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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 224

2024-03-21 10:52:44 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究27(15年5月実施)
   【非想非非想】『寒気氾濫』(1997年)91頁~
   参加者:S・I、泉真帆、かまくらうてな、M・K、崎尾廣子、M・S、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:S・I  司会と記録:鹿取 未放

 ◆「非想非非想」の一連は、『寒気氾濫』の出版記念会の折、「全ての歌に固有名
   詞が入っていてどの歌も秀歌」「敵愾心を覚える」と塚本邦雄氏が絶賛された。


224 新樹みなキェルケゴールにほほえめばキェルケゴールはレギーネを恋う

      (レポート)
 キェルケゴールはレギーネに求婚をし、彼女は受け入れるのだが、一方的に破棄する、これは謎である。この不可解なキェルケゴールの行為を吉本隆明は普通以下の人だといい、日常の反復を嫌がったのではないかと言っている、あえて苦難に向かう性向は実存主義の始祖らしい。亡くなってもレギーネを相続人にするなど、生涯にわたって、彼女を思慕し続けた。この歌は新樹が初々しく、キェルケゴールに映るのを、レギーネへの想いと重ねたのではないか。(S・I)


     (当日意見)
★『悲劇の思想』(河出書房・1966年刊)の解説では、キェルケゴールは性的不能
 者だったと翻訳をした高橋健二と秋山英夫が書いています。事実かどうかはわかりま
 せんが。(鹿取) 
★「新樹みな」のみなって何ですか?木がしばしば人格のメタファーになっていること
 が多いのですが、なぜ特定の樹ではなく「新樹みな」なんですか?(うてな)
★あまり深く考えないで全部の樹がキェルケゴールにほほえんでいると。(S・I)
★季節ではないですか。いろんな樹が萌えだしている、ものみなエネルギーに満ちてい
 る、そういう季節。だから特定の樹でなくみんな。(鹿取)
★出版記念会で小池光さんがこの歌がいいと言われたんだけど、なぜいいとおっしゃっ
 たかは残念ながら覚えていません。ところで、「かりん」特集号の『寒気氾濫』自選
 5首にこの歌入っていてこんな自注があります。(鹿取)
キェルケゴールの著書『反復』が頭にありました。まったく不可能な恋、存在
    の限界を新緑の樹木のなかに置いてやりたかったのです。包みたかったのだ
   と思います、たぶん。 「かりん」(2011年11月号)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞  223

2024-03-20 13:31:52 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究27(15年5月実施)
   【非想非非想】『寒気氾濫』(1997年)91頁~
    参加者:S・I、泉真帆、かまくらうてな、M・K、崎尾廣子、M・S、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:S・I  司会と記録:鹿取 未放

 ◆「非想非非想」の一連は、『寒気氾濫』の出版記念会の折、「全ての歌に固有名
   詞が入っていてどの歌も秀歌」「敵愾心を覚える」と塚本邦雄氏が絶賛された。


223 鷹の目の朔太郎行く利根川の彼岸の桜此岸の桜

       (レポート)
 日本美の象徴である桜を愛でながら、鷹の目で彼岸を歩く朔太郎は故人であるとともに、実生活のない人という意味にもとれる。此岸を歩くのは作者である。同じ桜をみているのではない、美意識も相反している。自身と偉大なる郷土の先人である朔太郎を並列に並べることによって、作者の青年らしい意気込みと自負が窺われる。
 萩原朔太郎の代表作『月に吠える』では、研ぎ澄まされた神経と感覚が織りなす孤独な近代人の内面世界の陰影や流動が描かれている。それらの詩作は芸術至上主義の立場から生まれたもので、事実、朔太郎は己の美的空間のみに生きて、生活を放擲した人であった。萩原葉子によれば、ご飯粒を、膝のまわり一面にこぼしたり、すれ違っても気づかない父であった。その上、現実対応能力もなく、家庭は悲惨を極めたようである。このような実生活の破綻ぶりは、優れた芸術家の宿命と受け入れられ、郷土では礼讃された。(以下省略)(S・I)


         (参考)(15年5月)(鹿取)
    社会のために私は大したことを何ひとつできないかもしれないが、無理に
   でもそこに身を置いておかなければ嘘のような気がするのだ。家の水道の配
   管ひとつ動かすことも自分ではできない。そんなあたりまえの事実の部分に
   自分を繋ぎとめておかなければ、こころが痩せていくように思うのだ。
         『寒気氾濫』(一九九七年)あとがきより一部抄出


    (当日意見)
★以前「かりん」に「アンチ朔太郎」という評論で朔太郎と渡辺松男の類似点と相違点
 を論じました。その論にこの歌も引用しています。彼岸を歩くのは朔太郎、此岸を
 〈われ〉が歩いているという解釈はS・Iさんと同じです。ただ、ふたりはけっこう類
 似点もあります。しかし朔太郎と松男さんは生活態度は全く違って、『寒気氾濫』の
 あとがきから一部抄出して挙げました。私はこの松男さんの感覚に信頼を置いていま
 す。根底に詩人として朔太郎とは違うありようでいたいというのがあるのではないで
 しょうか。余談ですが、「アンチ朔太郎」を読んだ松男さんからは「アンチというほ
 ど朔太郎が嫌いではありません」というメールを貰って、ふたりで朔太郎のどの詩が
 好きかで盛り上がったことがあります。松男さんの好きな詩は、『月に吠える』のよ
 うな繊細な美的感覚のものではなく、郷土望景詩の「大渡橋」のような文語の叙情詩
 でした。高校時代、私もこの辺りの詩が大好きだったので意気投合して嬉しかったで
 す。(鹿取)
★ニーチェの『ツァラツストラはかく語りき』には最後まで主人公に寄り添う鷹がえが
 かれていて誇りの象徴なんですけど、鷹の目のというのは朔太郎が孤独に耐えながら
 詩人としての誇りをもって昂然と歩いているというのでしょうか。(鹿取)
★写真で見るとまさに鷹の目ですよね。(S・I)
★なるほど、容貌ですか。(鹿取)


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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 222

2024-03-19 09:23:15 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究27(15年5月実施)
   【非想非非想】『寒気氾濫』(1997年)91頁~
   参加者:S・I、泉真帆、かまくらうてな、M・K、崎尾廣子、M・S、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:S・I  司会と記録:鹿取 未放

 ◆「非想非非想」の一連は、『寒気氾濫』の出版記念会の折、「全ての歌に固有名
   詞が入っていてどの歌も秀歌」「敵愾心を覚える」と塚本邦雄氏が絶賛された。


222 ひんがしへひんがしへ犬(いぬ)の陰嚢(ふぐり)咲きひんがしへ行く良寛の足

        (レポート)
 子供にせがまれれば、日が落ちるまで鞠付きに興じる何事にもとらわれない無欲恬淡な性分の良寛は、69歳の時、島崎村(現長岡市和島村)の木村家邸内に住んでいた、その屋敷で30歳の貞心尼に出会った。「こころさへかはらざりせばはふつたのたえずむかはむ千代も八千代も」『蓮の露』という和歌を詠んでいる。再会を思って、貞心尼の住む福島(現長岡市福島)の閻魔堂に向かう、塩入峠(しおのりとうげ)を越え、信濃川を渡ったというから、犬(いぬ)の陰嚢(ふぐり)は川辺に咲いていたのであろうか。犬の陰嚢の咲く様は、恬淡で飄々とした良寛の足取りのようで、また、貞心尼への恋心をも思わせる、東へ、東へと畳み掛ける表現は、貞心尼へとはやる想いを伝えている。良寛は74歳で亡くなるが貞心尼の手厚い看護をうけ、最期を看取ってもらった。(S・I) ■レポートに付いていた図は、ブログでは省略。


      (当日意見)
★別紙の図を見てください。良寛が住んでいる所は真ん中中央の木村家です。そして右
 下に貞心尼の住む村があります。直線距離で18.6キロくらいです。これは塩入峠を
 越えて信濃川の渡しを通って行く道です。6~7時間かかったのではないでしょう
 か。朝行って夕方着くという感じです。こんなふうにして良寛は貞心尼に逢いに行っ
 たのではないでしょうか。(S・I)
★西方浄土の西に向かってでは無く、東というのはなぜだろうと思っていました。良寛
 と貞心尼の恋の話というのは知っていましたが、この歌と結びつけては全く考えてい
 ませんでした。修行の為に良寛はひんがしへひんがしへ歩いて行って、その足元に犬
 の陰嚢が咲いていたって単純に考えていたのですが、S・Iさんの意見のように貞心尼
 に会いに行く話だと犬の陰嚢お名前が作用してエロチックな歌になりますね。大変濃
 厚な恋の漢詩を作っていますから。(鹿取)


     (後日意見)
 よく考えてみると、地図上で貞心尼の住まいが東方向にあったとしても、松男さんがそういう 細かいことを調べて「ひんがしへ」とうたったとは思えない。むしろ、子供達と鞠突き遊びの延 長上に「ひんがし」という方向性はあるように思われる。
 (鹿取)


     (後日投稿意見)
 日がな一日子供と鞠つき遊びをしたような優しい良寛さんが春ののどかな日の中を歩いている。「ひんがしへ」を3度繰り返したことで、てくてくとした足元が見えてくるようだ。そんな良寛さんの足元には可憐な犬の陰嚢が春の日射しをあびて一面に咲いているのだ。(K・M)


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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 221

2024-03-18 18:25:12 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究27(15年5月実施)
   【非想非非想】『寒気氾濫』(1997年)91頁~
   参加者:S・I、泉真帆、かまくらうてな、M・K、崎尾廣子、M・S、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:S・I  司会と記録:鹿取 未放

 ◆「非想非非想」の一連は、『寒気氾濫』の出版記念会の折、「全ての歌に固有名
   詞が入っていてどの歌も秀歌」「敵愾心を覚える」と塚本邦雄氏が絶賛された。


221 秋津島にゴータマ・ブッダなけれども非想非非想鳥雲に入る

    (レポート)
 天照大御神(神道)につながる、日本の国、秋津島にゴータマ・ブッダは誕生しなかったが、非想非非想鳥は私たちを導き、煩悩から救ってくれるのだろうか、今、仏の最高の境地である「有頂天」への高みに飛翔して、雲に入ったところだ。秋津はトンボの古称である。『古事記』によれば、イザナギ、イザナミの二柱の神は男女の交わりをして、大八島を構成する島々を生み出した。その島の一つ本州が大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま)と記され、転じて日本全体の異名となった。「秋に成ると稲の豊作を象徴するトンボが出(いずる)島」→「秋津嶋」ともいわれている。四季に恵まれ、自然の秩序に順応して、神秘を感じ、畏れを抱いて生きる風土で、人々は自然を崇拝し、多神教的アニミズム信仰を生んだ。一方、仏教が伝来したのは飛鳥時代、552年とされ、当初は「皇族・貴族」のための宗教だったが、鎌倉時代以後、民衆にも受け入れられた。現代信者数は8690万(統計局HP-第六十四回日本統計年鑑){注2}とされている。(S・I)
注1 「鳥雲に入る」:春の季語。春に北方に帰る渡り鳥が、雲間はるかに見えなくなること。               『歳時記』
注2 この数は現実を反映していない。国民の多くは宗教儀礼には参加するが、宗教を問われ      て、無宗教と答える。


      (参考)(鹿取)
   なお思想なきに非(あら)ざるを以て「非非想」、または「非無想」という。
   非有想なるが為に外道(仏教以外)は、この天処を以て真の涅槃処とし、非
   無想なるが為に内道を説く仏教においては、なお、これを生死の境とする。
      (『倶舎論』)


     (当日意見)
★世親という人が作ったインドの仏教書に『倶舎論(くしゃろん)』というのがありま
 す。そこで三界(無色界・色界・欲界)の内、最上の場所である無色界の最高天を有
 頂天または、「非想非非想天」と言うとあります。それで(参考)にあげましたよう
 に仏教以外では「非想非非想天」を悟りと考えるのですが、仏教では「非想非非想」
 というのはほぼあらゆる煩悩を捨て去る事に成功しているが、まだちょっとだけ残っ
 ていて完全ではない状態を指すそうで、輪廻のうちにあると考えるようですこの一
 連の題は「非想非非想」ですから、この歌は作者にとって一連の中でも特に大切な 
 歌なのだと思います。私も大好きな歌です。(鹿取)
★レポーターは「非想非非想鳥」と一つの名詞として解釈されましたが、私は「非想非
 非想」と「鳥雲に入る」は別の言葉だと思います。私はこの歌大好きですが、「秋津
 島」と結句の春の季語が秋と春ですからかすかに衝突するような気がして少し気にな
 ります。でも、「日本」とか言ったら全然この大きなスケール感は出ないし、固有名
 詞だからこだわる方がおかしいかもしれません。一首は「秋津島にはゴータマ・ブッ
 ダはいないけれど、〈われ〉は「非想」とか「非非想」とか時折考えてみることもあ
 るけど、空高く渡り鳥が雲間に消えてゆくのがみえるよ」と憧れの気分で空を見上げ
 ている歌かなあと思います。(鹿取)
★S・Iさん、鹿取さん、両方の意見に納得できると思いました。「非想非非想」でも
 「非想非非想鳥」でもそんなに違わないように思います。「鳥雲に入る」は春の季語
 だけど、短歌なんだからいいんじゃないですか、自由に使って。神道というのはほと
 んど思想がないんですよね。それに思想がある仏教と対比でやったんだろうから、秋
 津島というしかないんじゃないですか。(うてな)
★うてなさん、いいこと言ってくれて助かりました。私に思いこみがありましたよね。
 確かに鳥だって「非想非非想」ってあるかもしれないですからね。人間だけ もの考え
 るって傲慢かもしれないですね。あとは、S・Iさんは哲学科で西洋哲学を熟知されて
 いるのですが、私は国文科ですが、サークルでちょっとだけ東洋哲学を囓って『倶舎
 論』なども読んだので、そういう見解の相違が出てきて面白く思いました。(鹿取)


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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 220

2024-03-17 11:24:59 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究27(15年5月実施)
  【非想非非想】『寒気氾濫』(1997年)91頁~
   参加者:S・I、泉真帆、かまくらうてな、M・K、崎尾廣子、M・S、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:S・I  司会と記録:鹿取 未放

 ◆「非想非非想」の一連は、『寒気氾濫』の出版記念会の折、「全ての歌に固有名
   詞が入っていてどの歌も秀歌」「敵愾心を覚える」と塚本邦雄氏が絶賛された。

220 無際なる体内の靄吐き出だす赭(あか)きジャン=ポール・サルトルの口

         (レポート)
 サルトル作『嘔吐』(1960年版 白井浩司訳)の主人公、ロカンタンはあらゆる場面で吐き気を催すのだが、ある日公園のベンチに座って、目の前のマロニエの木の根を見た時、激しい吐き気に襲われる、知識人ロカンタンはそれが無意味に、偶然そこにあるということには耐えられない、体内の靄を吐き出だすように、赭い舌をまくし立て、噤むことのない口は終始、空しい言葉を吐き続ける。「黒い爪」「煮られた革」「かび」「禿鷹の爪」「太い足」「アザラシの毛皮」などと、マロニエの木の根を言い換えてみる。このように体内から言葉を次々吐きだしても、永遠にマロニエの木の根そのものには近づけない。
「事物の多様性、その個別性は、一つの仮象、一つの漆に過ぎなかった。この漆が
  溶けてし まっていた。怪物じみた、柔らかくて無秩序な塊が、裸の、恐ろしい淫猥
  な裸形の塊が残 っていた」。(P147)
 この「裸形の塊」が意味以前の偶然、そこに輪郭も個別性も喪失したマロニエの木の根である。人間存在もそうだ。存在の根拠がないまま、他のものとは関わりない無意味な(実存)存在であり、本質(意味や価値を付与されたもの)として生まれてきたのではない。ここから「実存は本質に先立つ」という有名な実存主義のテーゼが提唱された。
このようなサルトルの哲学は人間存在を認識する以上の答えは出してくれない、生きかたや、精神の深みなどは宗教や芸術などによって、はじめて得るものである、222番歌(ひんがしへひんがしへ犬(いぬ)の陰嚢(ふぐり)咲きひんがしへ行く良寛の足)の良寛は物質的には無一物に徹し、自然の山川草木を愛し、寺も妻子ももたなかった。作者は良寛のそのような生き方に共感し、サルトルを冷やかに見ているように思える。(S・I)


      (参考)(鹿取)
雪の樹を仰ぎおるとき口あけてみだらなりわがまっ赤な舌は『寒気氾濫』51頁


   (当日意見)
★「無際なる体内の靄吐き出だす」のはサルトルだけでなく人間存在そのものではない
 かなあ。私が参考に挙げた歌は雪の樹と対比させたまっ赤な舌を持つ〈われ〉を
 「みだらなり」と感じています。だから私はサルトルを客観的に冷ややかに見ている
 というよりも、自分も含めて突き放しているんだろうなと思います。人間を相対化し
 ているのだと思いますが。(鹿取)
★サルトルは自然の有り様を言葉で説明しようとしました。良寛は自然と融け込むこと
 に徹した人ですね。サルトルに赭き口という投げ出したようなうたい方をしているこ
 とからみて、渡辺さんはサルトルを冷ややかに見ているのだと。渡辺さんはサルトル
 も含めて様々な人の影響は 受けているけれど、最終的には良寛の方に親和性を感
 じていると。(S・I)
★時間経過の後では良寛に親和性を感じているとは私も思います。ただ、サルトルを批
 評的に見ているならそこに同じ人間存在としての自分も含まれているということで
 す。渡辺さんは哲学科ですから当然サルトルは学んでいるわけですけど、思想的な影
 響関係とこの歌は切り離して考えています。(鹿取)


      (後日意見)
議論の時見落としていたが、『寒気氾濫』64頁に既に鑑賞を終えた次の歌がある。
   ダンコウバイの黄葉の表裏陽のなかにサルトルも遠き過去となりたり
 過去となったというからには、かなりの影響を受けたということだろう。けれどこの感慨にはいくらか過去に対する愛惜のようなものが滲んでいるように思われる。1966年、サルトルが来日し講演した時、高校生の私は聴講の応募葉書を出した記憶があるが、掲出歌はそういう類の講演に参加しか、大学の講義の1コマの描写と読んでも面白い。むろん、作者の意図はサルトルという人間の総括であろう。『嘔吐』だけではなくサルトルの全体の著作活動や生涯を見渡して「無際なる体内の靄吐き出だす」イメージに集約しているのだろう。(鹿取)


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