どすこい山根康民日記

道路交通に関する事を中心に紹介しています。

有田市から広川町、日高川町を走る

2023-07-08 23:24:46 | 日記
7/3、今日は、どんよりとした曇り空でしたが、
相棒(原付バイク)と有田市内まで走って来ました。

前回、印南(いなみ)町切目(きりめ)駅近くにある
第2切目橋りょうを走った事を紹介しましたが、
印南町から御坊市を抜け、いつもの?由良洞隧道へ向かいました。

日高町から由良洞隧道への県道を上っていると途中、
業者の方が山の斜面の草刈りをされていました。
道路の維持管理というのは、本当に大変です。
キレイになって良かったです。

今日は、由良洞隧道(旧由良トンネル)坑内からの水が排水されているかの確認です。

石垣の隙間から水が流れ出ています

水が出ている様子ですが、ちょっと分かりにくいかなぁ?

ちゃんと排水されていました

西側の排水路からも水が流れています

先週は、応急措置をしただけなので、何れ排水路の拡幅、浚渫等を行いたいと思います。
このあと由良洞隧道から有田市へと走ります。
途中、令和5年2月19日(日)に開通した国道42号 有田海南道路の一部、
有田サンブリッジを初めて走行しました。
https://www.kkr.mlit.go.jp/news/top/press/2022/20221226-1aridakainan.html
⇧国道42号 有田海南道路 令和5年2月19日(日)に開通します
~有田川に新しい橋が架かります~

有田サンブリッジを渡ってオークワ箕島店へ寄りました。
すると店内のエスカレーターが使用不能となっていました。
★エスカレーターの写真は7月3日現在です。

原因は、6月2日の大雨にありました。
由良洞隧道でも排水路の盛土が崩土するなど被害がありましたが、
こんな所にも被害があったとは思いませんでした。

お客様の声を読むと「・・・エスカレーターにおきましては、
6/2の冠水災害にて地下への駆動機関が被害を受けた為、
復旧作業中です。早ければ7月上旬予定ですが、確定ではございません。
ご不便をお掛け致しますが、東側にエレベーター及び
階段をご利用下さいませ。大変申し訳ございません」とあります。
ていねいな回答文を読み「自然災害なので仕方ないね」という気持ちになりました。

オークワでは、小腹が空いたので巻きずしとお茶を購入しました。

おしゃるきまつりポスター 7/15㈯

湯浅まつり 7/29㈯
今年の夏は、各地で夏祭りが復活しそうですね( *´艸`)

さてお腹も満たされたので、もう少し有田市内を少し走って、
広川町にある広川ダムへ向かいました。

広川ダム

広川ダム諸元表

着工 昭和46年12月22日
竣工 昭和50年1月30日
事業主体 和歌山県

広川ダム

ダムの堰堤を歩こうと思いましたが、通行止めになっていました。
最近、富山県黒部市にある宇奈月温泉で黒部ダムに関する資料を見て、
今までもダムに少しは興味がありましたが、ダムに関する動画を見るようになって、
ダムにも関心を持つようになりました。
今までも山間部を走行した際、多くのダムを見てきましたが、
殆どスルーしていたので今思えば「もったいない事をした…」(ノД`)・゜・。
という感じです。少しダムへの興味を深めたいと思います

広川ダム周辺地図
この地図で「おでん小屋」に興味を持ち
「何があるんだろう…?」と思いながらダムのさらに奥へと
走って行きましたが、結局おでん小屋は分かりませんでした(T_T)

広川ダムから更に奥へ進むと、広川町下津木地区にある広川町青少年の家

橋を渡ると建物が見えます

周囲には、お寺や神社があります。

鳥居をくぐります

石段を上がります

お参りさせて頂きました

グランドの隅には石碑があります

山の声川の音に目を覚ます とあります。

裏面からグランドを見る

津木小学校は明治九年十月二十日創立
以来本年をもって百周年を迎えた
私たちは ここに輝かしい歴史を偲び
母校の発展を祝い今後の教育振興を祈りつつ
この碑を建つ

昭和五十一年十月三十一日
津木小学校卒業生一同

橋の下を流れる広川
津木小学校があった頃は、ここが天然のプールだったのかなぁ?と思います。

広川の上流部

道路沿いで見かけた滝

広川ダムの上流部は、ホタル観賞スポットになっています

駐車場の案内

クマも出るんですね💦💦

広川ダムが正面から見える小さな公園へ行きました

何だろう?ダムの知識があれば分かるんでしょうが…

ダムから放流される水
また広川沿いの農業用水路にも水が流されていました。
広川ダムから今度は、ホタルの湯へ走ります。

ホタルの湯近くにある新滝原トンネルと旧道トンネル瀧原洞

やはりトンネルに目が行ってしまいます(^^ゞ
先程の広川ダムから、ホタルの湯方面に走ると途中にあります。

瀧原トンネルの隣にある旧道トンネルは、金網で塞がれています。

旧道トンネル(旧瀧原洞)近くには石碑があります

旧道トンネルに多大な尽力をされた谷口又吉翁の紹介看板があります
https://www.town.hirogawa.wakayama.jp/kyouiku/rekishibunka/tanigutimatakiti.html
⇧谷口又吉翁とは?
何度かこのトンネルは見ていますが、昔の人はスゴイです。

旧トンネル近くにある滝原温泉 ほたるの湯

ほたるの湯外観
紀伊半島の山間部には、このような温泉が他にもありますが、
火山が近くにある訳でもなく温泉が湧き出るというのは不思議です(^^ゞ

ほたるの湯から今度は、日高川町方面へ走ります
途中に見事な石積みを発見

場所は、県道21号線 広川川辺線
広川町上津木

川も石積みされています。
このような農業土木は、とても素晴らしいと感じます。
ただボ~と眺めているだけでも良いですし、
今風に考えれば、このような段々畑の石積みや川の景色を見るだけの
カフェがあっても良いかと思いますが、採算的に厳しいか…

広川町と日高川町との境界が近づいてきます

空はどんよりとした曇り空で山頂にある風車には、霧がかかっています。
まだこの時は、雨は降っていませんでした。

広川町と日高川町の境界にある室川トンネル

室川トンネル 1989年3月 和歌山県
延長656m 幅5.5m 高4.5m
施工 清水建設株式会社

室川トンネル近くにある階段上には、お地蔵さまが祀られています
変な事を書きますが、ここは割と交通量もある道路ですが、
少し強い波動を感じました。
たまに、このような遭遇があります。
どこにでもあるような雰囲気ですが、お地蔵様からというより、
お地蔵様の周囲からのエネルギーを感じました。
丁寧にお参りさせて頂きました。

トンネルを抜けて日高川町へ

日本の社会基盤って凄いと思います

公衆電話ボックスがあります。
月1回使われているのかなぁ~とも思いますが、
採算性を考えれば、とても難しいかと思いますが、緊急時の通話確保のために
設けられているものと思います。賛否があるかも知れませんが、
私は、可能な限り維持して頂けたらと考えています。

トンネル近くにある林道白馬線との交差点

林道白馬線 起点 日高川町

林道 白馬線について
今度、機会があれば相棒(原付バイク)と林道を走ってみようかなぁ( *´艸`)
ただ数年前、ダートコースの道を走って、通話圏外でパンクした辛い思い出があるので、
初心者でも挑戦しやすい舗装された林道から始めてみようかなぁ~(^^♪

先程の県道21号線(広川川辺線)から県道26号線(御坊美山線)を走り、
日高川沿いにある道の駅SanPin(サンピン)中津に向かいます。

道の駅で少し休憩して、また出発します。
この後、日高川の対岸を走る県道193号線(船津和佐線)を走ります。

この道は、一部2車線区間もありますが、殆ど1~1.5車線の狭い道になります。
日高川町三百瀬(みよせ)地区

三百瀬地区を走行中、古いバスが放置されている…と思いながら通過しようとしたのですが…

三百瀬第五班集会所 のプレートに気付きUターン

バスの後方には、エアコンの室外機が設置されています

横に回って見ます

開閉扉があります。中はどうなっているのかなぁ?ドキドキ

車内にはイスなどが配置されていました。
とても嬉しく思います(^^)/というのも私は、相棒(原付バイク)と各地を走っていますが、
時折、放置され無残な姿になった廃バスを見かける事があります。
現役の頃は、多くのお客さんを運んだであろうに…
あまりにも変わり果てた姿に悲しくなる時もあります。
それが、ここでは第二の人生ならぬ、現役引退後も地域の皆様の
憩いの場となっている事に嬉しく思いました( *´艸`)

日高川町内を更に走り、JRきのくに線和佐駅近くにある
和佐公民館まで来た時、謎の穴?発見しました。

あれっ?何だろう?((+_+))

JRきのくに線の線路下にあるヒューム管のようです。

線路下のヒューム管手前には、錆び付いた橋の欄干が見えます

道路側からは、このように草に覆われて橋がある事もわかりません

https://www.youtube.com/watch?v=5L2o8E5OB2A
⇧JRきのくに線 和佐駅近くにある謎の穴?を歩く🚶
実際、歩きましたが、錆び付いた橋の先(線路を越えた先)には、道路はありません(*_*;
どういう事だろう?また穴を抜けた先も建物と田んぼがありますが、
この穴を利用する人っているのかなぁ?
私の中では、謎に満ちた?穴でした。

穴を抜けると水路に板橋が渡されています

板橋の先は、このような田んぼが広がっていますが、
写真、左手が先程の錆び付いた橋の先になるのですが、
この付近に道路はありません?

上記から線路沿いに進んだ所にある中和佐踏切

中和佐踏切 JRきのくに線和佐駅近くにあります

踏切から天王寺(大阪)方面を写す

踏切から日高川方面を写す

田畑のなかを日高川に向かって真っすぐ道が通っています。

踏切から県道側(和佐公民館方面)を写す

中和佐踏切の近くで見かけた1973-2 の表示
Wikipediaによると道成寺駅から和佐駅間が、
1977年(昭和52年)12月13日に複線化されたとある事から、
ここからは推測ですが、錆び付いた橋は複線化前の
単線時代に作られたのですが、複線化による改良工事のため
橋を廃道にして迂回路として、中和佐踏切が設けられ
これまでの橋の利用者への配慮からヒューム管の通路を設けた?とすれば、
何となく辻褄(つじつま)が合うのかなぁ?とも思いますが、
あくまでも私の推測なので、ご存知の方おられればご教授お願い致します。

さらに付近の線路沿いを歩くと線路高架沿いに鳥居を発見しました

背後の木がご神木になっている?ような感じです。

説明書きもありますが、お参りする方もすくないのでしょうか?
草が生い茂って表示の看板まで行くのも大変でした(^^ゞ

看板には、以下のように書かれています。

川辺町の文化財
御旅所跡(おたびしょあと)

日高郡川辺町和佐

明治41年(1908)に、村内の神社が合祀されるまでは、
旧丹生村大字和佐字宮の前四百三十番地に、
丹生津姫命(にゅうつひめのみこと)を祀る丹生神社が鎮座しており、
ここはその御旅所跡である。
銀杏の老木(根廻り4.2m)の●面に、
花崗岩(かこうがん)で作られた鳥居と灯籠が二基あり、
灯籠には天明二年(1782)、鳥居には天保九年(1838)と刻まれており、
当時の神社の歴史や規模を知ることができる。
毎年祭礼当日、祭の無事を祈って、
獅子の舞が奉納される。

川辺町教育委員会

*●面にの ●ですが、判読が難しく
部首が はこがまえ だと思いますが、
その中が分かりません
部首が、はこがまえ には、区や医があります。

今回は、比較的近場を走ってみましたが、
これまでも通っていた道なのに、気付かず意外な発見が出来たりと
楽しい旅でした(*´ω`*)
今度、林道も走ってみようかなぁ~と新たな楽しみも出来たし、
紀勢本線(きのくに線)の線路下の通路について、
ちょっと意識して見るようにしようと思います。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました(^^)/

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