もう二日も前になりますが、ダーキシくんから電話がありました。
ダーキシくんといえば、放文の後輩であり、暗黒面に魅せられた、全裸隊の特攻隊長。
今は埼玉在住。彼とも札幌ではたまに飲む。知り合って十年になるが、俺に電話してくるなんて初めてじゃあないかな。
「いや~一人で毎晩飲んでたら、ちょっと寂しくなりまして」気持ちはわからんでもない。彼もこっちに来て半年かそこら。人恋しくなったのだろう。きっちり働いてるようでまずは安心だ。(やればできるコだから)
ちなみに今日メールで知ったのだけど、ダーキシくんはシジマくんにも同様の電話をしていたようだ。よっぽど孤独なんだろうな。
電話の中で「ボクが放文に入ったのはあなたのせいですよ」という話になった。
大学に入りたての、これから何が待ち受けているか期待と不安とピュア~な心と暴力的な感情が渦巻く18歳の純朴な少年であるダーキシくんが、
「サークルに入ろうかな。まずは話を聞いてみないと。できれば女の子がいっぱいいる所がいいな」と思ったかどうかは知らないが、放文の部室に足を踏み入れた時にたまたま俺がいたなんて。
その扉を開いてしまったときが、あなたの学生生活には闇が覆い、人に話しても理解されない喜びや苦しみを背負い、その後の将来に肺を切除する運命を享受することとなった瞬間だったのだろう。
彼との出会いを、彼ほどには憶えていないのだけど。
俺はこの部について話した後、彼にこう言ったらしい。「君は入りたくなければこの部に入らなくてもいいよ。 でも、男に成れ!」と意味のわからないことを。
それを聞いて、大学に入りたての、これから何が待ち受けているか期待と不安とピュア~な心と暴力的な感情が渦巻く18歳の純朴である少年ダーキシくんは「かっこいい」と思ってしまったそうだ。
電話で2時間。男とこんなに長電話するなんて、おざけん以来だ。さすがに電話の最後のほうは俺もかる~く眠たかったぞ。
昔話ついでに。
ぼくが放文に入部したのは、当時の一年生の中では誰よりも遅かったGWの頃。
記憶が確かなら、最初はアズに勧誘され、そこから放文を紹介された。
部室に連れられたときに最初に話をしてくれたのはMさん(汁さん)だった。何を話したのかは憶えていない。今年度の予定を書いたビラを見せたもらいながらのプレゼンだったと思う。「まずは新歓~6月に文連祭~夏は合宿~秋、学校祭~冬は発表会~2月追いコン」
はっきり言って、それらの行事も行事のあとにある飲み会の凄さも、むしろその間にある様々なイベント、飲み、人間関係、当時のぼくには想像すらできない未知の世界だった。(宇宙そこは最後のフロンティア)
その何日かあとに「あの~。入りたいんですが~」と言いながらノックした部室にはよね3しかいなかった。最初に来たときにはたくさんの人がいて、(こんな表現では正しくないけど)わきあいあい。
それが二回目には、三国志の登場人物でいうなら関羽のような、その時見たままを言うなら壁のような大きな先輩一人。
しかも「ごめん。せっかく来てくれてなんだけど俺授業出なきゃあならないから。待ってれば誰か来るよ」と言い残していなくなった。
(まさかこの人とそのご十年以上に渡って付き合うとはお互い露知らず)
よね3のいなくなった部室で、その言葉を信じ、一人体育座りで誰か来るのを待つこと一時間。
誰も来ないので帰りました。
またそこから何日後。たぶんその時が入部の日。靴を脱いで部室に入ると、たくさん人がいた。
当時の部長だったUMEさんに「オマエ名前なんつーの?」と聞かれ、答えると「じゃあ今からヤスって呼ぶわ。ヤス今日飲みに行くぞ」
その日のうちに北炉へ。「UMEが飲みに行こうなんて言うの珍しいね」と、誰かは忘れたけど女の先輩がそう言っていた。
二時間ほど飲んだ後、UMEさんは「じゃあよね3のとこ行きますか」と言って立ち上がった。そして俺の3~4杯目くらいの、まだ飲み干していないジョッキを見下ろして「次行くとこはそんな飲みかたじゃあ済まないから」と言ったのを憶えている。
よね3という固有名詞と顔が一致しなかった当時のぼくは当然だとしても、UMEさんに連れられて来たぼくのことも、よね3はわからなかった。
放文というものの出会う最初の出来事と瞬間は、そんなものだった。
いつしか先輩となった俺も、後輩の勧誘なんていちいち憶えていない。
記憶にはあまりない。
春。とある女のコに入部説明をしていたとき。そのコは俺を見て
「このひととはきっと長い付き合いになる。」
と思ったと。最近聞いた。
以前にも書いたことあったけど、昔の写真はあまり見ない。思考がその時代にぐわーっと遡ってしまって、動けなくなるから。あまりに楽しすぎた。なにをしたわけでもなく、ただ飲んで喋っていただけなのに。
そうは言いながら、実家から持ってきてるし、この前keiponさんに「これが18の頃のshowさんで、こっちがクメ」とか見せてるし。
明日あたりまた見てみよう。
最初の出会いは今思い返してみても、とりあげて劇的でもないし、なんてことのないものだった。
列車のレールは真っ直ぐ走る限り絶対に交わらないが、ひととの出会いのレールは真っ直ぐ行くとどこかで必ず交わるようにできている。
尚ちゃんがいつか言ってた。「今いる人とたとえ放文で会わなくても、地下鉄でたまたま隣に座るとか、ポールタウンで擦れ違うとか、お互い知らないし声かけなくても、少しでもどこかで必ず会うことになってる運命だったと思います。」(たしかそんなセリフ)
スタンド使いはスタンド使いと引かれ合う。
出合った方々がスタンド使いかどうかは知らないが、たまたま同じ時間とかつての同じ歳の頃に、同じようなものの考えかたをしていて、同じ音楽を聴いていたなら、どこかでレールが触れ合うこともあるかもな。
「せ~んろはつづく~よ、ど~こまでも~♪」
ダーキシくんといえば、放文の後輩であり、暗黒面に魅せられた、全裸隊の特攻隊長。
今は埼玉在住。彼とも札幌ではたまに飲む。知り合って十年になるが、俺に電話してくるなんて初めてじゃあないかな。
「いや~一人で毎晩飲んでたら、ちょっと寂しくなりまして」気持ちはわからんでもない。彼もこっちに来て半年かそこら。人恋しくなったのだろう。きっちり働いてるようでまずは安心だ。(やればできるコだから)
ちなみに今日メールで知ったのだけど、ダーキシくんはシジマくんにも同様の電話をしていたようだ。よっぽど孤独なんだろうな。
電話の中で「ボクが放文に入ったのはあなたのせいですよ」という話になった。
大学に入りたての、これから何が待ち受けているか期待と不安とピュア~な心と暴力的な感情が渦巻く18歳の純朴な少年であるダーキシくんが、
「サークルに入ろうかな。まずは話を聞いてみないと。できれば女の子がいっぱいいる所がいいな」と思ったかどうかは知らないが、放文の部室に足を踏み入れた時にたまたま俺がいたなんて。
その扉を開いてしまったときが、あなたの学生生活には闇が覆い、人に話しても理解されない喜びや苦しみを背負い、その後の将来に肺を切除する運命を享受することとなった瞬間だったのだろう。
彼との出会いを、彼ほどには憶えていないのだけど。
俺はこの部について話した後、彼にこう言ったらしい。「君は入りたくなければこの部に入らなくてもいいよ。 でも、男に成れ!」と意味のわからないことを。
それを聞いて、大学に入りたての、これから何が待ち受けているか期待と不安とピュア~な心と暴力的な感情が渦巻く18歳の純朴である少年ダーキシくんは「かっこいい」と思ってしまったそうだ。
電話で2時間。男とこんなに長電話するなんて、おざけん以来だ。さすがに電話の最後のほうは俺もかる~く眠たかったぞ。
昔話ついでに。
ぼくが放文に入部したのは、当時の一年生の中では誰よりも遅かったGWの頃。
記憶が確かなら、最初はアズに勧誘され、そこから放文を紹介された。
部室に連れられたときに最初に話をしてくれたのはMさん(汁さん)だった。何を話したのかは憶えていない。今年度の予定を書いたビラを見せたもらいながらのプレゼンだったと思う。「まずは新歓~6月に文連祭~夏は合宿~秋、学校祭~冬は発表会~2月追いコン」
はっきり言って、それらの行事も行事のあとにある飲み会の凄さも、むしろその間にある様々なイベント、飲み、人間関係、当時のぼくには想像すらできない未知の世界だった。(宇宙そこは最後のフロンティア)
その何日かあとに「あの~。入りたいんですが~」と言いながらノックした部室にはよね3しかいなかった。最初に来たときにはたくさんの人がいて、(こんな表現では正しくないけど)わきあいあい。
それが二回目には、三国志の登場人物でいうなら関羽のような、その時見たままを言うなら壁のような大きな先輩一人。
しかも「ごめん。せっかく来てくれてなんだけど俺授業出なきゃあならないから。待ってれば誰か来るよ」と言い残していなくなった。
(まさかこの人とそのご十年以上に渡って付き合うとはお互い露知らず)
よね3のいなくなった部室で、その言葉を信じ、一人体育座りで誰か来るのを待つこと一時間。
誰も来ないので帰りました。
またそこから何日後。たぶんその時が入部の日。靴を脱いで部室に入ると、たくさん人がいた。
当時の部長だったUMEさんに「オマエ名前なんつーの?」と聞かれ、答えると「じゃあ今からヤスって呼ぶわ。ヤス今日飲みに行くぞ」
その日のうちに北炉へ。「UMEが飲みに行こうなんて言うの珍しいね」と、誰かは忘れたけど女の先輩がそう言っていた。
二時間ほど飲んだ後、UMEさんは「じゃあよね3のとこ行きますか」と言って立ち上がった。そして俺の3~4杯目くらいの、まだ飲み干していないジョッキを見下ろして「次行くとこはそんな飲みかたじゃあ済まないから」と言ったのを憶えている。
よね3という固有名詞と顔が一致しなかった当時のぼくは当然だとしても、UMEさんに連れられて来たぼくのことも、よね3はわからなかった。
放文というものの出会う最初の出来事と瞬間は、そんなものだった。
いつしか先輩となった俺も、後輩の勧誘なんていちいち憶えていない。
記憶にはあまりない。
春。とある女のコに入部説明をしていたとき。そのコは俺を見て
「このひととはきっと長い付き合いになる。」
と思ったと。最近聞いた。
以前にも書いたことあったけど、昔の写真はあまり見ない。思考がその時代にぐわーっと遡ってしまって、動けなくなるから。あまりに楽しすぎた。なにをしたわけでもなく、ただ飲んで喋っていただけなのに。
そうは言いながら、実家から持ってきてるし、この前keiponさんに「これが18の頃のshowさんで、こっちがクメ」とか見せてるし。
明日あたりまた見てみよう。
最初の出会いは今思い返してみても、とりあげて劇的でもないし、なんてことのないものだった。
列車のレールは真っ直ぐ走る限り絶対に交わらないが、ひととの出会いのレールは真っ直ぐ行くとどこかで必ず交わるようにできている。
尚ちゃんがいつか言ってた。「今いる人とたとえ放文で会わなくても、地下鉄でたまたま隣に座るとか、ポールタウンで擦れ違うとか、お互い知らないし声かけなくても、少しでもどこかで必ず会うことになってる運命だったと思います。」(たしかそんなセリフ)
スタンド使いはスタンド使いと引かれ合う。
出合った方々がスタンド使いかどうかは知らないが、たまたま同じ時間とかつての同じ歳の頃に、同じようなものの考えかたをしていて、同じ音楽を聴いていたなら、どこかでレールが触れ合うこともあるかもな。
「せ~んろはつづく~よ、ど~こまでも~♪」