1/24の企画でお世話になっているハンセン病問題ネットワーク泉北関係の情報です。
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■引き裂かれた思いを歌に~ハンセン病回復者の家族の体験談から学ぶ
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◇「語りと歌」(体験談)黄光男さん(演奏)ドランカーズ(黄さんが参加するバンド)
◇ハンセン病問題解説(ハンセン病問題を考えるネットワーク泉北)
◇ビデオ「ハンセン病回復者は現在」上映
黄光男(ファン・カンナム)さんは1歳のときに母と姉がハンセン病を発病し療養所に隔離され、本人も福祉施設で育ちました。隔離政策によって引き裂かれたハンセン病患者(回復者)とその家族。黄さんはその経験から音楽によってハンセン病問題の理解と解決をめざす活動を始められました。当日は体験談をうかがい、歌も披露していただきます。
【日時】平成27年(2015年)1月24日(土)午後2時~4時
【場所】和泉市立人権文化センター(ゆう・ゆうプラザ)1階大会議室
【協力】ハンセン病問題を考えるネットワーク泉北
http://www.jinken-osaka.jp/2015/01/_1_77.html
http://www.pref.osaka.lg.jp/annai/moyo/detail.php?recid=12635
から転載
2014 年 度ハ ン セ ン 病 問 題 講 演 会
大阪にあった「外島保養院」の移転問題から考えよう~現在も続く排除と差別 障害者差別解消法の施行に向けて~
大阪においてハンセン病問題の府民啓発と回復者支援ネットワークづくりを目的に、支援活動に関わる関係諸団体で実行委員会を設立し、ハンセン病問題講演会の取り組みを始めて今年で11年目になります。
今回の講演会のテーマは、大阪にあった外島保養院の移転問題と2016年4月施行の障害者差別解消法です。
1909(明治42)年に開設したハンセン病療養所「外島保養院」は、現在の大阪市西淀川区にありました。そのことを知っている人は今ではほとんどいないのが現状です。
1934(昭和9)年の室戸台風で大阪湾一帯に4メートルを超える高波が押し寄せ、外島保養院は全壊・流失し、入所者173人が亡くなりました。
外島保養院は、反対運動によって大阪で再建することがかなわず、岡山県の長島に移転することになり、1938(昭和13)年に「光明園」として再建され、1941(昭和16)年、国立に移管されて「邑久光明園」となりました。
今年度のハンセン病問題講演会は、大阪市内にあったハンセン病療養所「外島保養院」の歴史を振り返る中で、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、病気や障害を理由として施設設置に反対する市民に、共に生きる社会の実現が大切であることを知ってもらうこと、そして2016年4月施行の障害者差別解消法を実効力あるものにし、差別禁止法制定の必要性を学ぶ場としたいと思います。
◆日時:2015年 2月14日(土)13:30~16:00(13時開場)
◆資料代:500円
◆会場 大阪市立阿倍野区民センター 2階 大ホール
(大阪市阿倍野区阿倍野筋4-19-118 )
◆手話通訳・要約筆記あり
(※点字資料が必要な方は事前にお申し込みください)
◆プログラム
□ 映画上映会 『もういいかい~ハンセン病と三つの法律~』より外島保養院について(30分)
□シンポジウム
【シンポジスト】
屋 猛司(邑久光明園入所者自治会会長)
宮良正吉(ハンセン病関西退所者原告団いちょうの会 会長)
三宅美千子(外島保養院の歴史をのこす会共同代表)
尾上浩二(障害者インターナショナル日本会議副議長)
【コーディネーター】
谷川雅彦(解放人権研究所所長)
主催 ハンセン病問題講演会実行委員会
共催 大阪府 大阪市 堺市
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=105609
(2014年9月25日 読売新聞)
ハンセン病「外島保養院」187人犠牲、悲劇繰り返さないために…