24日土曜日午後から後援会の集いを開きました。
宮原さんとはどんな人なのかを来た人みんなで知って、共産党と宮原さんに聞いてみたいこと何でも聞く会という、初めての試みでした。
5歳でお父さんを亡くし、お母さんが女手一人で頑張って宮原さんを育てた、貧しく、周囲からは高校進学さえ反対されたが、お母さんが勉強して人の役に立てと、後押しをしてくれた、という話しは聞いていました。でも亡くなったお父さんが何故亡くなったのかは、知らない、お母さんを傷つけそうで聞けなかった、もう聞いてもよいかという時に、お母さんが病を得て亡くなってしまった、ということ、
高校の時から、勉学の助けのために、お母さんは住み込みの仕事をしていて、それ以来亡くなるときまでお母さんと生活を共にすることはできなかった、
など、苦労してきた人とは知っていても、こんな辛さも越えてきた人だから、「だれも取り残さない」との言葉が自然に出てくるのだと改めて感じました。
「なんでも聞いてみよう」ではたくさんの質問に、丁寧にわかりやすく答えてもらいました。
時間いっぱい話しを聞いて、散会して、帰るとき「もっと聞いてみたいことがあった」と名残惜しそうに言っていく方もありました。
宮原さんとはどんな人なのかを来た人みんなで知って、共産党と宮原さんに聞いてみたいこと何でも聞く会という、初めての試みでした。
5歳でお父さんを亡くし、お母さんが女手一人で頑張って宮原さんを育てた、貧しく、周囲からは高校進学さえ反対されたが、お母さんが勉強して人の役に立てと、後押しをしてくれた、という話しは聞いていました。でも亡くなったお父さんが何故亡くなったのかは、知らない、お母さんを傷つけそうで聞けなかった、もう聞いてもよいかという時に、お母さんが病を得て亡くなってしまった、ということ、
高校の時から、勉学の助けのために、お母さんは住み込みの仕事をしていて、それ以来亡くなるときまでお母さんと生活を共にすることはできなかった、
など、苦労してきた人とは知っていても、こんな辛さも越えてきた人だから、「だれも取り残さない」との言葉が自然に出てくるのだと改めて感じました。
「なんでも聞いてみよう」ではたくさんの質問に、丁寧にわかりやすく答えてもらいました。
時間いっぱい話しを聞いて、散会して、帰るとき「もっと聞いてみたいことがあった」と名残惜しそうに言っていく方もありました。