かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 291

2024-07-31 16:02:44 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究36(16年3月実施)
    【ポケットベル】『寒気氾濫』(1997年)120頁~
     参加者:S・I、泉真帆、M・S、曽我亮子、船水映子、渡部慧子
      レポーター:鈴木 良明 司会とテープ起こし:泉 真帆

◆文中※印の(事前意見)は、鹿取が当日発言する為に事前にメモしていたもの
  ですが、当日急用で欠席したためレポートや当日発言とは対応していません。
     

291 精神は肉体よりもごつごつと函館の夜を市電にゆらる

         (レポート)
 仕事で函館に出張したときの景だろう。好景気の頃なら楽しい筈の函館出張も、たぶん明日にでも報告書をまとめなければならないような重い課題を抱えての出張では、ぎすぎすしたこころにならざるを得ない。ぐったりと疲れ切った肉体よりも精神の方が「ごつごつ」とリアルに感じられるのである。(鈴木)

        (当日発言)
★よっぽど難しい心情だったんじゃあないか、って思うんですね。肉体よりも精神の方
 が、っていうの が「ごつごつと」と表現されていてリアルな感じですね。(曽我)
★精神というのは形がない、肉体というのは形がある、そいういうものを比較されるの
 はやはり松男さんらしいなと思って読みました。疲れきった肉体ですねえ、それより
 もリアルに精神の方が感じられると、そいうことをレポーターは書いてらっしゃるん
 ですけれどもその通りだなあと思いました。「ごつごつ」というのが何かちょっと不
 器用な、例えば市電に揺られているあの、ゴットンゴットンとした音の響きとかも関
 連しているのかなあとも思いました。作者はぐったり疲れている肉体よりも精神の方
 に重きを置いてらしゃる、そいういう情景も分ります。(S・I)
★私もこの「ごつごつ」の表現が見事だと思います。「イライラ」とか「キリキリ」、
 とかそういうのではなくこの「ごつごつ」が実に上手に表わしているなあと思い
 ます。(M・S)
★普通だとこ〜「疲れた」とか「胃が痛む」とかね、そういう言い方しちゃいますけ
 ど、そういうところ超えちゃってるんですよね。「ごつごつ」ってもう物みたいに
 なっちゃってる無感動な状態っていうか、そういうのを「ごつごつ」っていう言葉
 で。上手いなあ〜と思いますね。普通だと感情の世界で納めようとする訳ですよ、だ
 けど感情を超えちゃってる、そこがやはり普遍的な感じがするんですよね、この歌。
   (鈴木)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 290

2024-07-30 11:09:10 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究36(16年3月実施)
    【ポケットベル】『寒気氾濫』(1997年)120頁~
     参加者:S・I、泉真帆、M・S、曽我亮子、船水映子、渡部慧子
     レポーター:鈴木 良明 司会とテープ起こし:泉 真帆

◆文中※印の(事前意見)は、鹿取が当日発言する為に事前にメモしていたもの
  ですが、当日急用で欠席したためレポートや当日発言とは対応していません。
     
290 ポケットベルに拘束さるるわれの目に鬱々として巨大春月

         (レポート)
 ポケットベルを配られる職場は、オフの日や休憩時間帯にも緊急の対応が迫られるセクション。九〇年代頃からこのような緊急連絡手段は必要な職場から徐々に広がり、今なら携帯やスマホでの対応が一般化している。本歌では、四月の人事異動で、当時にしては数少ないこのような職場に異動したのであろうか。常にポケベル(他人)に拘束されてオフの日にも気を抜けない作者の目には、おぼろ月夜も鬱陶しい「巨大春月」に映るのだ。(鈴木)


       (当日発言)
★朧月夜って、本当は人の心をなごませるような、ぼわ〜んとした感じのものなのに、
 怪物的な大きなものというか、襲われるようなそんな怖れのようなものを感じるほど
 巨大に見える、というように私は受け止めました。(M・S)
★面白いなーと思って。きっと人間っていろんなキャラクターがあるんでしょうね。仕
 事をしている人の厳しさみたいな、かなりカルチャーショックを受けて読みました。
   (船水)
★おそらく、夕方っていうのはお仕事を引けて、普通なら寛ぐ、家に帰って、そいうい
 う時間帯なんですね。本来ならその時間帯に見るお月様は、なぐさめであったり、情
 緒が豊かになるようなものであったりするんですけれども、なんかそんなふうには見
 えない。やはり鬱々としてしまう、巨大春月そいう表現でされていますね、そういう
 ところが上手いなと思いました。(S・I)
★私が前やったときの巨大な茶碗だったかな。(慧子)
★あー、渡辺巳作氏の巨大茶碗ですかね。(鈴木)
 「商工会会長渡辺巳作氏が巨大茶碗で茶を飲む朝」      
★ちょっと好きな言葉でしょうかねエ「巨大」っていうのは。(S・I)
★自分以外を巨大なものとされているんでしょうかねえ。(慧子)
★異質なものを巨大と捉えているんでしょうね。(S・I)
★自分を脅かすものとか。(船水)
★自分の自由を奪うものというか、拘束するというか。泉さんなんかどうなんですか?
 若いひとはこういう環境にないんですか今は。(鈴木)
★常に付け回されている、拘束されているような感じはありますけれど。(真帆)
★これ時代なんですよね。あのころはもうポケベルしかなかったんですよ。その前は何
 もなかったですね。(一同笑)だから安心していられたんですよ。ところがポケベル
 とか配られちゃうと、出勤しなくちゃいけない訳でしょう。今はもうこういうのは
 日常化してしまっているので、若い人は当たり前と思っているかもしれないけど、
 私達のころからなんか比べると、やってられないって感じですよね。それで残業は
 日常化していますから。役所でさえこうなって来たって、私も一応公務員だから同
 じ立場なんで良く分るんですよ。病んでしまいますよ。だからもういま本当に病気
 になる方も多いと思います。一億総活躍社会なんてカッコイイこと言ってますけど、
 ほんと、あんな言葉を言うこと自体ね…。(鈴木)
★ポケベルを配られる職場には二通りあって、上司が自分では対応できないからやると
 いうのと、それから職場自体がね、例えば病院とかそういう緊急を要する場所とか
 ね、二通りあるんですよ。おそらくこの場合はね、前の方じゃないかという感じが
 しますよね。後の方に出て来ますけれど、その上司とかの様子は。だからその余計
 「巨大春月」というのは、上司のね、もやもやとしたね、鬱陶しい影かもしれない
 んですよ。(鈴木)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 289

2024-07-29 14:08:50 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究35(16年2月実施)
    【ポケットベル】『寒気氾濫』(1997年)118頁~
    参加者:S・I、泉真帆、M・S、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:S・I  司会と記録:鹿取 未放


289 残業の灯を浴びながらそこここに髪毟りおる夕鶴あわれ

  (レポート)
 煌々とした庁舎の灯りが窓の外に漏れ、夕鶴が髪を毟っている様子があちらこちこに照らしだされ、あわれである。『夕鶴』は、木下順二作の有名な戯曲である。つうの真の姿は鶴で、自らの羽を抜いては生地に織り込んでいく、文字通り我が身を削って織物をする姿と、夜遅くまで骨身を削って働いているわれとが重なり、おのずと憐憫の情がわいたのであろう。(S・I)


   (当日意見)
★夕鶴だから女性を見て思ったのかなと。作者の優しい目が感じられます。(真帆)
★夕鶴は身を粉にして働く人の比喩で、必ずしも女性でなくていいんじゃない。だから
 夕鶴の中には自分も含まれているし、「あわれ」も自身にも向けられている。広い庁
 舎の煌々と照る明かりの下で残業をしている人々を見渡しながらの感慨でしょう。
    (鹿取)
★夕鶴だから女性だと思います。(藤本)
★夕鶴も髪を毟るも比喩です。髪を毟るは苛立ちの比喩。あっちでもこっちでも残業し
 ている女性が本当に髪をかきむしっているって、実際の光景としてありえないでしょ
 う。それに残業の人々が女性達だったら、残業している女性をあわれと眺めている
〈われ〉はどこで何をしているんですか。(鹿取)
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馬場あき子の外国詠 73 スペイン①

2024-07-28 14:11:19 | 短歌の鑑賞
 2024年度版  馬場あき子の外国詠8(2008年5月)
     【西班牙 Ⅰモスクワ空港へ】『青い夜のことば』(1999年刊)P48~
     参加者:N・I、M・S、H・S、T・S、藤本満須子、T・H、
           渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:H・S まとめ:鹿取未放


73 清掃の女の一団もりもりと乗り込み来たるこれぞモスクワ

       (まとめ)
 前のロマンチックな歌(モスクワ空港彼方の疎林に雪降るころ降りたしツルゲーネフを恋びととして)から一転して現実的。そのコントラストが面白くしく詠まれている。「もりもりと」に、いかにも肥えた逞しいロシア女性の姿が見えるようだ。
 この一連、重いテーマから軽やかなもの、可愛らしいもの、ロマンチックなものとがうまく配されていて、移りゆきの妙・連作の醍醐味を味わえる見事な構成になっている。(鹿取)


      (レポート)
 ユーモラスな表現によってロシアの国のおくにがらを、人を象徴している。雪に育てられた女性達を想像する。モスクワという都市の根を支えているのはこのような女性達なのであろう。モスクワの一面を知らされる。(H・S)
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馬場あき子の外国詠 72 スペイン①

2024-07-23 10:34:57 | 短歌の鑑賞
 2024年度版  馬場あき子の外国詠8(2008年5月)
     【西班牙 Ⅰモスクワ空港へ】『青い夜のことば』(1999年刊)P48~
     参加者:N・I、M・S、H・S、T・S、藤本満須子、T・H、
           渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:H・S まとめ:鹿取未放


72 モスクワ空港彼方の疎林に雪降るころ降りたしツルゲーネフを恋びととして

      (まとめ)
 ツルゲーネフは19世紀ロシアの小説家。貴族であるが農奴制を批判した「猟人日記」を書いて逮捕・投獄された。隣家に越してきた少女を恋する少年が、自分の父親とその少女が恋しあっていることを知るという詩情豊かな「初恋」などの作品もある。なお、ツルゲーネフは、夫と子のあるフランスのオペラ歌手に一目惚れ、彼女を追ってパリに行き、生涯ロシアと西欧を往復して暮らしたそうだ。
 作者はかつてツルゲーネフに心酔したのであろう。「疎林に雪降るころ」はたっぷりとした情感をたたえた表現だが、えがかれた小説の情景をも連想させる。この空港の彼方にはツルゲーネフが描いた小説の舞台のような情景が広がっているかもしれないと思った時、降り立ってみたいという思いがふっとかすめたのだろう。(鹿取)


      (当日発言)
★深い思いを分かり合える人と語り合いたいという歌。ここに作者の精神的な飢
 えがある。(N・I)


       (レポート)
 ツルゲーネフの著した「猟人日記」は皇帝に農奴解放を決意させたといわれる。モスクワ空港にいる作者の思いはどこにあるのであろうか。政府の弾圧にもかかわらず言論活動を展開した人々にか、貴族へか、農奴へか。情趣豊かな社会心理小説を書いたとあるツルゲーネフ、風土もまた人を育むのであろう。(H・S)

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