髪を切りに行こうと一ヶ月前くらいから思ってるけど予約の電話をするのが億劫で伸ばし伸ばし。ろくすっぽドライヤーもかけずに会社に行ってます。
以前までスーツで出勤していたけど、夏の頃に着るの面倒になって私服で行ってます。どうせ会社に着けばすぐ着替えるのだし。同じ服で一週間。
歯医者に行こうとも思ってるけど、やはり電話が面倒で伸ばし伸ばし。いや、さすがに歯は磨いてから会社に行きますよ。
掃除もしない。なぜかトイレだけは掃除するのだけど、部屋はしない。洗濯はする、洗い物もする。
あ、明日は資源ごみの日だ。
このアパートも来年の一月初旬までの契約なんだけど、それもやっぱり電話して契約延長するのが面倒。
面倒面倒面倒…それぞれはたいしたこと問題ではないのに、そんなことばかり考えて、考えても行動はしないので、ゴムはビ~と伸びて伸びきったまま戻らなくなったような気持ちです。バチンと切れてしまったほうがよっぽどいい。
なにがいけないのかというと、「なんでもめんどくさがる性格だから」ってのはその通りなんだけど、それは正確な答えじゃあない。目標がないんだな、きっと。
女の人がキレイなのはどうしてかって、それは「常に見られることを意識するから」だと思うんだよね。
男も同じで、人の目を意識すると「こんなんじゃあかっこわるいな」と思って、仕事をしたり、走ったり、服もちゃんと選んで、髪も整えて、外見だけよくしてもいけないから掃除もするし、よしよし、これでなにも問題ないぞって鏡の前で自分を再確認する。
しかし対自分には限界がある、そこが甘えなんだ。自分しか評価の基準がないと、水は低きに流れるっつーか、「少しくらいいいだろう、さぼっても」ってなりがち。
アマアマの人間関係でもそうなる。
友人だからこのくらいは言ってしまってもいいだろう、この程度の約束は反故にしても許されるだろう。
恋人同士だからいいだろう、少々みっともない姿を見せてもいいだろう。好き合ってるんだもの、離れることなどないだろう。
夫婦だからいいだろう、お腹が出てもハゲてもいいだろう。化粧はしなくていいだろう、どうせもう見られていないし。
どうも僕は、誰かに見られていないとダメなようだ。他人から自分がどう映っているのか、それを意識して絶えず「これじゃあいけない」って頭の隅で思っていないと、だんだんと自分勝手に「このあたりでおっけー」って、線をひく。
気の合う仲間と一緒にいるとさ、そのひとの目線で物事を一緒に考えられたり、同じ景色を見ることができたりして(それも結局は自分本位でのモノの見方なのかもしれないけど)、そのいつも新しい感覚が、それをそのとき意識しなくても、新しい自分を造りだすように思える。
一人旅に出たいと思うかい?もしそう思うなら、それはきっと今が幸せなんだ。常に他人を意識しているから、ふと一人でいろいろなところを巡って静かに自分を見つめ直したくなってるってことでしょ。
一人でいるなんて、そうである必要がないのなら、いることないんだ。
そもそも一人旅っておかしな言葉だな。一人ならそれはさまようってことだ。目的や終着点を見出していても、そこは自分が自分だけの考えで作り上げた終わりのない、ただの過程でしょ。
とはいいながら、どこまで考えてもどんな人間でも、他人を意識してその目でみても、それだって自分の目を通した他人を想像した自分をみているのだけど、そこまで話突き詰めたらつまらない。
おしゃれするのは、やっぱ誰かの為(好きな誰かに会うため)でありたいし、部屋を掃除するのも自分が快適に暮らすためではなく、誰かを部屋に呼ぶためでありたいし、お金稼ぐのだってただ食べて暮らすためだけには働きたくないじゃん。
一人でさ~、「こうじゃあないと、こうであるべきだ」なんて考え出すとロクなことにならない。それでも考えないことは不可能(どんな物事にも価値基準がないと生活できないしね)。
解決する簡単な方法としては「こんなとき、あのひとだったらどう行動するだろう?あのひとならどう答えるだろう?」っていう意識をしてみることだけで、けっこう違う。
周りに誰かがいて、その人と会話をして同じ時間を共有していても、見られているそして見ていることを互いに意識しなければ、それは結局誰もいないことと同じだ。
以前までスーツで出勤していたけど、夏の頃に着るの面倒になって私服で行ってます。どうせ会社に着けばすぐ着替えるのだし。同じ服で一週間。
歯医者に行こうとも思ってるけど、やはり電話が面倒で伸ばし伸ばし。いや、さすがに歯は磨いてから会社に行きますよ。
掃除もしない。なぜかトイレだけは掃除するのだけど、部屋はしない。洗濯はする、洗い物もする。
あ、明日は資源ごみの日だ。
このアパートも来年の一月初旬までの契約なんだけど、それもやっぱり電話して契約延長するのが面倒。
面倒面倒面倒…それぞれはたいしたこと問題ではないのに、そんなことばかり考えて、考えても行動はしないので、ゴムはビ~と伸びて伸びきったまま戻らなくなったような気持ちです。バチンと切れてしまったほうがよっぽどいい。
なにがいけないのかというと、「なんでもめんどくさがる性格だから」ってのはその通りなんだけど、それは正確な答えじゃあない。目標がないんだな、きっと。
女の人がキレイなのはどうしてかって、それは「常に見られることを意識するから」だと思うんだよね。
男も同じで、人の目を意識すると「こんなんじゃあかっこわるいな」と思って、仕事をしたり、走ったり、服もちゃんと選んで、髪も整えて、外見だけよくしてもいけないから掃除もするし、よしよし、これでなにも問題ないぞって鏡の前で自分を再確認する。
しかし対自分には限界がある、そこが甘えなんだ。自分しか評価の基準がないと、水は低きに流れるっつーか、「少しくらいいいだろう、さぼっても」ってなりがち。
アマアマの人間関係でもそうなる。
友人だからこのくらいは言ってしまってもいいだろう、この程度の約束は反故にしても許されるだろう。
恋人同士だからいいだろう、少々みっともない姿を見せてもいいだろう。好き合ってるんだもの、離れることなどないだろう。
夫婦だからいいだろう、お腹が出てもハゲてもいいだろう。化粧はしなくていいだろう、どうせもう見られていないし。
どうも僕は、誰かに見られていないとダメなようだ。他人から自分がどう映っているのか、それを意識して絶えず「これじゃあいけない」って頭の隅で思っていないと、だんだんと自分勝手に「このあたりでおっけー」って、線をひく。
気の合う仲間と一緒にいるとさ、そのひとの目線で物事を一緒に考えられたり、同じ景色を見ることができたりして(それも結局は自分本位でのモノの見方なのかもしれないけど)、そのいつも新しい感覚が、それをそのとき意識しなくても、新しい自分を造りだすように思える。
一人旅に出たいと思うかい?もしそう思うなら、それはきっと今が幸せなんだ。常に他人を意識しているから、ふと一人でいろいろなところを巡って静かに自分を見つめ直したくなってるってことでしょ。
一人でいるなんて、そうである必要がないのなら、いることないんだ。
そもそも一人旅っておかしな言葉だな。一人ならそれはさまようってことだ。目的や終着点を見出していても、そこは自分が自分だけの考えで作り上げた終わりのない、ただの過程でしょ。
とはいいながら、どこまで考えてもどんな人間でも、他人を意識してその目でみても、それだって自分の目を通した他人を想像した自分をみているのだけど、そこまで話突き詰めたらつまらない。
おしゃれするのは、やっぱ誰かの為(好きな誰かに会うため)でありたいし、部屋を掃除するのも自分が快適に暮らすためではなく、誰かを部屋に呼ぶためでありたいし、お金稼ぐのだってただ食べて暮らすためだけには働きたくないじゃん。
一人でさ~、「こうじゃあないと、こうであるべきだ」なんて考え出すとロクなことにならない。それでも考えないことは不可能(どんな物事にも価値基準がないと生活できないしね)。
解決する簡単な方法としては「こんなとき、あのひとだったらどう行動するだろう?あのひとならどう答えるだろう?」っていう意識をしてみることだけで、けっこう違う。
周りに誰かがいて、その人と会話をして同じ時間を共有していても、見られているそして見ていることを互いに意識しなければ、それは結局誰もいないことと同じだ。