かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 221

2024-03-18 18:25:12 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究27(15年5月実施)
   【非想非非想】『寒気氾濫』(1997年)91頁~
   参加者:S・I、泉真帆、かまくらうてな、M・K、崎尾廣子、M・S、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:S・I  司会と記録:鹿取 未放

 ◆「非想非非想」の一連は、『寒気氾濫』の出版記念会の折、「全ての歌に固有名
   詞が入っていてどの歌も秀歌」「敵愾心を覚える」と塚本邦雄氏が絶賛された。


221 秋津島にゴータマ・ブッダなけれども非想非非想鳥雲に入る

    (レポート)
 天照大御神(神道)につながる、日本の国、秋津島にゴータマ・ブッダは誕生しなかったが、非想非非想鳥は私たちを導き、煩悩から救ってくれるのだろうか、今、仏の最高の境地である「有頂天」への高みに飛翔して、雲に入ったところだ。秋津はトンボの古称である。『古事記』によれば、イザナギ、イザナミの二柱の神は男女の交わりをして、大八島を構成する島々を生み出した。その島の一つ本州が大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま)と記され、転じて日本全体の異名となった。「秋に成ると稲の豊作を象徴するトンボが出(いずる)島」→「秋津嶋」ともいわれている。四季に恵まれ、自然の秩序に順応して、神秘を感じ、畏れを抱いて生きる風土で、人々は自然を崇拝し、多神教的アニミズム信仰を生んだ。一方、仏教が伝来したのは飛鳥時代、552年とされ、当初は「皇族・貴族」のための宗教だったが、鎌倉時代以後、民衆にも受け入れられた。現代信者数は8690万(統計局HP-第六十四回日本統計年鑑){注2}とされている。(S・I)
注1 「鳥雲に入る」:春の季語。春に北方に帰る渡り鳥が、雲間はるかに見えなくなること。               『歳時記』
注2 この数は現実を反映していない。国民の多くは宗教儀礼には参加するが、宗教を問われ      て、無宗教と答える。


      (参考)(鹿取)
   なお思想なきに非(あら)ざるを以て「非非想」、または「非無想」という。
   非有想なるが為に外道(仏教以外)は、この天処を以て真の涅槃処とし、非
   無想なるが為に内道を説く仏教においては、なお、これを生死の境とする。
      (『倶舎論』)


     (当日意見)
★世親という人が作ったインドの仏教書に『倶舎論(くしゃろん)』というのがありま
 す。そこで三界(無色界・色界・欲界)の内、最上の場所である無色界の最高天を有
 頂天または、「非想非非想天」と言うとあります。それで(参考)にあげましたよう
 に仏教以外では「非想非非想天」を悟りと考えるのですが、仏教では「非想非非想」
 というのはほぼあらゆる煩悩を捨て去る事に成功しているが、まだちょっとだけ残っ
 ていて完全ではない状態を指すそうで、輪廻のうちにあると考えるようですこの一
 連の題は「非想非非想」ですから、この歌は作者にとって一連の中でも特に大切な 
 歌なのだと思います。私も大好きな歌です。(鹿取)
★レポーターは「非想非非想鳥」と一つの名詞として解釈されましたが、私は「非想非
 非想」と「鳥雲に入る」は別の言葉だと思います。私はこの歌大好きですが、「秋津
 島」と結句の春の季語が秋と春ですからかすかに衝突するような気がして少し気にな
 ります。でも、「日本」とか言ったら全然この大きなスケール感は出ないし、固有名
 詞だからこだわる方がおかしいかもしれません。一首は「秋津島にはゴータマ・ブッ
 ダはいないけれど、〈われ〉は「非想」とか「非非想」とか時折考えてみることもあ
 るけど、空高く渡り鳥が雲間に消えてゆくのがみえるよ」と憧れの気分で空を見上げ
 ている歌かなあと思います。(鹿取)
★S・Iさん、鹿取さん、両方の意見に納得できると思いました。「非想非非想」でも
 「非想非非想鳥」でもそんなに違わないように思います。「鳥雲に入る」は春の季語
 だけど、短歌なんだからいいんじゃないですか、自由に使って。神道というのはほと
 んど思想がないんですよね。それに思想がある仏教と対比でやったんだろうから、秋
 津島というしかないんじゃないですか。(うてな)
★うてなさん、いいこと言ってくれて助かりました。私に思いこみがありましたよね。
 確かに鳥だって「非想非非想」ってあるかもしれないですからね。人間だけ もの考え
 るって傲慢かもしれないですね。あとは、S・Iさんは哲学科で西洋哲学を熟知されて
 いるのですが、私は国文科ですが、サークルでちょっとだけ東洋哲学を囓って『倶舎
 論』なども読んだので、そういう見解の相違が出てきて面白く思いました。(鹿取)



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