏運航期間です。
カヌー・ラフティングをされる方は、危険ですので
下記の時間帯での川下りは絶対しないで下さい。
期間 5月3日~9月30日
*金・土・日・月曜日 10時40分~11時20分 12時45分~13時35分
カヌー、ラフティング愛好者のみなさまへ
この北山川を筏(いかだ)で下るのですからスリル満点でしょうね(^^♪
国道169号から少し北山川に下りた所にある音乗(おとのり)の案内板
北山川の筏(いかだ)流し
北山川や熊野川では、山道が険しいため材木を下流に運ぶための筏流しが、
600年ほど前から行われてきました。
オトノリ(音乗)とは?
筏流しは、峡谷の急流を通る危険な仕事であったので、家を継ぐ長男ではなく、
「弟が乗れ」と言われ「弟乗り」となり、それが「オトノリ(音乗)」という地名になったと言われています。
行者屋敷跡(北山村下尾井)への入口
音乗から道の駅おくとろ へ向かう途中にある小森隧道の手前にあります
行者屋敷跡(北山村下尾井) 雷(いかづち)の滝の上流
奈良時代から熊野は修行の霊地であった。
十津川(奈良県吉野郡)の東に重畳して熊野に及ぶ
険しい山脈・大峰山系(最高峰は八剣岳で一九一五メートル)は、
修験者(山伏)の根本霊場であった。
ここ北山村は大峰山系の一角にあたり、行者の屋敷跡がのこっている。
地元の人は行者屋敷とよんでいる。
行者とは修験者のことであり、
日本古来の山岳宗教と仏教の融合した修験道の厳しい修行を積む人である。
多くは被髪(ひはつ)で兜巾(ときん)を戴き、
篠懸(すずかけ)および結袈裟(ゆいけさ)を着け、
笈(おい)を負い金剛杖をつき、法螺(ほら)を鳴らし、
山野をめぐり歩いて修行し、
苦業に耐えることによって超人間的神験を修得し、
その上で護摩をたき、加持祈祷を行う民間信仰として流布していた。
修験道はもともと山中の修行により呪力の獲得を目的としていたが、
後世の教義では自然との一体化による即身成仏を重視している。
奈良時代にひらかれた修験道は室町平安時代に繫栄し、
明治五年その流布は禁じられたが近年再興を許され今日に至っている。
この行者屋敷跡は現在地より背後の山腹を登って徒歩三十分の位置にある
(半ばまで山道で後半は雑木林)。
何時、誰が築いたのか記録がないので不明であるが、
前鬼(下北山村大字前鬼、山岳信仰史上有名な修験者の定着した霊地集落)の行者とも云われている。
平成六年九月二十九日の台風二十六号の大水で大部分崩れたが、
それまでは高さ約十メートルの滝のすぐそばに、
長さ約二十メートル、幅約五メートルの敷地が高い石垣で築かれていた。
この場に佇むと、かつての行者の生活を髣髴とさせ気を感じると云われている。
修行の霊地として最も適した場であったと思われる。
う〜ん…片道30分かぁ?ちょっと歩くのは難しいけど、
文面を読んでスゴイところなんだ…と感じました(^^ゞ
何度かこの前を通っていますが、じっくりと看板を読んだのは初めてでした。
小森隧道(小松側)
小森隧道(大沼側)
小森隧道 内部 トンネル中央部は、素掘りにセメントを吹き付けた感じです
小森隧道 扁額
小森隧道の開通日を示すものは、トンネル周辺では見当たりませんでしたが、
揮毫に和歌山県知事 大橋正雄と名前がある事から
大橋知事の在任期間は、1967年(昭和42年)4月23日 - 1975年(昭和50年)10月4日とある事から
この期間中に開通したものと思われます。
北山村誌で小森隧道について調べてみたのですが、開通日を示すものは見つけられませんでした。
あくまでも個人的な見解ですが、すぐ近くの小森ダム建設が1963年に始まり、1965年に完成している事から
地元関連事業として電源開発が小森隧道を掘った?と推測します。
恐らく昭和40年代前半に開通したとなれば、大橋知事の在任期間と重なります。
道の駅おくとろ へ向かう途中の四ノ川
写真では分かりにくいかも知れませんが、四ノ川の水の透明感に驚かされました
四ノ川に掛かる四ノ川橋
四ノ川橋上から四ノ川を望む
四ノ川橋のすぐ近くでは、国道169号奥瀞Ⅲ期工事が行われています
北山村音乗(おとのり)から道の駅おくとろ まで走りました
おくとろ公園バス停
今回の北山村では、初めて小松地区を訪ねました。
その際、写真には撮れませんでしたが、北山川を下る「筏下り」を初めて見ました。
ニュース映像やネットでは見た事がありましたが、
実際に見る事が出来て良かったです。
昔は、この筏(いかだ)を断崖絶壁の蛇行した急流の続く北山川を
下流の新宮市まで運んでいたのですから、
命がけの仕事だったと感じます。
岩にぶつかれば自分の命は無いですからね。
これまで北山村は、国道169号を走って奈良県のどこかへ行く際、
道の駅おくとろ以外では、走り抜けるだけという感じでしたが、
今回、じっくりと観光出来て良かったです( *´艸`)
これからも様々な事情が許す限り、相棒と共に
各地を旅してみたいと思います。
実は昨夜、相棒(原付バイク)が修理から帰って来た事もあり
慣らし運転も兼ねて、奈良県東吉野村のニホンオオカミ像を見に行く予定でしたが、
二度寝してしまい、起きると9時30分過ぎでした(>_<)
そのため東吉野まで走るのは、時間的に微妙だなぁ~と思い
無理して走るより手前の北山村に出掛ける事にしました。
全国唯一の「飛び地」の村 北山村
相棒も5万キロを越えると、私と同じで加齢と共に体にもガタがきますので、
メンテナンスが大事になってきます。
今回、バイク屋さんで、ドライブベルトと周辺部品を交換してもらいました。
バイク屋のお兄さんは、相棒の「かかりつけ医」的な存在ですので、
少しでも気になる事があったら、相談に乗って頂けるので
メンテナンス的な事は、ほぼ素人の私には、頼りになるお兄さんです(^^ゞ
さて今回の主な走行ルートは、白浜→国道311号→田辺市本宮町→国道168号→
新宮市熊野川町→国道169号→北山村(帰りもほぼ同じルート)
走行距離 約198㎞ ガソリン代 741円
白浜を出発して、少し早めにお昼ご飯をと思い
田辺市中辺路町栗栖川の国道311号沿いにある
Aコープ熊野古道なかへち店へ寄りました。
店内で、唐揚げ弁当(498円)と おにぎり(100円)を買って
お店の出入り口近くにあるベンチに座って食べました。
唐揚げ弁当に大根おろしの たれが付いているのは、私にはとても嬉しいです。
年齢?それとも体質なのか?ちょっと分かりませんが、
お肉やハンバーグ等のメニューに、大根おろしが付いているのがあれば選んでしまいます(^^ゞ
唐揚げ弁当は、とても美味しかったです。
またお弁当の空容器をどこへ捨てたら良いのかなぁ?と思い
レジ係の女性に尋ねた所「こちらでもらいますよ」と言って頂き助かりました。
ありがとうございました。
さてお腹も満たされたので、どんどん東へと走ります。
いつもの小広峠バス停近くに止めて気温を見ます。
わぁ~23℃。暖かい(*´ω`*)
バイクで走るのには、良いシーズンになってきました。
ゴールデンウィーク期間中とあって、すれ違うライダーの方も多かったです。
小広峠からの下り坂
田辺市本宮町 大瀬トンネル手前
国道311号は、信号も少なく景色もキレイで走りやすい快走路です。
新宮市熊野川町 国道168号と国道169号が分岐する宮井橋上から熊野川上流部を望む
同地点から熊野川下流方向を望む
熊野川と北山川(写真左の川)の合流部
北山川上流部を写す
国道169号は、この北山川に沿う形で走る道路です。
和歌山県(新宮市熊野川町)と奈良県(十津川村)の県境に掛かる田戸(たど)橋
旧国道169号になります
和歌山県(新宮市熊野川町)と奈良県(十津川村)の県境に掛かる葛川(くずかわ)大橋から
和歌山県方面を望む。現国道169号になります。
葛川大橋 平成16年3月竣工
同橋から奈良県方面を望む
橋を渡って左折すれば、景勝地でもある瀞峡(どろきょう)へ行けます
山の緑と空の青さが何とも美しく雄大です(*´ω`)
旧国道169号の田戸橋ですが、渡ることが出来ます
奈良県から和歌山県側を望む
田戸橋 昭和47年3月竣工
田戸橋から葛川大橋を望む
和歌山県側から奈良県側を望む
橋の上から下を流れる葛川を望むと、あまりの高さに体がブルっと震えます((+_+))
葛川大橋の近くにある県境表示
県境
う〜ん 良い天気で気持ちがいいです(*´ω`*)
国道169号の2車線区間は、ここ(北山村小松)までですが、
この先の奥瀞道路(Ⅲ期)工事が始まっています。
この近くには、三県境(和歌山・奈良・三重)があります。
奥瀞道路Ⅲ期について掲載されています
この区間が開通すれば、北山(きたやま)村へのアクセスがより便利になるので開通が楽しみです。
こんな谷間に橋を架けるのかぁ…凄いなぁ
日本の土木技術って本当にスゴイと感心します(^_^)/
小松地区の上滝トンネルを抜けたところの北山川
同地点
山、川、空が本当に美しい
小松地区にある牛頭(ごず)神社
牛頭神社 大きな石が祀られています
大きな石に触れることは出来ませんでしたが、
手前に祭壇のように積み上げられた石からは、波動(エネルギー)を感じます。
という事は、後方にある大きな石のエネルギーは、すごいものと推測されます。
また驚いたのは、お酒が供えられていた事です。
ご近所の方か?もしくは、どなたかお世話されている事に驚かされました。
とても素晴らしい瞬間に立ち会えた事を光栄に感じました(*´ω`*)
境内にある石灯篭
文政十年?亥霜月吉日 と刻まれています。
文政十年は、西暦1827年 今から約200年前かぁ~それ程、古いという訳でもないのかなぁ?
霜月は11月との事。という事は、1827年10月~11月頃に出来たものと思われます。
小松橋 現在は渡る事は出来ません
小松橋下の北山川
小松橋に刻まれた伊勢湾台風時の最高水位を示す
ここまで水があったのかと思うと恐ろしくなります。
近くには、伊勢湾台風時の最高水位を示す看板
(下の写真にある「徐行高さ」の左側)があるのですが、
手前にフェンスがあるため、少し見えにくくなっていますが
文章を以下に起して見ました。
昭和34年9月26日午後11時 台風15号(伊勢湾台風)最低気圧895hpa 最大風速75m/s
9月26日に紀伊半島に上陸し、東海地方を中心に
近畿から東海の広範囲で大きな被害を及ぼした台風である
北山村誌によると小松橋は、昭和30年完成
小松から対岸の紀和町和田に通じる木桁吊橋である。との事
かつては通れたのですが 幅員1.4m
対岸の様子
北山村小松地区
北山村に入ると筏下りのノボリを見掛けます
北山村観光サイト https://www.vill.kitayama.wakayama.jp/kanko/ikada/
北山村筏下り 〜600年の歴史をたどる激流の旅〜 http://wakayama-rekishi100.jp/story/062.html
警告 只今、観光筏運航期間です。
カヌー・ラフティングをされる方は、危険ですので
下記の時間帯での川下りは絶対しないで下さい。
期間 5月3日~9月30日
*金・土・日・月曜日 10時40分~11時20分 12時45分~13時35分
カヌー、ラフティング愛好者のみなさまへ
この北山川を筏(いかだ)で下るのですからスリル満点でしょうね(^^♪
国道169号から少し北山川に下りた所にある音乗(おとのり)の案内板
北山川の筏(いかだ)流し
北山川や熊野川では、山道が険しいため材木を下流に運ぶための筏流しが、
600年ほど前から行われてきました。
オトノリ(音乗)とは?
筏流しは、峡谷の急流を通る危険な仕事であったので、家を継ぐ長男ではなく、
「弟が乗れ」と言われ「弟乗り」となり、それが「オトノリ(音乗)」という地名になったと言われています。
行者屋敷跡(北山村下尾井)への入口
音乗から道の駅おくとろ へ向かう途中にある小森隧道の手前にあります
行者屋敷跡(北山村下尾井) 雷(いかづち)の滝の上流
奈良時代から熊野は修行の霊地であった。
十津川(奈良県吉野郡)の東に重畳して熊野に及ぶ
険しい山脈・大峰山系(最高峰は八剣岳で一九一五メートル)は、
修験者(山伏)の根本霊場であった。
ここ北山村は大峰山系の一角にあたり、行者の屋敷跡がのこっている。
地元の人は行者屋敷とよんでいる。
行者とは修験者のことであり、
日本古来の山岳宗教と仏教の融合した修験道の厳しい修行を積む人である。
多くは被髪(ひはつ)で兜巾(ときん)を戴き、
篠懸(すずかけ)および結袈裟(ゆいけさ)を着け、
笈(おい)を負い金剛杖をつき、法螺(ほら)を鳴らし、
山野をめぐり歩いて修行し、
苦業に耐えることによって超人間的神験を修得し、
その上で護摩をたき、加持祈祷を行う民間信仰として流布していた。
修験道はもともと山中の修行により呪力の獲得を目的としていたが、
後世の教義では自然との一体化による即身成仏を重視している。
奈良時代にひらかれた修験道は室町平安時代に繫栄し、
明治五年その流布は禁じられたが近年再興を許され今日に至っている。
この行者屋敷跡は現在地より背後の山腹を登って徒歩三十分の位置にある
(半ばまで山道で後半は雑木林)。
何時、誰が築いたのか記録がないので不明であるが、
前鬼(下北山村大字前鬼、山岳信仰史上有名な修験者の定着した霊地集落)の行者とも云われている。
平成六年九月二十九日の台風二十六号の大水で大部分崩れたが、
それまでは高さ約十メートルの滝のすぐそばに、
長さ約二十メートル、幅約五メートルの敷地が高い石垣で築かれていた。
この場に佇むと、かつての行者の生活を髣髴とさせ気を感じると云われている。
修行の霊地として最も適した場であったと思われる。
う〜ん…片道30分かぁ?ちょっと歩くのは難しいけど、
文面を読んでスゴイところなんだ…と感じました(^^ゞ
何度かこの前を通っていますが、じっくりと看板を読んだのは初めてでした。
小森隧道(小松側)
小森隧道(大沼側)
小森隧道 内部 トンネル中央部は、素掘りにセメントを吹き付けた感じです
小森隧道 扁額
小森隧道の開通日を示すものは、トンネル周辺では見当たりませんでしたが、
揮毫に和歌山県知事 大橋正雄と名前がある事から
大橋知事の在任期間は、1967年(昭和42年)4月23日 - 1975年(昭和50年)10月4日とある事から
この期間中に開通したものと思われます。
北山村誌で小森隧道について調べてみたのですが、開通日を示すものは見つけられませんでした。
あくまでも個人的な見解ですが、すぐ近くの小森ダム建設が1963年に始まり、1965年に完成している事から
地元関連事業として電源開発が小森隧道を掘った?と推測します。
恐らく昭和40年代前半に開通したとなれば、大橋知事の在任期間と重なります。
道の駅おくとろ へ向かう途中の四ノ川
写真では分かりにくいかも知れませんが、四ノ川の水の透明感に驚かされました
四ノ川に掛かる四ノ川橋
四ノ川橋上から四ノ川を望む
四ノ川橋のすぐ近くでは、国道169号奥瀞Ⅲ期工事が行われています
北山村音乗(おとのり)から道の駅おくとろ まで走りました
おくとろ公園バス停
今回の北山村では、初めて小松地区を訪ねました。
その際、写真には撮れませんでしたが、北山川を下る「筏下り」を初めて見ました。
ニュース映像やネットでは見た事がありましたが、
実際に見る事が出来て良かったです。
昔は、この筏(いかだ)を断崖絶壁の蛇行した急流の続く北山川を
下流の新宮市まで運んでいたのですから、
命がけの仕事だったと感じます。
岩にぶつかれば自分の命は無いですからね。
これまで北山村は、国道169号を走って奈良県のどこかへ行く際、
道の駅おくとろ以外では、走り抜けるだけという感じでしたが、
今回、じっくりと観光出来て良かったです( *´艸`)
これからも様々な事情が許す限り、相棒と共に
各地を旅してみたいと思います。
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