理枝子さん親子と別れ、再び新幹線に(やはり強風のため20分遅れ・・・)乗り込んで「福島駅」へ。
大震災前ならば、今回の目的地、常磐線の「原町駅」には「上野駅」から直行。または「仙台駅」からも直行だったのですが、常磐線が未だ寸断されているために、「福島駅」から山を越えて約2時間のルートを辿るのです!
しかも、一日に4本しかないという直通バス。
午後3時に「福島駅」に到着し3時半のバスに乗り込みました!
福島市内を抜け、「川俣町」を通り八木沢峠を越えて・・・「飯館(いいだて)村」を通ります・・・。
このルート、実は12年前、現在の南相馬市原町区(旧・原町市)での公演の後、二本松市に移動した時に通ったことがあります。
当時「道の駅・川俣」で休憩、この地は地鶏のシャモが有名で美味しいソーセージを食べたことをしっかり覚えていましたし、あの頃「飯館」という地名は認識せずに通り過ぎていたのだけれど、そのゆったりとのどかな風景はちゃんと記憶に残っていました!
あの大震災、原発事故以来、この土地の名前が繰り返し流される中、たまらない気持ちになっていたのです・・・。
一昨日、その「飯館」を通る時、沿道の家々がひっそりと建っている風景(カーテンが閉められ、敷地内に車はあっても人の気配はありません・・・)が続き・・・田んぼも畑もビニールハウスも放置され、空っぽの牛舎(牧場の立札のみ)などを目の当たりにして、本当に胸ふさがれる思いでした。 「そうか、ここが飯館村だったのか・・・」などと頭の中で同じ言葉を繰り返すだけでした・・・!
福島駅を出発してから約2時間、「南相馬市役所」のバス停に到着。
市役所の建物は変わることなく(お向かいには以前建設中だった文化会館がそびえていましたが)、「あ、この角を入った所で講演会をしたんだわ!」なんて、ちゃんと記憶に残っておりました!
その文化会館前で、車で迎えに来てくださった原町おやこ劇場のOさんと6年ぶりに再会しました!
きっときっと感動の抱擁しちゃうかも・・・!なんて思ってましたが、結局、昨日も会っていたかのような感じで、そのままホテルに連行されました(笑)!
ホテルも以前のまま!! この市街地は、地盤のせいか、あの震災で倒壊した建物はほとんど無かったのだそうです。
「きっと驚くわよ・・・!」とOさんに言われてはいましたが、本当に何事も無かったかのような以前と変わらぬ風景にびっくりしました!
しばし、お部屋で休んだ後、ふたたびOさんのお迎えで近所のお店で夕食交流会に連れて行っていただき、この日Oさんのご主人が開催されていた「子どもの遊び場」に参加したボランティアの方たちとご一緒しました。
Oさんのご主人は小学校の先生をされていて、以前私も講演会でお世話になりました。現在は「地域の環境・・・食・農・水」などの問題を考えるネットワークの活動をされています(アグリ・ウォッチャー・クラブ)が、震災後、関西の震災支援ネットワークの皆さんと共催して、心や身体のストレスを和らげるための活動を続けていらっしゃるのです。
一昨日お会いした方々も、神戸や大阪から何度もいらしている臨床心理士や言語聴覚士など職種はさまざまでしたが、皆さんとても温かな方たちで、初めてお会いしたような気もせず、「現場」の様子をたくさん教えていただきました!
そして、3日(日)。
朝10時、ホテルに、またまたOさんのお迎え。
駅前の市立図書館(以前お邪魔した頃にはありませんでした)にちょっと立ち寄って館内を見学。 お洒落なデザインの素敵な図書館!
館内の数か所に、館長さん手作りの折り紙のお雛様が飾られていて、その精緻な細工に感動!! 写真を撮らせていただきましたが、お雛様たちの大きさは約5センチほどで、それぞれの持ち物、飾り物等々、あきれるほど(失礼)細かく、それはそれは素晴らしいものでした!!
その後、常磐線の線路を越え、海側のエリアへ連れて行ってもらいました。
ほんの5分走ったところで「このあたりの田んぼも畑も海水に浸かってしまって、何も作れないのよ・・・」とOさん。
まだ海も見えない小高い丘の「こちら側」です・・・??? どうやって津波がここまで・・・! と思いながら、さらに海に近つ゛くと、東北電力の火力発電所の大きな建物が見え、その周りは平坦な土地広がっていました!
Oさんが「この辺りは海浜公園でキャンプ場があって、林に囲まれていたの。私たちも毎年『子どもキャンプ』をしてたし、県外からもたくさんレジャー客が来てたのよ」と教えてくれたのですが、林ごとすべて無くなっているのです!
「ここには、一年以上来られなかった・・・」と語ってくれたのは、津波で亡くなったお友だちのお家のあった場所でした・・・。
今は、何も、何も無い土地が広がっているだけです・・・。
海からしばらく街に向かって走ったところにも、まだ手つかずの壊れたガードレール、かろうじて形だけは残っている建物等々・・・2年経って、未だ修復はされていないのです!
約1時間半、ほんの一部分ではありますが、南相馬の「現実」を見せてもらい、聴かせてもらって、「2年という時間は、まだ止まったままなんだ・・・」と改めて思い知らされた気がしました・・・!
そして、人と人との隙間も「つながろう!」などという単純な言葉では埋められない「さまざまなこと」があることも・・・!
いろんな思いを抱えながらも、午後はいよいよ「おはなし会」です!
会場の、「ひがし生涯学習センター」に向かいました・・・!
大震災前ならば、今回の目的地、常磐線の「原町駅」には「上野駅」から直行。または「仙台駅」からも直行だったのですが、常磐線が未だ寸断されているために、「福島駅」から山を越えて約2時間のルートを辿るのです!
しかも、一日に4本しかないという直通バス。
午後3時に「福島駅」に到着し3時半のバスに乗り込みました!
福島市内を抜け、「川俣町」を通り八木沢峠を越えて・・・「飯館(いいだて)村」を通ります・・・。
このルート、実は12年前、現在の南相馬市原町区(旧・原町市)での公演の後、二本松市に移動した時に通ったことがあります。
当時「道の駅・川俣」で休憩、この地は地鶏のシャモが有名で美味しいソーセージを食べたことをしっかり覚えていましたし、あの頃「飯館」という地名は認識せずに通り過ぎていたのだけれど、そのゆったりとのどかな風景はちゃんと記憶に残っていました!
あの大震災、原発事故以来、この土地の名前が繰り返し流される中、たまらない気持ちになっていたのです・・・。
一昨日、その「飯館」を通る時、沿道の家々がひっそりと建っている風景(カーテンが閉められ、敷地内に車はあっても人の気配はありません・・・)が続き・・・田んぼも畑もビニールハウスも放置され、空っぽの牛舎(牧場の立札のみ)などを目の当たりにして、本当に胸ふさがれる思いでした。 「そうか、ここが飯館村だったのか・・・」などと頭の中で同じ言葉を繰り返すだけでした・・・!
福島駅を出発してから約2時間、「南相馬市役所」のバス停に到着。
市役所の建物は変わることなく(お向かいには以前建設中だった文化会館がそびえていましたが)、「あ、この角を入った所で講演会をしたんだわ!」なんて、ちゃんと記憶に残っておりました!
その文化会館前で、車で迎えに来てくださった原町おやこ劇場のOさんと6年ぶりに再会しました!
きっときっと感動の抱擁しちゃうかも・・・!なんて思ってましたが、結局、昨日も会っていたかのような感じで、そのままホテルに連行されました(笑)!
ホテルも以前のまま!! この市街地は、地盤のせいか、あの震災で倒壊した建物はほとんど無かったのだそうです。
「きっと驚くわよ・・・!」とOさんに言われてはいましたが、本当に何事も無かったかのような以前と変わらぬ風景にびっくりしました!
しばし、お部屋で休んだ後、ふたたびOさんのお迎えで近所のお店で夕食交流会に連れて行っていただき、この日Oさんのご主人が開催されていた「子どもの遊び場」に参加したボランティアの方たちとご一緒しました。
Oさんのご主人は小学校の先生をされていて、以前私も講演会でお世話になりました。現在は「地域の環境・・・食・農・水」などの問題を考えるネットワークの活動をされています(アグリ・ウォッチャー・クラブ)が、震災後、関西の震災支援ネットワークの皆さんと共催して、心や身体のストレスを和らげるための活動を続けていらっしゃるのです。
一昨日お会いした方々も、神戸や大阪から何度もいらしている臨床心理士や言語聴覚士など職種はさまざまでしたが、皆さんとても温かな方たちで、初めてお会いしたような気もせず、「現場」の様子をたくさん教えていただきました!
そして、3日(日)。
朝10時、ホテルに、またまたOさんのお迎え。
駅前の市立図書館(以前お邪魔した頃にはありませんでした)にちょっと立ち寄って館内を見学。 お洒落なデザインの素敵な図書館!
館内の数か所に、館長さん手作りの折り紙のお雛様が飾られていて、その精緻な細工に感動!! 写真を撮らせていただきましたが、お雛様たちの大きさは約5センチほどで、それぞれの持ち物、飾り物等々、あきれるほど(失礼)細かく、それはそれは素晴らしいものでした!!
その後、常磐線の線路を越え、海側のエリアへ連れて行ってもらいました。
ほんの5分走ったところで「このあたりの田んぼも畑も海水に浸かってしまって、何も作れないのよ・・・」とOさん。
まだ海も見えない小高い丘の「こちら側」です・・・??? どうやって津波がここまで・・・! と思いながら、さらに海に近つ゛くと、東北電力の火力発電所の大きな建物が見え、その周りは平坦な土地広がっていました!
Oさんが「この辺りは海浜公園でキャンプ場があって、林に囲まれていたの。私たちも毎年『子どもキャンプ』をしてたし、県外からもたくさんレジャー客が来てたのよ」と教えてくれたのですが、林ごとすべて無くなっているのです!
「ここには、一年以上来られなかった・・・」と語ってくれたのは、津波で亡くなったお友だちのお家のあった場所でした・・・。
今は、何も、何も無い土地が広がっているだけです・・・。
海からしばらく街に向かって走ったところにも、まだ手つかずの壊れたガードレール、かろうじて形だけは残っている建物等々・・・2年経って、未だ修復はされていないのです!
約1時間半、ほんの一部分ではありますが、南相馬の「現実」を見せてもらい、聴かせてもらって、「2年という時間は、まだ止まったままなんだ・・・」と改めて思い知らされた気がしました・・・!
そして、人と人との隙間も「つながろう!」などという単純な言葉では埋められない「さまざまなこと」があることも・・・!
いろんな思いを抱えながらも、午後はいよいよ「おはなし会」です!
会場の、「ひがし生涯学習センター」に向かいました・・・!