新日本婦人の会の小組の一つ、憲法カフェで、戦争体験者がどんどん減っていく、島本の中での戦争体験の話を記録に残さなくては。との話が出て、思いつく人たちにあたってみて話を採取しよう、という取り組みを始めました。
兵士として戦争にいった経験を持つ年配の男性に、話を聞かせてほしいと頼んだら、この年になって、あんな経験を思い出すのは辛すぎて耐えられないので、意義はわかるが堪忍してほしい。と言われ、その過酷さが思いやられる、ということもありました。学童で親戚に疎開をしていた人、親の仕事で住んでいた北朝鮮で生まれ、厳しい引き上げ体験をした人、など、いくつかの貴重な話を録音できたので、ぜひこれを皆さんに聞いてもらおう、と、8月19日ふれあいセンターの部屋を借りて、発表の場を設けました。
当日は、あの戦争は、庶民にとっては、知らないうちに戦争がはじまり、国民みんなが巻き込まれ、反対などと言えない状態になってしまっていた。という当時の大人たちの言葉から、「戦争体験を聞こう」「いつのまにか、戦争ははじまっていた」と題して、様々な資料も展示することにしました。
自公維新が国会で強行採決した、共謀罪が、戦争を推し進めるのに利用された治安維持法が作られた時と、まったく同じ説明がされていたことを示す、当時の新聞記事。島本の楠公公園が戦意高揚に利用された重要な場所だったことを示す写真。原爆パネル。など、手を尽くしてお借りしたり、作ったり、工夫しました。
参加してくださった方は、熱心に話に聞き入り、展示資料を見てくださっていました。
こんな企画うまくいくのかと、不安をかかえながら準備を進め、集会を開いたスタッフはホッと胸をなでおろし、終わったとたんに、「なんとかできてしまったね!」とお互いに声を掛け合いました。
兵士として戦争にいった経験を持つ年配の男性に、話を聞かせてほしいと頼んだら、この年になって、あんな経験を思い出すのは辛すぎて耐えられないので、意義はわかるが堪忍してほしい。と言われ、その過酷さが思いやられる、ということもありました。学童で親戚に疎開をしていた人、親の仕事で住んでいた北朝鮮で生まれ、厳しい引き上げ体験をした人、など、いくつかの貴重な話を録音できたので、ぜひこれを皆さんに聞いてもらおう、と、8月19日ふれあいセンターの部屋を借りて、発表の場を設けました。
当日は、あの戦争は、庶民にとっては、知らないうちに戦争がはじまり、国民みんなが巻き込まれ、反対などと言えない状態になってしまっていた。という当時の大人たちの言葉から、「戦争体験を聞こう」「いつのまにか、戦争ははじまっていた」と題して、様々な資料も展示することにしました。
自公維新が国会で強行採決した、共謀罪が、戦争を推し進めるのに利用された治安維持法が作られた時と、まったく同じ説明がされていたことを示す、当時の新聞記事。島本の楠公公園が戦意高揚に利用された重要な場所だったことを示す写真。原爆パネル。など、手を尽くしてお借りしたり、作ったり、工夫しました。
参加してくださった方は、熱心に話に聞き入り、展示資料を見てくださっていました。
こんな企画うまくいくのかと、不安をかかえながら準備を進め、集会を開いたスタッフはホッと胸をなでおろし、終わったとたんに、「なんとかできてしまったね!」とお互いに声を掛け合いました。