かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 299,300,301 トルコ⑤ 

2024-03-25 10:34:45 | 短歌の鑑賞
 2024年度版  馬場あき子旅の歌40(11年6月)
    【夕日】『飛種』(1996年刊)P132~
     参加者:N・I、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、H・T、
        渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:藤本満須子 司会とまとめ:鹿取未放


299 夜に入りて知るエーゲ海に波音なし魔のごときやみが人奪(と)りにくる

     (レポート)
 上の句は波音もなく静かな夜のエーゲ海をうたい、下の句で真っ暗な闇の中のエーゲ海、〈魔のごときやみが人奪(と)りにくる〉と突然恐怖と不安にかられる作者がいる。波のおだやかなエーゲ海であるが、眺めている作者は闇の中の音も無き海に不安をかりたてられている。(藤本)


   (当日意見)
★ここの海岸は石が大きいので波音がしない。(曽我)
★日本には失われた漆黒の闇がここにはある。生死に対する畏敬の念。(慧子)


    (まとめ)
 本質的な生の恐怖を闇の中で感じているのだろう。見えないがそこに海があるのに波音の聞こえない、日本と違う環境が闇の怖さに拍車をかけているようだ。(鹿取)


300 何といふことなく昏れてエーゲ海波音のなき凄さ夜に知る

     (レポート)
 299番歌(夜に入りて知るエーゲ海に波音なし魔のごときやみが人奪(と)りにくる)では〈人奪りにくる〉とうたい、ここでは〈波音のなき凄さ夜に知る〉とうたっている。日中のエーゲ海のコバルトブルーの美しさ、それにひきかえ夜のエーゲ海、まったく違った海を眺めている作者、真闇の海にひきこまれていくような作者の感覚。
  (藤本)


      (まとめ)
 「何といふことなく」と俗っぽいことばを取り込んで仕上げている面白さを感じる。「凄さ」は現代語にもあって見過ごしそうだが、「凄し」はおなじみの古語だ。新古今集の西行法師の歌「古畑のそばの立つ木にゐる鳩の友呼ぶ声のすごき夕暮れ」などに使われて「恐ろしい、ぞっとする、もの寂しい」など現代語とややニュアンスの異なる意味がある。(鹿取) 


301 エーゲ海の入江に藻なく波音なしひたしくる闇にわが身沈みつ

     (レポート)
 波音の無く暗く沈んだ夜のエーゲ海、その闇に自分の身体が沈んでいくよ、前の2首から更にいよいよ海の暗闇と一体化してゆく作者の感覚がうたわれている。(藤本)


   (当日意見)
★藻がないというのは比喩で、生もないことを言っている。(慧子)
★いや、藻は比喩ではないと思います。エーゲ海は死んだ海ではないので藻はなくても
 魚などはいると思うので「生」が無いことにはならない。レポートの「一体化」です
 が、それだと心地いいんだけど、ここは取り込まれていく感覚かなと思います。
    (鹿取)
                     
コメント
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