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活動日記(特定非営利活動法人ダッシュ)

大阪和泉で活動するNPO法人ダッシュの活動日記です。

■<映画>竹と人間の壮大な営みを浮き彫りにするロードムービー!

2013年01月29日 09時09分09秒 | ■お知らせ

映画の紹介です。

雪踏(信太表/しのだおもて)の材料でもあった竹皮を題材にした映画です。




◇◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  竹と人間の壮大な営みを浮き彫りにするロードムービー!
   ドキュメンタリー映画『タケヤネの里』大阪上映のご案内
    1/26(土)~2/8日(金)シアターセブンにて大阪初公開! 
   1/26(土) 13:10/18:00  (初日のみ1日2回上映)
     1/27(日)~2/8(金) 13:10(1日1回のみ上映)
<映画料金>当日のみ一般1,500円 専門・大学生1,300円 
中・高・シニア・会員1,000円  
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆

~ 日本中の山々に、この地球温暖化ではびこり、放置されて
 いる「竹」 その「皮」がこんなにも深い文化を作り出し、
 しかも世界につながっていたのか、と驚嘆した。~
        -鎌仲ひとみ(ドキュメンタリー映像作家)


『土徳-焼跡地に生かされて』の監督・青原さとしが、
『藝州かやぶき紀行』についで旅日記形式で構成する
              映像遊覧記シリーズ第二弾!

映像作家・青原さとしが、久しぶりに訪ねた旧知の友人・
前島美江さん。なんと 彼女は群馬県高崎市の伝統である
「竹皮編」の技を磨き、群馬県の伝統工芸師に までなっていた。

竹皮編とは竹の皮を使って、パン籠やペン皿などの工芸品を作る
技で、昭和初期、ドイツから亡命してきた建築家のブルーノ・
タウトが高崎周 辺に普及した技術であった。

元々江戸時代から続いてきた「南部表」の技を洋風に展開した
ものである。前島 さんはそれを継承し、群馬県ではたった一人
の伝承者となってしまった。

この竹 皮編の原材料である竹皮は、カシロダケという福岡県
八女市星野村、黒木町、うきは市にしか生えていない、全国
でもまれな竹の皮を使っている。美しく白い皮 が特徴的で、
江戸時代以前から包装用や高級雪駄、こっぽり、草履、本ばれん
など様々な生活用具に利用され、日本全国に出荷されてきた。
しかし竹皮、竹材の 需要の激減、竹林農家の人たちの高齢化
などに伴い衰退の途へと進んだ。

そして 2006年、この状況を打開しようと前島さんは、東京、
福岡などの都市生活者を呼びかけ、地元の人と一体となり
竹林保全のプロジェクト「かぐやひめ」を開始した!

映画はこの「かぐやひめ」の活動を追いながら、九州の山岳
地帯の竹皮をめぐる 知恵と暮らしを浮き彫りにしていく。
そして日光下駄・本ばれん&浮世絵師・羽箒など関東一円に
拡がる職人たちの、巧みな技、関西方面の竹皮商、履物屋を
めぐる流通の歴史、さらには竹皮にまつわるお茶道、身分制
社会のありようにまで踏み込んでいく。

音楽:石塚俊明(頭脳警察・シノラマ)
アドバイザー:飯塚俊男
配給:民族文化映像研究所
監督・撮影・語り:青原さとし

━━━━『タケヤネの里』公開記念特別イベント!!━━━━━━

1/26(土)13:10『タケヤネの里』 BOX?にて上映 
 青原さとし監督&前島美江(竹皮編作家)舞台挨拶 
 同日    18:00~20:05 『タケヤネの里』上映
20:05~21:00 前島美江の竹皮編ワークショップ
1/27(日)13:10『タケヤネの里』 BOX?にて上映  
青原さとし監督&前島美江(竹皮編作家)舞台挨拶
15:30 前島美江の竹皮編ワークショップ
   会場:長安寺 淀川区十三本町1-21-32 (シアターセブンより徒歩10分)
1/28(月)13:10『タケヤネの里』 BOX?にて上映
15:15~17:00 BOX?にて
トークショー  青原さとし&前島美江ほか(映画出演関係者交渉中)
前島美江の竹皮編ワークショップ  

※ワークショップについては、別途材料費500円が必要です。
当日『タケヤネの里』鑑賞者のみ参加可能で、定員に限りがありますので、
参加できない可能性もあります。また1/27は会場がお寺のため、
緊急で中止になる可能性もあります。詳細は、劇場までお問い合わせください。

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■劇場の情報
2013年1月26日(日)~2月8日(金)
1/26(土) 13:10/18:00  (初日のみ1日2回上映)
     1/27(日)~2/8(金) 13:10(1日1回のみ上映)
<映画料金>当日のみ一般1,500円 専門・大学生1,300円 
中・高・シニア・会員1,000円

淀川文化創造館・シアターセブン 
〒532-0024 
大阪市淀川区十三本町1-7-27 サンポードシティ5階 
TEL/FAX 06-4862-7733
http://www.theater-seven.com/

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『タケヤネの里』
  ◆公式サイト
    http://www31.ocn.ne.jp/~minneiken/takeyane/index.html
  ◆予告編
    http://www.youtube.com/watch?v=4HjEKBcO9ZQ
  ◆劇場情報
   http://www.theater-seven.com/

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◆お問い合わせ 民族文化映像研究所(中川)
e-mail:
tel: 03-6661-7161
http://www31.ocn.ne.jp/~minneiken/
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 ※ 配給:民映研とは・・・1976年創立(1960年代より活動)
   日本の基層文化を記録・研究する事を目指して出発
   した民間の研究所です。
   長い歴史の中で培われた自然との深い対応と共生の
   姿を「基層文化」と捉え、日本列島を軸に人々の
   生活を見つめることにより、明らかにしようとして
   きました。現在、40 年以上の活動から、多くの資料
   と共に119 本の映画作品と150 本余りのビデオ作品
   が生まれています。
   毎月定期上映会「アチック・フォーラム」開催。


■<映画>新潟・阿賀野川流域に暮らす人々の逞しい生命が描かれた傑作ドキュメンタリー

2013年01月28日 08時08分08秒 | ■お知らせ

映画情報です。




第七芸術劇場

http://www.nanagei.com

阪急十三駅


『阿賀に生きる ニュープリント版』(16㎜上映/115分)
1/26(土)より2/1(金)
10:20(終了時間は12:20)
2/2(土)より2/8(金)
11:55(終了時間は13:55)

 

 

映画「阿賀に生きる」

http://kasamafilm.com/aga/


新潟・阿賀野川流域に暮らす人々の逞しい生命が描かれた傑作ドキュメンタリー


20年前、カメラは未来を写していた

 

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ドキュメンタリー映画の常識を打ち破り、当時異例のロードショー公開を実現!
国産外のドキュメンタリー映画祭各賞を総なめした映画史に残る傑作が、いま未来を問いかける。


 『阿賀に生きる』はドキュメンタリー映画の開拓者、佐藤真の初監督作品です。1992年当時、映画館でドキュメンタリー映画がロードショーで上映されることがなかった時代、異例ともいえるロードショー公開がなされ、第24回スイス・ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭で銀賞ほか4賞受賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭優秀賞受賞、フランス・ベルフォール映画祭最優秀ドキュメンタリー賞、サンダンス・フィルム・フェスティバルIN TOKYOグランプリ受賞など、名だたるドキュメンタリー映画祭で最高賞を次々獲得。
 新潟水俣病という社会的なテーマを根底に据えながらも、そこからはみ出す人間の命の賛歌をまるごと収め、世界中に大きな感動を与えました。

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豊かな暮らしとは何か
 その答えがここにある

 映画の主役は3組の老夫婦。かつては鮭漁の名人で田んぼを守り続ける長谷川芳男さんとミヤエさん、200隻以上の川舟を造ってきた誇り高き舟大工・遠藤武さんとミキさん、餅つき職人で仲良し夫婦の加藤作ニさんとキソさん。佐藤監督ら7人のスタッフは、3年にわたり川の流域に住み込み、田植えを手伝い、酒を呑みかわし、阿賀の人々の暮らしに寄り添って撮影しました。
 生きる喜びに溢れた豊かな暮らしが映し撮られた生の記録は、全国から支持を得て1400人余りのカンパを集めて完成。日本全国で上映され、自らの人生と風土を見直す賛辞がうずまき一大ブームを巻き起こしました。
 封切から20年が経ち、この映画を未来に残したいと再び募金が集まりました。そして『阿賀に生きる』は時を超えて16ミリニュープリントで21世紀に甦ったのです。自然とともに生きる人間の力強さを描いた本作は、いま未来への一筋の光を指し示すでしょう。


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新潟水俣病

1956年に熊本で公式認定された水俣病は、チッソ株式会社が有毒な工場廃水を不知火海にたれ流し、環境汚染と食物連鎖を経て引き起こされた人類史上最大の公害事件と言われています。
さらに1965年、昭和電工が新潟県の阿賀野川流域で新潟水俣病を引き起こしました。自然の恩恵を受けて生きてきたが故に被害を受けてしまった阿賀の人々は、それでも変わらず川とともに生きています。
そして水俣病事件はいまも解決せず続いているのです。

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物語

 新潟県の大河である阿賀野川。監督を始めとする7人のスタッフがその川筋に住み込み、そこに暮らす人々を3年間にわたって撮影した。
 山間の鹿瀬(かのせ)町に住む長谷川芳男・ミヤエさん夫婦は先祖代々田んぼを守り続けている。阿賀野川に浮かぶ舟の大半―200隻以上の川舟を造った大工・遠藤武さんとそれを見守る妻ミキさん、名人と呼ばれる餅つき職人・加藤作二さんとその妻キソさんら3組の夫婦の日常をカメラが追い続ける。
 長谷川さん夫婦は雨の日も稲を刈る。元船頭の帆苅周弥さんが阿賀野川に吹く風の話を語る。その帆苅さんが会長を務める「水俣病患者の会」の活動。鹿瀬町の夏祭り。長谷川さんがかつて行っていた鮭漁の自慢話。囲炉裏を囲んでの酒宴。季節の川魚や山の幸を前に、唄を歌い酔いどれ話しに花が咲く。舟作りをやめて5年もたつ遠藤さんの仕事場。新潟水俣病の裁判史上はじめて、労働者の立場から水銀垂れ流しの実態を証言した江花豊栄さんの話。やがて遠藤さんははじめて弟子を取って川舟造りを教えるようになり、また天正川の漁師たちが、長谷川さんの鉤釣り漁を再び行うという、夢の実現を手伝ってくれる。
 そしてまた春、長谷川さん夫婦は田植えの準備を始める。

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阿賀野川とは
 
阿賀野川は福島県・群馬県に源流を持ち、新潟県を流れて日本海に注ぐ日本有数の川。下流部の河川水流量は日本最大級と言われる。

 

 


■人との出会いから、 新たな自分発見の旅に・・・!

2013年01月25日 11時11分11秒 | ■活動日記

地域活動支援センターふれあいさんからの情報です。


 

 

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こころの健康ボランティアセミナー
~人との出会いから、
  新たな自分発見の旅に・・・!~
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 仕事や子育てから少し手が離れてできた自分の大切な時間を有効に使いたい・・・と思っているあなた!!ボランティアをはじめてみませんか?

 自分自身にも大いに関係ある心の病について学び、考えを深め、あなたのできることを発見し、共に歩みはじめてみませんか?


■2013/2/16(土)

(公開講座)
心の健康セミナー・映画「ふるさとをください」

美しい自然と優しい心にあふれる和歌山でのロケーションがハートフルな映像となって見る人の心を癒してくれます

 


■1回目2013/3/9(土)

講演と当事者の体験談
・「精神保健福祉の昨日・今日・明日」
・「病と生きる私の生活」

(講師)大阪府こころの健康総合センター職員青木真人さん
当事者

■2回目2013/3/11(月)~15(金)

ボランティア体験

精神障がい者社会復帰施設(作業所・支援センター)体験・見学
※連続ではありません。日程と関心のある施設を調整します。

■3回目2013/3/16(土)

講座振り返り・交流会~ボランティア活動の実際から~

ファシリテーター(主催者)ハートandハート(ボランティアグループ)
場所:和泉市コミュニティセンター4階視聴覚室
時間:午後2時~4時
定員:20名(参加費は無料です)

問い合わせ・申し込み地域活動支援センターふれあい(日・木・祝祭日休み)
TEL・FAX0725-40-1827(10時~18時)

主催:地域活動支援センターふれあい
協力:精神保健福祉ボランティアグループハートandハート、いずみひのき製作所

 

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映画「ふるさとをください」
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http://www.kyosaren.or.jp/furusato/


▼あらすじ

 片倉千草は大学院を出て県庁に就職。父の雄二郎は小売店を営み、地域の世話役として活躍。母の邦子は父を支え、弟の健太はサッカー好きの高校生。

 その頃、町に障害のある人たちが集団で引越して来て、クリーニングとパン製造の共同作業所を始めたという…。町の人々は警戒の目を光らせ、町内会役員の父も、まとめ役として反対運動の先頭に立つ。

 そんな折、千草は、共同作業所の若い職員である内藤明彦と知り合う。彼の案内で、初めて障害のある人たちの働く姿に接し、共感する千草。一生懸命な千草だが、反対運動を進める雄二郎の態度は、あくまでも頑なである。

 千草は明彦に頼まれ、共同作業所の住民への説明会開催に向けて、呼びかけに協力する。ようやく開催された説明会で、町会役員に「何か事件が起きたら誰が責任を取る?」と詰め寄られた作業所の所長は、「私が全責任を取ります」と応え、「あんたはここの住民ではない。何か起きたら逃げるんだろう」という声には、「逃げません。住民票をこの町に移しました」と明言する。これで住民たちもひとまず矛を収めるのだが、説明会には反対派の一部が差し向けた妨害が入り、大混乱してしまう。力を落とす千草を励ます明彦。二人の間に恋心が芽生え始める…。

 一方、作業所では、メンバーの中に一つのカップルが生まれていた。精神病院での長い入院生活から抜け出て、落ち着いて働き、将来を夢見る二人だが、結婚は双方の親たちから大反対される。二人を応援し、ゴールインさせたいと願う明彦。話を聞いた千草も、二人の生きる意欲に感動し、明彦と共に懸命に応援する。

 そんな中、千草との交際の許しを得るため片倉家を訪ねた明彦は、雄二郎から剣もほろろの扱いを受ける。父と娘の対立は決定的になって…。

 作業所の二人の結婚式当日は、反対派の集会の日でもあった。雄二郎は集会に、そして千草は結婚式に…。果たして結婚式は無事に成功するのか?父と娘の対立劇の行方は?


<ドラマの名人>脚本:ジェームス三木(’96大河ドラマ「八代将軍吉宗」’85連続テレビ小説「澤つくし」)
<映画音楽の魔術師>音楽:小六禮次郎(’06大河ドラマ「功名が辻」’02連続テレビ小説「さくら」))
監督:冨永憲治


■映像を通じて答えを探す旅を(森谷博氏)

2013年01月14日 14時14分14秒 | ■お知らせ

映画「TOKYOアイヌ」監督の森谷博さんのインタヴュー記事紹介です。

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http://companyshift.com/

http://companyshift.com/?p=483

カンパニーシフト

【第23回】映像を通じて答えを探す旅を(森谷博氏)

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■映画「TOKYOアイヌ」
(+特別ゲスト:ミナミナの会)
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この映画には、いままで聴くことのなかった隣人としてのアイヌの声が満ちている。


<日時>2013年(平成25年)1月19日(土)
10:30-12:30(上映)
13:30-14:00(お話)
14:00-16:00(上映)
16:00-16:30(お話)
※申し込み不要、参加無料です。

<話し手>藤戸裕子(ふじと・ひろこ)さん/ミナミナの会(ミナミナはアイヌ語でニコニコという意味で、アイヌ民族の文化、伝統を笑顔で楽しみながら学ぶ活動をされています。当日は体験談や文化紹介をしていただきます。)

ミナミナの会
http://ameblo.jp/hihihi-ainu/


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場所:ゆう・ゆうプラザ(和泉市立人権文化センター)4F視聴覚教室
(電話)0725-44-0030
大阪府和泉市伯太町6-1-20
→JR阪和線信太山駅から200M
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→内容詳細は特定非営利活動法人ダッシュまでお問い合わせください。
WEB:http://dash-npo.org
電話:0725-46-3809
Eメール:infoアットdash-npo.org
※「アット」を「@」にして送信してください。

 

 

■ドキュメンタリー映画「TOKYOアイヌ」

監督・撮影・編集:森谷博
2010年度 カラー 16:9 114分

「TOKYOアイヌ」映像製作委員会


http://www.2kamuymintara.com/film/

https://twitter.com/tokyoainu

http://www.facebook.com/TokyoAinu


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生活の海、首都圏。

ここに暮らす五千人とも一万人ともいわれるアイヌ民族。

どこにいようと自らの民族を生きることは、日本人を含め、あらゆる民族に共通の課題としてある。

だが、日本の近代化はアイヌがアイヌとして生きることを許してこなかった。

その苦難の道を選びとった首都圏アイヌの声がいま初めて発せられる。

2008年6月、国会はアイヌ民族を日本の先住民族と認定した。

だが、その意味を受け止める人々はまだ少ない。

この映画は首都圏アイヌの声を通して、その事実のふくらみを、この時代を生きる隣人どうしが、真正面から受け止め会うために、世に送り出された。

 

 

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◇フチのひと言で、この映画は始まった

「アイヌの映画を作って! 私たちの声を残してほしい!」

 首都圏に暮らす五千人とも一万人ともいわれるアイヌたち。その一人のアイヌのフチ(おばあさんの尊称)の一言が、すべての始まりでした。

 1872年、現在の東京都港区芝に「北海道土人教育所」ができ、38名のアイヌが強制的に連れてこられました。それから130年あまり。経済的な事情、また差別といったさまざまな理由から、多くのアイヌの人々が北海道から首都圏に移り住みました。
 新たな困難の中でアイヌであることに背を向け懸命に生きてきた人々の中から、1970年代に「ウタリ(仲間)よ、手をつなごう」という新聞投書をきっかけに、首都圏アイヌの活動母体「東京ウタリ会」が誕生します。

 活動は80年代の揺籃期を経て、90年代にはアイヌ料理店「レラ・チセ」ができるなど躍動期に入ります。21世紀に入り、アイヌの若者で結成されたアーティスト・グループ「アイヌ・レブルズ」など、次世代のアイヌも活躍を始めました。(注:「レラ・チセ」は2009年11月に閉店となりました。)

 北海道の山野を駆け巡り自然との深い共感をはぐくんだ長老たちの記憶を今にとどめ、21世紀を生きるアイヌの身体と声を映像に残したい、現在を生きるアイヌの心に向き合い、未来へのアイヌの想いを紡いでほしい・・・。

 フチの言葉を受け、映像製作委員会が活動を開始する中で、この映画を撮るにふさわしい監督との出会いがあり、映画は2007年春から撮影を開始。

 千葉県君津市で「カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)」と名づけたアイヌ文化の伝承施設を独力で造っている浦川治造さんの撮影からスタートし、当初は映画の仮題を「アイヌの治造」としました。

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◇映画のめざすもの

 撮影を進める中、映像製作委員会内でも、ウコチャランケ(互いにとことん話し合うというアイヌ語)が何度も行われました。その結果、首都圏アイヌコミュニティー全体に取材対象を広げることになり、映画の題名も「TOKYOアイヌ」と決定しました。

 この映画は、首都圏に暮らすアイヌの方々のインタビューを軸に、その合間合間にアイヌとしての活動、あるいはひとりの個人としての日常の営みをはさみ、今を生きる「TOKYO アイヌ」という民族コミュニティーの等身大の姿を追っています。

 首都圏のアイヌの活動の歴史を踏まえ、現在の一人一人の想いがどのような歴史を背景にしているのか、また既に亡くなった人々の想いを、どのように今を生きるアイヌが引き継いでいるのかも描かれています。

 首都圏アイヌの活動の歴史、それはアイヌ伝統社会から離れた都市生活の中で、一人ひとりのアイヌが民族の記憶を受け継ぎながら、新しいアイデンティティを模索した歴史でもあります。映画は、アイヌであり続けようとしてきた一人ひとりの心にしまい込まれていた物語によって編み込まれる一枚のタペストリーとして完成されました。
 その織物に向き合い、目と耳を澄ます。

 そのことは、私たち日本人が多文化社会を、これからどう生きるかを模索する大切な契機となるはずです。

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◇百年の回廊を吹く、追い風の中で

 アイヌ民族は縄文文化を受け継ぐ人々ですが、日本の書物に登場するのは、7~8世紀頃からです。朝廷から武家の頭領に与えられる征夷大将軍という呼称の“夷”とは、時の権力にまつろわぬ北方の人々、主にアイヌを指すことばなのです。北前船でにぎわう江戸時代には、アイヌの男は労働力として酷使され女たちはさらわれて、崩壊していった家族やコミュニティーの例もたくさん記録されています。

 蝦夷というこれまでの呼称を改め、北海道と命名されたのは明治2年。政府直轄の開拓使が置かれた年のことです。この広大な北の大地は、新生明治政府の財政基盤を賄うフロンティア=内国植民地とされ、殖産興業で西欧列強と肩を並べるため、森林、農水産、鉱物などの資源供給地として開発が求められたのです。

 そのため明治政府は、アイヌたちが暮す大地を「無主地」と勝手に断定し一方的にとりあげました。それを和人たちに払い下げ、残った広大な国有地の中からわずかな土地を「旧土人給与地」という名前で「温情的に」アイヌたちに分け与えるという施策をとったのです。

 それまで、狩猟採集で暮らしていたアイヌたちは狩猟地を奪われ、コタン(集落)から追いやられました。主食だったサケやシカを捕ることも禁止され、祭祀風俗も禁じられました。しかし、同化への嵐が吹き荒れるなかで、翻弄され疲弊を余儀なくされる時間に耐えながら、アイヌ民族は民族としての歴史を持ち続けてきました。
 明治政府の苛酷なアイヌ同化政策は私たちの想像に余りますが、維新政府が米は野蛮だからパンにしようと稲作禁止令を出したと仮定してみてはどうでしょう?
 そうであったとしたら、日本文化はいま頃どうなっていたでしょう?

 明治32(1899年)年公布の「北海道旧土人保護法」がやっと廃止されたのが1997年。替わりの「アイヌ文化振興法」は文化振興のみを目的とし、困窮の淵に追いやられてきたアイヌの生活権の復権にはほど遠いものでした。また1970年代からの道内アイヌの生活格差是正のため施行されたウタリ福祉対策も、首都圏のアイヌはずっと対象外という状況だったのです。

 しかし、ここにきて、社会の流れが大きく変化してきました。
 2007年9月、国連で「先住民族の権利宣言」が採択。
 これを受けて2008年6月「アイヌ民族を先住民族として認め、関連する政策を推進するよう政府に求める決議」が国会で採決されました。他の先進国に大きく遅れながらも、わが国でも先住民族施策への準備が始まっています。こうした国内外の歴史的な動きに呼応しながら、首都圏アイヌは活発な活動を続け、街頭署名活動や首都圏4団体合同で開催された「アイヌ文化祭」など、カメラはその動きを追い続け、2010年8月、3年半の月日をかけて、ようやく完成いたしました。


■映画「もういいかい」/ハンセン病回復者と家族・遺族、ハンセン病問題の核心に迫る

2013年01月14日 14時14分14秒 | ■お知らせ

ハンセン病問題の企画情報です。

 

 

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■映画「もういいかい」上映とハンセン病回復者、監督のお話
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<日時>
2013年(平成25)年1月26日(土)
10:00-12:30 上映
13:30-17:00 証言者(回復者)・監督のお話と上映
(PM01:00-05:00)
※午後の映画上映は14:30からの予定ですが、講演の状況により多少前後します。

<話し手>
○宮良正吉(みやら・せいきち)さん/証言者、ハンセン病関西退所者原告団いちょうの会
○高橋一郎(たかはし・いちろう)さん/監督

<申込>不要です。(参加無料)

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場所:ゆう・ゆうプラザ(和泉市立人権文化センター)1F大会議室
(電話)0725-44-0030
大阪府和泉市伯太町6-1-20
→JR阪和線信太山(しのだやま)駅から200M
--------------------
→内容詳細は特定非営利活動法人ダッシュまでお問い合わせください。
WEB:http://dash-npo.org
電話:0725-46-3809
Eメール:infoアットdash-npo.org
※「アット」を「@」にして送信してください。


映画製作委員会サイト

http://slowcom.fc2web.com

http://slowcom.fc2web.com/hansen1.html

 

 

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http://www.pref.osaka.jp/hodo/index.php?site=fumin&pageId=12108


http://www.pref.osaka.jp/hodo/attach/hodo-12108_4.pdf


http://www.pref.osaka.jp/annai/moyo/detail.php?recid=9699

 

ハンセン病講演会を開催します。

内容
 かつて、我が国においては、「らい予防法」(平成8年廃止)のもと、「無らい県運動」が盛んに行われる中、患者、そして患者が強制収容されたあとに残された家族が受けた差別は深刻なものでした。
 そうしたことから、平成21年4月施行の「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」(通称:ハンセン病問題基本法)では、ハンセン病問題を「国によるハンセン病患者に対する隔離政策に起因して生じた問題であって、ハンセン病の患者であった者等の福祉の増進、名誉の回復等に関し現在もなお存在するもの」と規定しています。
 しかし、これまで、家族の受けた被害の内容が語られることはほとんどなく、ハンセン病回復者にとって家族・親族の問題は、現在もなお、解決できない課題として存在しています。
 このたび、ハンセン病問題に関する啓発を目的として、いま、ハンセン病回復者と家族は何に悩み、どう考えているか、などについて、ハンセン病療養所のケースワーカー、社会学の観点からハンセン病問題に携わっている研究者、回復者の家族それぞれの立場から発言するシンポジウム、鳥取裁判(遺族が起こした初めての国家賠償請求訴訟)についての報告、ハンセン病回復者が作った詩を歌うシンガーソングライターによるミニライブを下記のとおり行いますので、ぜひ、ご参加ください。



1 日 時 平成25年2月16日(土曜日)13時30分から16時30分
2 ところ 大阪市立阿倍野区民センター 2階 大ホール
      (住所:大阪市阿倍野区阿倍野筋4-19-118)
3 内 容 (テーマ)ハンセン病回復者と家族・遺族、ハンセン病問題の核心に迫る
   (ハンセン病回復者は家族を気づかい、家族はどんな思いを抱いて生きてきたか) 
    ○ハンセン病問題に関するシンポジウム・講演
    ○沢 知恵さん(シンガーソングライター)によるミニライブ
4 申込み 不要(定員600人)
5 入場の際に資料代として500円をいただきます
6 主 催 2012年度 ハンセン病問題講演会実行委員会、大阪府、大阪市、堺市
7 問い合わせ先 「ハンセン病問題講演会実行委員会」事務局(ハンセン病回復者支援センター)
  電話 06-6711-0003
  ファックス 06-6711-0012
  メールアドレス kuwayamaアットhumind.or.jp


■YOU・優・ロビーフェスティバル

2013年01月13日 13時13分13秒 | ■活動日記

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■YOU・優・ロビーフェスティバル
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<日時>2013年1月27日(日)11:00~
<場所>和泉市立人権文化センター1F大会議室

※参加無料、どなたでも参加可能です。

☆登録団体の模擬店
 
☆話題提供(ゲスト講演会)

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「であい」と「つながり」のまちづくり(仮題)
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ゲスト:NPO法人暮らしづくりネットワーク北芝

 

 YOU・優・ロビーは人権問題や「まちづくり」などに取り組む団体に利用されています。このフェスティバルは利用団体、個人が交流を深めるためにおこなっています。

 今年はゲストに暮らしづくりネットワーク北芝のメンバーをお呼びします。コミュニティカフェ、こどものたまりば駄菓子屋、青空市、地域通貨、公共施設の委託運営などの実践紹介をしてもらいます。

 「誰もが安心して暮らせるまちをつくりたい」という地域の人々の想いを共有し、知恵を出し合う「暮らしづくり」の協働活動について学んでみませんか。


★2013年、今年もよろしくお願いします。

2013年01月07日 07時07分07秒 | ■活動日記

年始休暇があけ、事業が始まりました。
本年もよろしくお願いします。


2013年1月4日
特定非営利活動法人ダッシュスタッフ一同


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1月以降もさまざまな企画を準備しています。
ご来場ください。

事業ご案内頁

http://blog.goo.ne.jp/dashxletter


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■映画「TOKYOアイヌ」
(+特別ゲスト:ミナミナの会)
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この映画には、いままで聴くことのなかった隣人としてのアイヌの声が満ちている。


<日時>2013年(平成25年)1月19日(土)
10:30-12:30(上映)
13:30-14:00(お話)
14:00-16:00(上映)
16:00-16:30(お話)
※申し込み不要、参加無料です。

<話し手>藤戸裕子(ふじと・ひろこ)さん/ミナミナの会(ミナミナはアイヌ語でニコニコという意味で、アイヌ民族の文化、伝統を笑顔で楽しみながら学ぶ活動をされています。当日は体験談や文化紹介をしていただきます。)

ミナミナの会
http://ameblo.jp/hihihi-ainu/


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場所:ゆう・ゆうプラザ(和泉市立人権文化センター)4F視聴覚教室
(電話)0725-44-0030
大阪府和泉市伯太町6-1-20
→JR阪和線信太山駅から200M
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→内容詳細は特定非営利活動法人ダッシュまでお問い合わせください。
WEB:http://dash-npo.org
電話:0725-46-3809
Eメール:infoアットdash-npo.org
※「アット」を「@」にして送信してください。

 

 

■ドキュメンタリー映画「TOKYOアイヌ」

監督・撮影・編集:森谷博
2010年度 カラー 16:9 114分

「TOKYOアイヌ」映像製作委員会
http://www.2kamuymintara.com/film/
より転載

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生活の海、首都圏。

ここに暮らす五千人とも一万人ともいわれるアイヌ民族。

どこにいようと自らの民族を生きることは、日本人を含め、あらゆる民族に共通の課題としてある。

だが、日本の近代化はアイヌがアイヌとして生きることを許してこなかった。

その苦難の道を選びとった首都圏アイヌの声がいま初めて発せられる。

2008年6月、国会はアイヌ民族を日本の先住民族と認定した。

だが、その意味を受け止める人々はまだ少ない。

この映画は首都圏アイヌの声を通して、その事実のふくらみを、この時代を生きる隣人どうしが、真正面から受け止め会うために、世に送り出された。

 

 

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◇フチのひと言で、この映画は始まった

「アイヌの映画を作って! 私たちの声を残してほしい!」

 首都圏に暮らす五千人とも一万人ともいわれるアイヌたち。その一人のアイヌのフチ(おばあさんの尊称)の一言が、すべての始まりでした。

 1872年、現在の東京都港区芝に「北海道土人教育所」ができ、38名のアイヌが強制的に連れてこられました。それから130年あまり。経済的な事情、また差別といったさまざまな理由から、多くのアイヌの人々が北海道から首都圏に移り住みました。
 新たな困難の中でアイヌであることに背を向け懸命に生きてきた人々の中から、1970年代に「ウタリ(仲間)よ、手をつなごう」という新聞投書をきっかけに、首都圏アイヌの活動母体「東京ウタリ会」が誕生します。

 活動は80年代の揺籃期を経て、90年代にはアイヌ料理店「レラ・チセ」ができるなど躍動期に入ります。21世紀に入り、アイヌの若者で結成されたアーティスト・グループ「アイヌ・レブルズ」など、次世代のアイヌも活躍を始めました。(注:「レラ・チセ」は2009年11月に閉店となりました。)

 北海道の山野を駆け巡り自然との深い共感をはぐくんだ長老たちの記憶を今にとどめ、21世紀を生きるアイヌの身体と声を映像に残したい、現在を生きるアイヌの心に向き合い、未来へのアイヌの想いを紡いでほしい・・・。

 フチの言葉を受け、映像製作委員会が活動を開始する中で、この映画を撮るにふさわしい監督との出会いがあり、映画は2007年春から撮影を開始。

 千葉県君津市で「カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)」と名づけたアイヌ文化の伝承施設を独力で造っている浦川治造さんの撮影からスタートし、当初は映画の仮題を「アイヌの治造」としました。

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◇映画のめざすもの

 撮影を進める中、映像製作委員会内でも、ウコチャランケ(互いにとことん話し合うというアイヌ語)が何度も行われました。その結果、首都圏アイヌコミュニティー全体に取材対象を広げることになり、映画の題名も「TOKYOアイヌ」と決定しました。

 この映画は、首都圏に暮らすアイヌの方々のインタビューを軸に、その合間合間にアイヌとしての活動、あるいはひとりの個人としての日常の営みをはさみ、今を生きる「TOKYO アイヌ」という民族コミュニティーの等身大の姿を追っています。

 首都圏のアイヌの活動の歴史を踏まえ、現在の一人一人の想いがどのような歴史を背景にしているのか、また既に亡くなった人々の想いを、どのように今を生きるアイヌが引き継いでいるのかも描かれています。

 首都圏アイヌの活動の歴史、それはアイヌ伝統社会から離れた都市生活の中で、一人ひとりのアイヌが民族の記憶を受け継ぎながら、新しいアイデンティティを模索した歴史でもあります。映画は、アイヌであり続けようとしてきた一人ひとりの心にしまい込まれていた物語によって編み込まれる一枚のタペストリーとして完成されました。
 その織物に向き合い、目と耳を澄ます。

 そのことは、私たち日本人が多文化社会を、これからどう生きるかを模索する大切な契機となるはずです。

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◇百年の回廊を吹く、追い風の中で

 アイヌ民族は縄文文化を受け継ぐ人々ですが、日本の書物に登場するのは、7~8世紀頃からです。朝廷から武家の頭領に与えられる征夷大将軍という呼称の“夷”とは、時の権力にまつろわぬ北方の人々、主にアイヌを指すことばなのです。北前船でにぎわう江戸時代には、アイヌの男は労働力として酷使され女たちはさらわれて、崩壊していった家族やコミュニティーの例もたくさん記録されています。

 蝦夷というこれまでの呼称を改め、北海道と命名されたのは明治2年。政府直轄の開拓使が置かれた年のことです。この広大な北の大地は、新生明治政府の財政基盤を賄うフロンティア=内国植民地とされ、殖産興業で西欧列強と肩を並べるため、森林、農水産、鉱物などの資源供給地として開発が求められたのです。

 そのため明治政府は、アイヌたちが暮す大地を「無主地」と勝手に断定し一方的にとりあげました。それを和人たちに払い下げ、残った広大な国有地の中からわずかな土地を「旧土人給与地」という名前で「温情的に」アイヌたちに分け与えるという施策をとったのです。

 それまで、狩猟採集で暮らしていたアイヌたちは狩猟地を奪われ、コタン(集落)から追いやられました。主食だったサケやシカを捕ることも禁止され、祭祀風俗も禁じられました。しかし、同化への嵐が吹き荒れるなかで、翻弄され疲弊を余儀なくされる時間に耐えながら、アイヌ民族は民族としての歴史を持ち続けてきました。
 明治政府の苛酷なアイヌ同化政策は私たちの想像に余りますが、維新政府が米は野蛮だからパンにしようと稲作禁止令を出したと仮定してみてはどうでしょう?
 そうであったとしたら、日本文化はいま頃どうなっていたでしょう?

 明治32(1899年)年公布の「北海道旧土人保護法」がやっと廃止されたのが1997年。替わりの「アイヌ文化振興法」は文化振興のみを目的とし、困窮の淵に追いやられてきたアイヌの生活権の復権にはほど遠いものでした。また1970年代からの道内アイヌの生活格差是正のため施行されたウタリ福祉対策も、首都圏のアイヌはずっと対象外という状況だったのです。

 しかし、ここにきて、社会の流れが大きく変化してきました。
 2007年9月、国連で「先住民族の権利宣言」が採択。
 これを受けて2008年6月「アイヌ民族を先住民族として認め、関連する政策を推進するよう政府に求める決議」が国会で採決されました。他の先進国に大きく遅れながらも、わが国でも先住民族施策への準備が始まっています。こうした国内外の歴史的な動きに呼応しながら、首都圏アイヌは活発な活動を続け、街頭署名活動や首都圏4団体合同で開催された「アイヌ文化祭」など、カメラはその動きを追い続け、2010年8月、3年半の月日をかけて、ようやく完成いたしました。

 

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ガラス工房”邦”さんの作品展があります。

 

2013年1月26日(土)・27日(日)
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ガラス工房”邦”作品展
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花のない季節ですが、会場内は花満開


会場 美手蝶(みてちょう)
午前10:00~午後4:00

岸和田市下松町1-10-11
TEL072-422-4620
→JR阪和線下松駅西出口より徒歩5分


ガラス工房”邦”
http://blog.livedoor.jp/garasukoubou_kuni/