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ドジ男の自転車旅行

自転車の旅を写真付きで書きます。

第20日 ヤンゴン(シュエパズンと伊勢海老)

2018-02-16 11:09:16 | Myanmar (Inle Bagan) ミャンマーバックパック
2018年2月6日 晴れ

バガン-アング・ミンガラー・ハイウェイバス・ステーションーヤンゴン市内
22,659歩 宿:21Hostel(9USドル/シングルルーム朝食付き)

バガンからの夜行バスの中で2月6日を迎えました。バス内の気温は22.7℃でフリースとバスにある毛布で寒さが凌げました。(但し、乗車時はエアコンを強くしていたのか19℃でダウンジャケットが欲しいと思うほど寒かった。)
1時20分、室内灯が点き添乗員が説明しますが全てミャンマー語で全く理解出来ませんが、どうやら食事休憩らしい。大きいレストランがあってバスが並んで駐車していました。自分のバスの停車位置とナンバープレートを記憶してレストランへ行ってみました。


高級レストランの様だけど、無料でなくてお金を払って食べている様子でした。1月26日にヤンゴンからインレー湖へ行くVIPバスは食事が付いていたのに、バガンからヤンゴン行きのバスはVIPバスで3000チャット高い料金だったのに食事が付いていません。JJバスなら付いていたのかも知れないけど、乗った人に聞いていないので真相は解りません。

お腹は減っていなかったし、夜中に食べる気がなくてレストランを出て様子を観察しました。停車している私の乗っていたバスのドアは閉まっていました。同乗者の韓国人2人も同じ様にレストランの前に立っていたのでお弁当を作っているコーナーを見ていました。
野菜のてんぷらももち米の弁当も1000チャット。オクラや玉葱に小麦粉を付けて油で勢いよく揚げていました。ミャンマー料理は油っぽい物が多い。火にかけた甕の中には白、黄色、黒の3色のもち米が蒸されていて注文されるとトレイに入れて砂糖と黄色いシロップの様な物を上にかけていたので「どんな味がするのだろうか?」と思ったけど食べれる余裕がないので売り子がニッコリしても買いませんでした。








5時42分、また室内灯が点いて暗い所に停まったけど、ヤンゴン行きのタクシーの乗り場らしくて2名が降りただけ。英語で説明してくれないから本当に困る。

6時過ぎ、ヤンゴンの長距離バスターミナルの降車場で全員が降ろされた。タクシーの運ちゃんが降車客に群がってきて「タクシー、タクシー」と煩いから「エインダーベンマーレー」と言ったら「Toilet」と書かれた看板のある建屋を指さして立ち去って行った。先ずは小便してバス乗り場探しはそれからだ。飲み物を売っている屋台でバス乗り場は何処か?とノートのミャンマー語を見せたら英語の解るオジサンが来て「道路に出て左」と教えてくださった。ボロバスの並んだ駐車場を西に歩くとYBS36の黄色いエアコンバスが数台停まっている場所に出た。


バスの運転手らしき人達が居る所で「スーレーパヤーまで行きたい」と言うと2台目のバスの前まで連れて行ってくれて「ここで待て」と言われた。タイのモーチットバスターミナルでは出発するバスのトラックが決まっているが、ここでは無秩序に置いてあるバスのどれかが出発するらしい。
しばらく待っていると、バスのドアを開けて客を乗せてくれたので黙って200チャット紙幣を出したら受取ってくれた。タクシーだと10,000チャトらしい。最初のバス停で乗客が乗り込んできてもう座席に座れない人が居ました。


次のバス停に停まった時は砂埃を舞い上げて乗客が突進してきて乗り込み、ぎゅうぎゅうのすし詰め状態になりました。

バスが市街地をどう走るのかを知って宿に一番近い場所で降りる為にGPSを見ながらバスの車窓を見ていました。飛行場からのバスとは違うルートを走り、スーレーパヤーまで南下すると北へ行き始めたので即下車しました。今日の宿は1月24,25日に泊まったことがある21Hostelです。日本を出発する前にBookin.comで予約してありましたが現地で予約すると割引されるので、Booking.comの予約をキャンセルして一人部屋を9usドルで予約してありました。旅友の山脇君が何日か前からシングルに泊まっており、「私が夜行バスで到着する朝も朝食を食べてよい」と確認してくれていたので宿に着いてすぐ朝食を食べました。
ゆっくり朝食を食べた後、9時前にチェックインの手続きをして1208号室に入りました。本来チェックインはBooking.comの資料によると13:00~23:30となっています。でも2回目で顔なじみになっているので朝9時でもチェックイン出来たし、賄いのお手伝いの人達も暖かく迎えてくれます。シングルベッドひとつだけの狭い部屋ですが充電も一人で気兼ねなくできます。


シャワーを浴びて少し休んだ後、姪っ子からリクエストがあったシュエパズンのクッキーを買いに行くことにしました。宿の受付で地図にマーキングを書いて頂き、ミャンマー語でシェパズンを書いて頂きました。これさえあれば現地人にも道を尋ねることが出来ます。


9時25分に地図を持って出発し、マーキングされた場所でミャンマー語で書いたメモを見せるともっと西側と指差すので「おかしいなあ?」と思いながらお菓子屋さんを捜しましたが見つかりません。他の場所でも道を尋ねましたがやっぱり解らなかった。アナウラフタ・ロードとLan Thit Stの角にJunction Mawtinのショッピングモールがあるのでシュエパズンへ行くのは諦めてモール内のお店を捜せばよいか?と思って入る時、念のために入口に居たガードマンに尋ねると東側と言う。聞きながら歩いたし、途中でお菓子屋さんなんて無かったのに・・・と思っていたらオジサンが「自分が行くから着いて来なさい」と言ってくれました。交差点を西側に渡るとすぐにシュエパズンのお店がありました。写真は道案内してくれたオジサンです。


棚には姪っ子がリクエストしたクッキーの箱が山積みされていたので、取敢えず3箱購入しました。店の入り口は広くありませんが中は大きいお店です。


シュエパズンのシュエは金、パズンは海老を意味します。店のトレードマークの金の海老がお店にデッカクありました。


店の外から見るとあまりに大きすぎてお菓子屋とは気づきません。


でも前を通ったはずなのにどうして見つけられなかったんだろう?
お店は西行き一方通行のアナウラフタ通りの北側でLan Thit Stと9th Stの間にありますが、地図に示された場所は8thと9thの間となっていました。
それが宿で書いてくれた地図の誤り。次にシェパズンの店の東側の歩道にお寺がせり出して歩道が塞がっており、車道を歩いたから店の前を通らなかったのです。


道路の対面の歩道から見るとこんな感じで車がいつも駐車しており、出入りする車に気を付けながら車道を歩くのでこの店付近では店捜しが出来なかったのです。タクシーで買い物に行く人には無用でしょうがGPSの位置は16°46'39.2"N 96°08'33.2"Eです。


シュエパズンの店から宿まで約1.5Km。東行き一方通行のマハ・バンデック(地球の歩き方ではマーチャント通リ)は交差点の屋台の次は金のお店、その隣りはアイスコーヒー屋さんその隣りは豚まん屋さん。町全体が混沌としています。








宿に戻って、買ってきたお土産の大きさと重さを考えた時、エアアジアの機内荷物の7Kgに収まるはずがないから受託荷物を追加してもっと土産を買ってもいいか?と思いました。1個の重さが箱に表示されていないので、売ってる店で聞けばいいと午後3時前に再度シェバズンの店へ行きました。金の海老のマークがある机に居た人に重さを尋ねると店に陳列してあった売り物のコーヒーを右手に、シュエパズンのクッキーの箱を左手に乗せて比較し、「コーヒーが500gだからこれも500gくらいだ」とアバウトな回答をされた。その時点で陳列のクッキーは残り3箱だった。
追加してクッキーを買うことより、受託荷物の為の入れ物をリュックにしてみようか?とJunctionのショッピングモールへ行ってみました。安物のリュックは14000チャット、少し丈夫そうなリュックは50,000チャット。日本円で1200円~4,200円くらい。所持金は6万チャットくらいしか無かったし、買って帰っても使わないと思えたので、リュックは買わないで地下のスーパーで段ボールを頂戴して帰りました。




ショッピングモールには春慶節の飾りつけがありました。


夜はミャンマーチャットが残ったので贅沢に伊勢海老を食べようとナイトマーケットに出かけました。バーベキューの店は何軒かありますが伊勢海老を置いているのは西寄りの1軒だけです。一皿3匹で15,000チャットでしたが山脇君と分けて食べるには大きさが違います。愛想いいお姉さんが「左の小さい海老を右と同じ大きさにして20,000チャットにする」と言ってくれたので焼いてもらう事にしました。




焼きあがるまでに時間がかかりそうだったので魚も注文しました。


焼かれた海老が出てきたのは午後8時。注文してから30分ほど後でした。食べている前で蟹の爪をハンマーでオバちゃんが叩いて潰していました。少し味見させてもらったらカレー味で美味しそうでした。伊勢海老は勿論旨かったけど、山脇君が取ったのは焼き過ぎでした。


この店にアボガドがあったのでデザートに買いました。日本で買う大きさの長さで2倍、体積で8倍の大きさが85円。食べ頃の物を包丁で2つに割ってスプーンを付けて袋に入れてくれたので宿に帰って食べました。


これ以外に気になっていた丸い円盤状のういろうの様な食べ物も買いました。白いのは砂糖で作られて500チャット、茶色いのはサトウキビの甘味で作った物で350チャット。でも300チャットに値引きしてくれました。僅か25円。これも宿で食べたら旨かった!


第21日 ヤンゴン(土産と出会い)

2018-02-14 23:36:46 | Myanmar (Inle Bagan) ミャンマーバックパック
2018年2月7日(水)晴れ27.1℃(朝の室温)~32.1℃

宿ーシュエパズン店ー宿ーヤンゴン駅ースーレーパヤーーナイトマーケットー宿
宿:21Hostel連泊    23,441歩

明日エアアジアに乗る時、荷物の重量が確実に制限の7Kgをオーバーしそうです。空港で超過料金を払うより事前ネット手配の方が安いはずなので忘れない様に手配しておこうと朝5時半にベッドの中で手続きしました。20Kgまで21USドルでした。

8時にシャツとハンカチを洗濯してベランダに干し、食べ放題の朝食(緬とご飯、ジュース、コーヒー、バナナ)を食べました。


エアアジアの重量を追加したので、美味そうなお土産のクッキーを買いにシェパズンの店まで歩きました。マハ・パンデュラ通りはいつも人通りが絶えません。


昨日も入れてこの店へ行くのは3回目です。テニス仲間へのお土産・・と思ったけど、調子に乗って買い過ぎるとバンコクから先のピーチエアでも超過料金を支払わないといけないので1個だけ買いました。昨日は気付きませんでしたが、土産物やパンを売っている店の隣りにケーキが食べれるコーヒーショップがあることに気付きました。


店の中を覗くとトレードマークの金の海老のマークがありました。


Junction Mawtinショッピングモールの地下にあるスーパーCity Martで土産物を梱包出来る少し大きめの段ボールを頂きました。
梱包テープを何処で買えばいいのか?宿の受付嬢か又は昼食に会う日本語の先生に聞いてみようと思っていましたが、宿に戻る途中の店で抱えていた段ボールを見せて「テープが欲しい」と身振り手振りで訴えるとミャンマー語が話せなくても立派に買い物って出来るものだと気づきました。
宿に戻って段ボールサイズを変更し、テープを切る為にフルーツナイフを借りて受託荷物を1個完成させることが出来ました。




お昼は山脇君のミャンマー人の知り合い(日本語の先生)と食事をすることになっていたので、ヤンゴン駅に近い待合わせのホテルのロビーへ行きました。


2人が案内してくれたレストランは1月25日にお茶の葉ライスを食べた店でした。地元の人が案内する程いい店を自分で捜せた嗅覚は立派なものだと内心思いました。


2人の名前はタンダーさんとイェーテッ君。共にYangon Pressにお勤めで日本語新聞を発行されています。


レストランは知っていても、その店の美味しい料理は自分では選ぶことが出来なかったからお二人のお陰で美味いランチを一緒に食べることが出来ました。ミャンマー人の平均的な給料などつまらぬ質問をしたような気がします。


山脇君とタンダーさんは話しがあるので、分かれて一人で宿の戻りましたが、途中で郵便局を見つけたので、カバンに残っていた絵葉書を孫に書いて出しました。


郵便局周辺にも屋台が出ています。スイカを売る店、スマホの店、眼鏡の店。店と言っても自分で担げる大きさの籠があれば商売できる。眼鏡は70円。商魂たくましい人達です。






スーレーパヤーのバス停には大型の綺麗なエアコン路線バスが停まっていました。僅か3年前には同じ場所で窓もドアも開けたボロボロのバスが停まっていてタイと比べて酷く遅れていると思ったものです。YBS(ヤンゴンバスサービス)が出来て近代化したようです。


宿の戻って英語の発音が綺麗な受付嬢Valorie Chawさんと話していたら、彼女はサンフランシスコに居たけど母親がサンフランシスコは寒くて嫌いとヤンゴンに帰ったので今はヤンゴンで暮らしている。日本でパンの修行をしたいけど、英語で授業するスクールが無いので諦めたが今年には母を連れて日本と韓国を旅行したい・・・など個人的な話をすることができました。


ジュースを飲んでいたら、「サービスです」と茹でピーナツを差し入れ頂きました。


その後、日記などをロビーで整理していたら、一人の東洋人女性が受付に来て「明日の早朝に空港へ行きたいがタクシーを呼んで欲しい」と言う声が聞こえました。受付嬢はテーブルに居る私を指して「彼も明日空港へ行くからシェアすればいい」と言っていました。東洋人女性は飲み物を注文して離れたテーブルに座ったので、しばらくして声をかけてみました。
私は日本から来ましたが、貴方は何処の国から?(勿論英語で)
「日本人です」
「えー?日本人?」
余りにも流暢な英語だったし、何処か日本人離れした態度に見えた女性は慶応大学の学生でTですと自己紹介したけど、7歳まで日本で暮らし、フィリピンで10年生活していたので最初に覚えた言葉がタガログ語、次に英語。日本語は今でも苦手でタガログ語の方が解ると言う帰国子女でした。服装のセンス、身のこなし方が何処かなよなよした日本の女子大生とは違っていました。夕食を決めていなかったので山脇君推薦のカレー屋さんにお誘いしました。




食事の後、Tさんにライトアップされたスーレーパヤー、公園、ナイトナーケットを案内しました。




今日は日本語の先生をしているミャンマー人、宿の優しい受付嬢、日本人離れした素敵な女子大生と出会えた1日でした。

ミャンマー15日間の旅は今日で終わります。観光地の宿などでは英語が通じるし、お寺の土産売りの人など日本語を話せる人も居ます。
でもせっかくミャンマーへ行くなら挨拶程度のミャンマー語を知っている方が現地の人にも好感を持って迎えられます。

以下の言葉を知っているのが良いと思います。(私が実際に覚えて使った8つの言葉です。)
お別れの時にシーユーやバイバイと言うより、ターターと言うと現地の人がニコッとしてくれます。
google翻訳を見ても「さようなら」はターターではありませんが実際これを使えば通じました。海外旅行の達人である知り合いの山田さんは「先ずその国の数字を覚えなさい」と教えてくれましたが、ミャンマー語の数字は難しいです。全部覚えなくても、ゲストハウスの部屋のキーを預けて外出から戻った時、メモ紙を見ながらでも「1203」なら「ワン・ツー・オー・スリー」と言うより「ティー・ニー・トニャ・トン」と言うと英語が全く理解出来ない手伝いの娘が発音を直してくれました。その後その娘が親しげに接してくれた様に感じました。宿には英語が解る管理者的な立場のスタッフと、トイレ掃除や朝食の準備、或いはベッドメイキングをするアルバイト的な現地スタッフが居ます。同じ宿に連泊する時に英語が解らないローカルレベルの人達とも親しくなれれば旅が楽しくなると思います。
ミンガラーバー       :こんにちは
チェーズーテンバーデェー  :ありがとうございます
ターター          :またね(バイバイ)
エインダーベンマーレー   :トイレは何処ですか?
バラウレ          :いくら?
(サーロ)カウンデ     :(すごく)美味しい
チャノー〇〇トワチンデー  :私は〇〇へ行きたい
ジャパン・ガラバーデー   :日本から来ました

 

第22日 バンコク(Mad Cow Hostel)

2018-02-13 21:15:19 | Myanmar (Inle Bagan) ミャンマーバックパック
2018年2月8日(木)晴れ

Yangon-タクシーー空港ーエアアジアFD252-Bangkokドンムアン空港ーMRT-Si Lom-宿
宿:Mad Cow Hostel(140バーツ/ドミトリー) 26,630歩

ミャンマーからタイへの早朝の国際線エアアジアに乗る為にホステルを朝5時半に出てタクシーを拾いました。ホステルの門は施錠されて早朝には出入り出来ないので前日に「5時過ぎに出る」と受付で申告しておく必要があります。ベンチに根ている男性が足音に気付いて玄関の鍵を開けてくれます。昨日知り合った女子大生のTさん、旅友の山脇君、私の3人がチェックアウトして川沿いのストランド・ロードに出て流しのタクシーを止めました。運ちゃんは「7,000チャット」と言うので「まあいいか!」と思っていましたが、旅友の山脇君が「3人乗るので1人2000円でシェアするから7000では割れない。だから6000にしろ!」と交渉してOKさせました。宿の受付の人から「6000チャットに値切りなさい」と言われていましたが受託荷物を預ける時間が予想以上にかかるかも知れないので、タクシーの価格交渉する時間が勿体ないと個人的に思っていました。でも結果として彼のお陰で一人2,000チャット(日本円で170円)で空港までの約17Kmを移動できました。昼間は渋滞が酷くて1時間では行けませんが早朝で道路が空いていたので6時過ぎには国際線出発ロビーに着きました。
荷物を計るとリュックとお土産を梱包した段ボールケースの2つの合計は10.2Kgでした。これならバンコクから先のピーチ航空ではジャケットのポケットに重量物を収納すれば機内10Kg制限にギリギリ収めることが出来るので、受託荷物の追加をしなくても良さそうです。
出国カードを空港で書きますが、テーブルをフッと見ると日本語の書き方説明がありました。


広い空港は人が少なくてガランとしています。イミグレはすぐ抜けて6時半にはラウンジ(Mingalar Sky Launge)に入ることができました。


中は広くて豪華ですが客が居ません。私一人きりでした。2015年の1月末に折り畳み自転車DAHONを持ってこの空港を使った時はラウンジはありませんでした。当時の日記帳と写真を確認してみたところ、トイレが和式の様なものだったことだけが印象として強かったので写真に撮ってありました。空港そのものが明らかに新しく近代的になっていました。ミャンマーは確実に3年前からは変わっています。




お粥、野菜、ビール、コーヒーは自分で頂きましたが、パンと缶ビール、缶コーラはラウンジの外で待つTさんと山脇君の為にポケットに入れて持ち出しました。




8時45分にヤンゴンを出発したエアアジアFD252便は10時30分(ミャンマーから時差30分)にバンコクのドンムアン空港に着きました。
10時45分には段ボールの荷物を受取って2階から国鉄の駅へ行ってみました。ファランポーンまで国鉄で行けばMRTは2駅でシーロムに着けます。
でも、ホームで聞くと次の列車は2時間後だったのでA1バスで行くことにしました。A1バスでモチットに出ればChatuchak Park駅からMRTに乗り13駅目がSilomです。Aiバスで行くより国鉄の方が料金的には安いです。
A1バスは10分に1本出ており料金は30バーツです。
シーロムで降りてBTSの高架に沿ってSilomロードを西南西へ1.3Km行った所が今日の宿Mad Cow Hostelです。


この宿は名前をMad Cow Hostelと言い、1月23日に民宿日出に泊まっていた時、旅友の山脇君がbooking.comで見つけて現地まで部屋を見に行き、日出より安いので事前予約してくれていました。ドミトリーで料金は140バーツです。(booking.comで予約するとマージンを取られて少し高くなります。)

12時頃に着きましたが、チェックイン時間が午後2時だったので荷物を置かせてもらって昼食に出かけました。それ程腹が減っていなかったので屋台の豚串2本(20バーツ)ともち米(5バーツ)を買ってセブンイレブンの前で食べました。

2時に宿に戻ってチェックインしました。受付は部屋があるのでなくて憩いの場となっているスペースのソファに座ってパソコンをチェックしているだけ。その女性は「予約は記録されていない」と言いましたが、「ベッドは空いているので泊まれる。料金は150バーツ」と言いました。山脇君が前回来た時に受付に居た女性は140バーツと言ったとクレームを言うと「140バーツでいい」と簡単に認めてくれました。
かなりいい加減な気がしたので「領収書をくれ」と言うと「そんな物は無い。宿泊料を安くする為に無駄を省いているんだ。」との回答です。「それじゃあ、貴方が居なくて次の朝別の人が料金をもらっていないから支払えと言われたらどうするんだ?」と聞くと「マリアに払ったと言えばいい。そもそもここは自分ともう一人しか居ないからそんな事は起こらない」と言うので信用しました。


部屋は2階で2段ベッドが5台(10人部屋)ミックスのドミトリーで頭の方にはニューヨークの陽気な女性、足元のベッドにはオーストリア女性が居り、後になってネパール人男性、中国人女性、ベトナム女性が入ってきました。山脇君は入口の扇風機に近いベッドを選びました。


ベッドに荷物を置いて一人でMRTに乗って中華街へ行きました。毎年この季節は中国の正月を迎えて中華街が賑わっているので年中行事の様に見たくなります。大好きなドリアンを食べました。






中華街からファランポーン駅に戻る時、昨年亡くなられたタイの知り合いだったワラパーさんの家の前でワラパーさんの姪っ子のホンとばったり出会いました。ホンさんも私のことを覚えてくれていて写真を撮らせて頂きました。


夜は山脇君と共通の知り合いでシーロムに長期滞在している「すすむ」さんの行きつけの食堂でおかず2種乗っけご飯を食べました。お代わり自由のスープが凄く旨くて値段は50バーツでした。ちょっとシーロム寄りのタニヤでは1食200バーツ以上ですが、庶民的な食堂では50バーツで十分美味しい食事が出来ます。
(すすむさんはこの日ビザランの為にラオスへ行かれて不在でした。)




宿は騒ぐ人もなく、町も静かでぐっすり寝ることができました。
宿のGPSデータ:13°43'33.0"N 100°31'31.8"E
メール:cowrepublic94@gmail.com
料金:140THB/150THB ドミトリーのベッド
   490THB double room with AC
wifi:無料、タオル付

第23日 バンコク(食べ歩きとタニヤ)

2018-02-12 21:47:25 | Myanmar (Inle Bagan) ミャンマーバックパック
2018年2月9日(金)晴れ時々曇り31℃

バーンラックーチュラーロンコーン大学ーサイアムーバーンラックータニヤーChong Nonsi-Phaya Thai-Suvarnabhumi

27,353歩 宿:機内泊

ケチケチ旅行だから食事は1日2食。お昼頃に学食へ行くことにしていたので、起床後スマホ等を充電してSNSをチェックしたりシャワーを浴びて荷物を整理しました。ホステルのチェックアウトは12時ですが、それまでに受付に人が居ません。「チェックアウトを過ぎると1時間あたり100バーツのペナルティーを支払え」と注意書きが貼ってあるので、荷物を纏めて旅友の山脇君のベッドの横に置きました。

シーロムの駅の北側にチュラーロンコーン大学があり、学生用の食堂が安くて美味しい料理を提供しています。今日は工学部の2階のステーキを食べるつもりで壁の料理の写真を見ていたら、賄いのオバちゃんが英語で「これはポーク」「これはチキン」と説明してくれました。





ポークカツとライスとサラダを注文しました。料金は40バーツ(140円)。写真では大きいトンカツが1個でしたが、出てきたのは小さいのが2個でした。


食後のデザートを食べる為に、更にサイアムまで歩いてバナナ専門店へ行きました。宿からは約3.5Kmの距離です。


ここは日本のガイドブックに紹介されて以来若い日本女性が多く立ち寄るという噂通り、本を片手に2人がやってきました。「どんな本?」と聞くとページを開いて見せてくれました。左下に書いてありました。




バナナボールとバナナ+ストロベリー+ヨーグルトを注文しました。価格は2つで110バーツです。ご飯の3倍近い値段でした。
カステラの中にバナナがあり、これを揚げたバナナボールは表面がカリっとしていて暑くて旨かったです。


帰り道で熱心に拝んでいる女性を見掛けました。タイも熱心な仏教国です。


食事散歩から一旦ホステルに戻りBooking.comでなく直接予約できるサイトがあるのか受付のマリアさんに聞いてみるとFacebookから申し込み出来る事を教わりました。何処となく義理の妹に似ていたので個人的な事も質問するとアメリカのインデアナ州から来ているそうです。記念写真を撮ろうとお願いしましたが、拒否されました。


飛行機の時間までロビーに居てもいいと言われましたが、ブラリとタニヤへ行きました。タイへは今回が6回目ですがここへは来たことがありませんでした。年に3ヶ月以上バンコクにロングステイしている76歳の知り合いが住むマンション近くには屋台が多いのですが、果物や魚などの屋台も出て、職場から買い物に来ているであろう地元の人達で賑わっていました。




この辺りにはマッサージ屋さんが多くあります。制服の色は違いますが価格は何処も1時間250バーツです。


シーロムの駅の近くに「タニヤ」と呼ばれる一画があり、急に日本語の看板が増え、歩いている人の日本語が聞こえてきます。仕事で来ている男性と英語が解らない日本人観光客。殆ど男性で若い日本の女性は好んで来ない様です。




アイリッシュパブを見つけたのでギネスを飲んでみました。ハッピーアワーでも1杯が199バーツです。46バーツの大瓶ビールが2バーツ安い店を見つけて買いに行くバックパッカーの僕にはタニヤの価格は凄く高い!


夕方になって空港へ向かうことにしました。ルートは115番のバスに乗ってラムカムヘンまで行く方法、もう一つはシーロムまで歩いてMRTでペチャブリまで行ってマッカサンからARLに乗るルート。最後の一つはBTSのChong Nonsi駅まで歩きPhaya ThaiからARLに乗る方法。一番歩く距離が少なくて時間が確実なBTSを利用することにしました。BTSは33バーツ、ARLは45バーツでした。発券機に手持ちの小銭を投入して日本に持ち帰る外貨の重さ軽減しました。


出発4時間前に着いてしまいベンチで時間調整しましたが、よく見るとベンチに横たわるな!と書いてありました。(到着時は少し横になった)
チェックイン、荷物検査、イミグレを済ませてプライオリティーカードで入れるラウンジを聞くとMIRACLEラウンジを教えられ、23時にラウンジに入りました。


今日の2回目の食事はここです。パスタ、ご飯、サンドイッチ、フルーツ、ケーキをパクパク食べビール、コーヒーを飲み、アイスクリームも食べました。ラウンジに入ると貧乏旅行者が急にリッチな旅行者になれます。でも本当にリッチな人達はラウンジでバカ食いしないよなあ。






第24日 沖縄(首里城)

2018-02-11 21:55:17 | Myanmar (Inle Bagan) ミャンマーバックパック
2018年2月10日、バンコクのスワンナプーム空港のラウンジで10日を迎えました。
ミャンマー旅行の最終日、LCCのPEACH航空MM990便は夜中の1時45分に沖縄へ向けて飛び立つ予定でしたが、発着する飛行機によって滑走路が混雑しており、離陸したのは約1時間遅れの2時50分でした。

朝8時45分に那覇空港に着き、イミグレは殆ど混んでいなくて、しかも受託荷物が無いので9時にはLCCターミナルに出ることが出来ました。
福岡まで帰る国内線も同じターミナルであるのか?係員に確認したところ国際線も国内線も同じここだと解りました。機内持込み荷物の重量を計測する計りがあったのでリュックと手提げかばんの重さを測ってみました。9Kgを僅かに超えていました。PEACHの機内に持ち込める荷物制限は10Kgまでです。沖縄土産を1Kg以上買うと制限オーバーになるので要注意です。

コインロッカーにリュックとお土産の袋を入れて身軽になりました。天気予報では午後には雨の確率が70%だったので、折り畳み傘とペットボトルの水と貴重品を入れたシュルダーバッグだけで行動します。コインロッカーは使用料が300円で、相当大きいスーツケースでも入れられる大きさですが、数は多くありません。

無料の連絡バスでLCCターミナルから国内線ターミナルへ移動し、モノレールの1日券(800円)を買いました。首里駅までの運賃が330円。帰りに国際通りに近い駅で降りて、もう一度乗るから1日券を買う方が便利と判断しました。
最近東京へ行くことが無くなったので浜松町のモノレールのチケットがどうなっているのか解りませんが、ゆいレールのチケットは1回限りの物も含めてQRコードが印刷されていて、改札のガラス窓にこれをワンタッチすれば乗り降りすることが出来ます。(まるで飛行機の搭乗みたい!)
磁気カードを通していた時代から随分進化したものだと年寄りになってしまった自分には感じられます。


10時半から無料ガイドの解説で城内を見学したいと思っていたので、終点の首里駅から急いで首里城へ行きました。首里城公園の入館料820円を支払って、奉神門をくぐり、南殿・番所へ行くとガイドの女性が待っていて10時半からのガイドツアーに参加したいと申し出ました。
15名までと人数制限があることを知りませんでした。日本語による説明なので数多い外人は参加しようとしません。スタートの数分前に着きましたが上手くイヤホンを手に入れ中曽根さんというガイドさんの説明で城内を観て回ることができました。


ツアーが始まるまでにまだ時間があったので御庭に出て観光客に写真を撮って頂きました。胸の前にぶら下げている白っぽい袋の中にワイヤレスの受信機が入っており、ガイドさんの声がイヤホンから聞こえます。


2017年12月1日から2018年2月28日まで南殿2階特別展示室に琉球王国の祭祀道具、黄金御殿特別展示室に御後絵が展示されています。どちらも撮影禁止なのでパンフレットの写真を載せておきます。
祭祀道具は古い絵図には描かれていましたが、平成13年から復元に取り組んで47点中36点が完成し一部を展示していました。漆器のベースとなる木は削り出しではなくて、薄くて小さい木をぐるぐる巻いて作ったそうです。ミャンマーのバガンで見た漆器の作り方と一緒ではないか!琉球が東南アジアとの交易から学んだのではないか?と思いました。


国王の肖像画は沖縄戦にて消失してしまったが、白黒写真が残っていたのでそれを元にカラー再現したそうです。


書院・庭園では島津藩の影響を受けたこと、日本庭園にしたくても気候が違うので琉球松とソテツであることなどの説明を受けました。案内なしの観光と違ってプロのガイドで説明を聞きながらの観光は得るものが多くて勉強になると思います。




正殿には中国から贈られた書が額に入れて飾られ中国の影響が色濃いです。


琉球王国が位置的に日本と大陸(中国・ベトナム・タイなど)の中間にあるため特殊な文化が育ったことやその歴史についてのお話しがありました。

約50分のツアーが終わった時点で系図座・用物庫で行われている琉球舞踊がまだ終わっていなかったので急ぎ観に行き最後の2つの踊りに間に合いました。公演は11時、14時、16時の1日3回。効率よく観ることが出来ました。






西のアザナ(展望台)から東シナ海に浮かぶ沖縄の小島が見えます。


木曳門、守礼門を抜けて玉陵へ行きました。
守礼門は韓国の釜山にあるお寺「梵魚寺」にある門と4本の柱である事など何処か似ている様に思えました。韓国から多くの観光客が来ていましたが、彼等は沖縄を身近に感じるのではないか?と思いました。




玉陵は観覧券300円が必要です。世界遺産に登録され、国指定重要文化財・史跡です。1501年に築かれた陵墓は沖縄戦で大きな被害を受けましたが1974年から3年余りの歳月をかけて修復工事をして往時の姿を取り戻したそうです。事務所の下の階に内部の写真などが展示されていました。






金城町の石畳道へも行きました。韓国人のグループが降りて行きました。最近の海外からの観光客はよく調べて団体旅行の日本人が行かない様な小路も実によく知っていると感心します。




ハブに注意の看板を見て「ああここは沖縄なんだ」と思いました。


弁財天堂を見た後、モノレールの儀保駅からモニレールに乗りました。時間が無い観光者は首里城内だけを観るんだと思いますが、首里城公園は高台にあって涼しい風が吹いていて散歩するにはいい場所です。北陸など日本海側では雪が降る2月のこの日、気温は27℃でした。


牧志駅を降りると「さいおんスクエア」に大きいシーサーがあります。通行人に写真を撮ってもらった直後から雨が降り出しました。でも土砂降りではなくて時々止むこともあり、サンダルを裸足で履いていても足が濡れることはありませんでした(傘は持っていてよかった)。


往きにも食べた上原ミートのかけつけステーキとオリオンビール、これぞ沖縄!人気のステーキを食べる客が6人居て満席でしたが、肉が焼ける頃には席が空きました。


平和通りの裏にあり、地球の歩き方に紹介されている花笠食堂で午後2時半、ゴーヤチャンプル(800円)を食べました。ミャンマーなら100円くらいなのになあ・・と思いながら。




モノレールで国内線ターミナルに戻りお土産を1個買いました。荷物が10KgをオーバーしないようにカメラマンジャケットのポケットにGPS・デジカメ・スマホ・充電器・自転車用のワイヤー錠などの重量物を入れてチェックインしたらリュックと手提げかばんの合憲が9.7Kgだった。もしオーバーしていたらリュックの中の服を限度いっぱいまで着るつもりでしたが、ヤレヤレです。

ピーチ航空MM288便は機材到着遅れの為に定刻より約30分遅れて午後7時20分に那覇空港を出発して、21時05分に7℃の福岡空港に着きました。
チェックインバゲッジが無く、イミグレも空いていたので1番に税関を通り、21時15分発の田川往きリムジンバスに乗れました。
飯塚には22時20分に着き、雨に濡れてはいましたが、幸運にも傘を差さずにバス停から家まで歩いて帰れました。
本日の歩数計記録は27,353歩でした。

バンコクから自宅までの最終日。トランジットの時間を利用して首里城をゆっくり観光する事ができました。