今朝、通りがかりに見た桜はまだ五分咲き程度のほころびだった。にも拘わらず、恐らくもっとも最初に花を開かせた枝の先のほうから順に、はらはらと散りはじめていた。一方で花は順繰りに開いてゆき、開いてゆくそばから花は零れ去ってゆく。
その姿は時間の流れを引っかき回すかのごとくに異様で、わたしの知っている桜の咲きざまとは程遠かった。私は背中に鳥肌の立つのを感じたが、多分それは花冷えのせいではなかろう。
桜はその樹皮から枝の先まで、桜色の樹液をみっしりと溜め込んで、それが飽和したときにようやく花をほころばせる。そうして、1~2週間をかけて華やかなほの白い花弁に枝が包まれ終わるのを合図にするかのように、一斉に散り始める。
まるで熟した植物の種が弾けるのと同じように、飽和をした瞬間になにか別のものがそこから立ち現れるおどろきと愉しさが、人の目を自分より高いところへと向かわせる。逆に、世間を覆い尽くすのを待たずに入れ替わる、メディアの伝達するところの「流行」だとか、考えもしないうちから導き出される結論だとか、飽和もしないうちにはじまる次の展開に対して、人はきっと現実味や興味を抱けない。
冬が始まると木の葉が落ちて木々は寒々しく乾く。
2月も経つと、街を歩く人はみな厚手のコートを纏って、そのうち僅かばかりの人は霜焼けの足指を靴の中に隠している。
3月めになるとついこの間買ったばかりの冬用のタイツを既にひとつかふたつ破いてしまって、この冬を越せるかしらと心配する人もでてくる。丁度その頃、街じゅうを埋め尽くす冬がようやっと飽和して、代わりに「もうこれ以上冬は要らないよう」という人々の心の声が膨らんでくる。その声が大きくなって天に届こうかというときに、春がすたすたと遠くからやってくる。
春はすたすたと口笛を吹きながらやってくる。
口笛は道端の埃を舞い上げ、木々の枝を強風で揺する。
春がその指先で触れたところに、桜の花がぽろぽろと咲きはじめる。
うろうろと散歩を続ける春の後ろには、つつじやら雪柳やらがその足跡をなぞるように眩しい花を開かせる。
そのうち空が春の遅い帰還に痺れを切らして、雨が春を呼び戻しにやってくる。
あるいは、そうでもないのか・・
今の私には、気になるところではあります。
まあ、またいつか咲くこともあるでしょう。
春はあったかいものを連れてやってきてくれましたか?
東京の桜を楽しめるのも今週末までかしら。
でも、八重桜もあるから、もう暫く春気分を楽しめるね。
北への出張で、桜を追いかけるのも悪くないかも。
・・・そんな暇ないか・・・
>葵木くん
散らない花は、そこそこ程度にしかきれいじゃない。
散ってしまうかもしれないから、花はとってもきれい。
根っこが生きていれば、そのうちまた咲く。
きちんとしたケアさえしてあげればね。