どすこい山根康民日記

道路交通に関する事を中心に紹介しています。

田辺市熊野(いや)地区の道路開通

2021-06-27 21:27:25 | 日記
寸断の市道10年ぶり開通 田辺市熊野、大水害で土石流
6/10(木) 16:35配信 紀伊民報

復旧工事の現場に整備された道路。一般車両の通行が可能となった(9日、和歌山県田辺市熊野で)

 2011年9月の紀伊半島大水害で甚大な被害を受け、
通行止めが続いていた和歌山県田辺市の熊野(いや)と木守を結ぶ市道が復旧し、
10日から一般車両が通行できるようになった。全体的な事業は今後も継続していく。


 寸断されていたのは、市道木守杣谷線。
11年9月4日、熊野地区で集落上手の山が崩壊して熊野川に土砂が流れ込み、市道が寸断された。
熊野地区の奥に位置する木守地区の住民は鮎川方面に行く場合、国道371号を迂回(うかい)していた。

 復旧工事を進めている国土交通省近畿地方整備局の紀伊山系砂防事務所(奈良県)によると、
整備した道路は延長約1053メートル。寸断されていた上流と下流をつなぎ、市道として市に引き渡した。

 復旧工事では道路の整備のほか、階段状の排水路を設けて大型の砂防えん堤
(高さ14・5メートル、長さ145・65メートル)を整備し、山の斜面が再度崩れないように整えるなどした。
今後は河床の浸食を防ぐため階段状に整備するなどの工事を随時施工していく予定。

 熊野地区の岡田克哉区長(61)は「木守地区の方が不自由していたのがつらかったが、
やっと道路が通れるようになり、本当にありがたい。災害で失ったものは大きい。
ここで起きた災害を忘れてほしくないし、二度とこんなことが起こらないでほしい。
住民が減って寂しいが、これからもこの地区を見守っていきたい」と話した。

 紀伊半島大水害は11年8月30日から9月4日にかけて、
台風12号の通過により激しく降り続いた雨の影響で発生した。
県内だけでも死者と行方不明者は61人に上り、熊野地区では3人が犠牲になった。

紀伊民報 https://news.yahoo.co.jp/articles/9a91fc95fa1c78535829773a0f9cc8a31e317e6e

冒頭、田辺市熊野地区で大水害による土石流で寸断されていた市道が、
10年ぶりに復旧したという新聞記事を見て、6/24現場に向けて原付バイクで走りました。



この道路が復旧開通するまでは、百間山渓谷駐車場までしか通行できませんでした。

上富田町生馬交差点から、これから向かおうとする田辺市熊野地区方面を写す
何となく雲行きが怪しい

田辺市深谷地区にあるお不動さんへお詣り

地元の方が清掃されているのでしょうか?
お不動さんは、キレイにお祭りされています。

田辺市面川(めんがわ)地区(この道なりに進みます)

面川地区には、三豊神社があります。ここには大きな杉があります。
先程の道路が復旧する前は、面川地区から林道を走って小守方面へ行っていました。

写真では見えませんが、この右手に三豊神社があります。
三豊神社の大杉【和歌山県観光情報】動画


復旧前は、写真中央付近にあるプレハブの工事現場事務所までしか通れませんでした。

走りながら思いましたが、こんなに広範囲にわたって地形が変わるほどの大水害だったのか?と
改めて自然災害の脅威を実感しました。





道路沿いに建てられた慰霊碑。
こちらで亡くなられた方々への慰霊の意味を込めて手を合わせてきました。



土砂災害慰霊碑

平成二十三年台風十二号の大雨の影響で
九月四日の早朝大規模な深層崩壊が発生し
土石流が家屋田畑を押し流し
三人の方が犠牲になりました
私たちはこの災害の記憶を忘れる事なく
後世に伝えたい

熊野区

慰霊碑の場所から更に上へと登ります。

道路は真新しいのですが、まだ工事は続いているようです

道路から下を見る

山の斜面は、大きく崩壊した様子がよくわかります。



ここから先は、元々の市道へつながります。

しばらく上ると通行止期間中、利用されていた林道大熊線と交差します。

面川地区から来た林道は、ここから市道を通って小守方面へとつながります。

今回は、ここでUターンして白浜へ帰りました。
道路が開通すると早速走ってみたい!という気持ちがありますが、
今回の道路開通は、少し複雑な気持ちがあります。
先程も触れましたが、10年前の紀伊半島大水害の傷跡の深さを知り、
改めて自然の驚異を実感したものです。

今回の走行距離 約84㎞になります。

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